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ジェンダー・フリー(T) |
| 岩月謙司 | 石井公一朗 | レフ・トロツキー | 東京都教育委員 | 浪平繁貴 | 神野吉弘 | 石井英夫 | さまもと未明 | 千葉展正 | 大島信三 |
| 中川八洋(筑波大学教授) ・ジェンダー・フリーとは、日本のマルクス主義の過激な女性革命家たちが作った”日本語”であって、世界のいかなるラディカルなフェミニストといえども、子供の人格をここまで悪魔的に破壊し尽くしても構わないという、この種の言葉を思いつくことはなかった。 ・日本の「ジェンダー・フリー」では、「男女間の社会的不平等の是正」などという、いわゆる『男女平等』という考えは、ほとんど消えている。 「ジェンダー・フリー」とは、男性が医学的・生物学的に生まれとともに定まっている「男性性」を除去され、女性も同じく、生まれとともに定まっている「女性性」を除去されて、”男女が平等に無性化する”、もしくは”男女がいつでも男にも女にもなれる”、両性具有のサイボーグと化する。そのように『非人間に改造することを目的とする教説(セックス・レス)』である。 ・『健全で正常な文明社会への憎悪と呪詛を実行するカルト宗教』が『ジェンダー・フリー教』である。日本のフェミニストは、『男女の相互補完・相互の切磋琢磨による、男女それぞれの人間としての向上とか、男女間の美しき愛情などというものが許せない宗教の信者』である。 ・「ジェンダー・フリー教育」を注入された子供たちは、「自分が男性なのか女性なのかの性の自己認識が不可能になる」。必然的に自らの「人格を喪失する」。自我を喪失すれば、それは”人格亡者”である。このような子供達は、「社会に生きる能力を剥がれる」。社会を担う能力は皆無となる。むろん、結婚しない/子供を産まない、非人間に改造されていく。人格亡者の群れとなった日本は、文明の社会の国としては確実に消滅する。「ジェンダー・フリー」の一世代後に到来する日本とは、日本列島の廃墟である。 <フェミニズムのイデオロギーは三期に分けるのが便利である> ・日本の女子中高生の「援助交際(売春)」は、家族をもてない(主婦になれない)若い女性を大量に発生させるが故に、日本のマルクス主義者は積極的に応援した。「道徳の一掃をドグマ」とするマルクス主義者にとって『性道徳は徹底的に破壊されるべきもの』であるから、売春をする女子中学生を『理想の共産主義的女性』とみなすのである。 ・「ジェンダー・フリー教育」で、@結婚しない/家族をもたない、A子供を産まない、という日本の若者は必ず急増する。「ジェンダー・フリー教育」で、日本の人口は確実に大減少していく。それが「ジェンダー・フリー教育」の主目的である。 ・『性差は”アンドロゲン”が分泌されることによって、生まれながらにして決まっている』との常識は、”単純明快な科学”である。 ・「ジェンダー・フリー教育」を受けた子供達によって創られた未来の日本とは、『偽が真、悪が善、醜が美となった社会』であり、『少なくとも真偽、善悪、美醜が区別できない』共産社会と同じ社会である。いやそれ以下で、「社会も人間も根本から転倒し狂気に浮遊し腐敗する」、社会の崩壊である。 |
| 中川 八洋 筑波大学教授 明日への選択 平成15年2月号 ◇1990年代の半ば、東京の八王子市や北区などの『小学校の一部教師が教育現場で運動を開始』 ・ランドセルの色を男女とも同じ色にする ・混合名簿にする ・体育の授業で男女を分けない ・掃除の際に女子に机を運ばせて、男子に雑巾がけをさせる。 ・学芸会で男と女の役を全部入れ替える。 ・女の子に騎馬戦をやらせ、男に子に料理や裁縫をさせる。 ◇「1999年、男女共同参画社会基本法の成立」。 ・教育現場でのジェンダー・フリーの動きが爆発的に拡がっていった。 ※「国民は、”男女共同参画社会”と”ジェンダー・フリー”が同じ意味=同じ目的=『性別秩序の破壊』であることに気付く。 ※性別秩序を壊せば、「家族破壊」、「社会破壊」が起こるので、社会をぶち壊そうと思えば、”暴力革命”などしなくともよいことになる。 ◇マルクス・レーニン主義による暴力革命が不可能になった代わりに、日本の解体をめざす別の手段として登場してきたのが『男女共同参画社会=ジェンダー・フリー』である。これは『女』、『子供』を標的と手段にすえた運動であって、単なる男女平等とか、女性の社会進出の話ではない。 1.フェミニズム運動で『家族解体運動』を展開。マルクスも家族解体を主張していたので、両者は一緒になって『夫婦別姓運動』をすぐ始める。 ※日本のフェミニズムは、夫婦別姓の「家族解体」と、セクハラとかドメスティック・バイオレンスの 「男性に対する攻撃運動」が中心。 2.90年代後半に、『ジェンダー・フリー』が加わる。日本社会の解体をたくらむ共産主義者とフェミニストの連合による、『新種の革命運動』というべきものである。それは『共産主義体制下の日本』ではなく、『日本人の一人もいない日本列島』が目標である。 ◇フェミニズムの三段階 第一期:男女平等思想に基づく、婦人参政権運動。 ・第一期は、19世紀から20世紀半ばにかけての、『婦人参政権』などの「男女平等思想」である。ここで止まっていれば、良かったのだ。 第二期:『ラディカル・フェミニズム』と『マルクス主義フェミニズム』 ・ラディカル・フェミニズム:1960年代にベティ・フリーダンらが始めたアメリカのウーマン・リブ運動から発展。男性に対する憎悪を基調とした運動。「女性の解放のフェミニズム」である。。日本でも猛威を振るっているセクシャル・ハラスメントは、男性に対する『憎悪フェミニズム』のためです。裏を返せば、「幸福な女性に対する憎悪や呪詛」です。 ・マルクス主義フェミニズム:上野千鶴子はその代表。『階級闘争史観』を男女の関係にも当てはめるもの。従って「男女間永久闘争イデオロギー」、あるいはマルクスの「家父長制」破壊を実現する「主婦の反乱」による「家族解体イデオロギー」である。 マルクス主義フェミニズム=『(家族解体フェミニズム)+(男女間永久闘争フェミニズム)』は第二期フェミニズムの最大派閥である。 第三期:フェミニズム運動に”ジェンダー”という『科学的根拠のない虚構の概念』を、”科学”をかたって強調する段階をいう。“実在しない性”である「ジェンダー」という「空体語」を、「科学」「真理」だと繰返して、「男性から男性性の解体、女性から女性性の解体」を目指すものである。もしこのようなことを仮に実践するとすれば「悪魔の生体解剖」というべきものにほかならない。が、驚くなかれ、『日本のみ1990年代半ばより学校教育に導入され、実践されている』。「ジェンダー・フリー教育」の実態とはこれである。『教育の名をかたって、子供達を男性か女性か区別のつかない新種の人間ー正しくは非人間ーに改造しているのである』。更に「ポスト・モダン思想」という”毒”が盛り込まれた入る。 ※「生まれながらの性」以外に「社会とか制度によって作られた性」があるという主張は、出鱈目で、科学的根拠は全然ない。『社会とか制度によって作られた性なんか存在しない!』 ※人間の「性」は胎児の時より『脳の性差』によって決まっている。フェミニストは『社会的に作られた姓(ジェンダー)』が存在すると、『事実をすり替えて』主張する。 ※日本のフェミニストのみ、ジェンダーを「性差による秩序」という意味に変えて使っている。これによると、ジェンダー・フリーとは「性別秩序からの解放」、「性別秩序の破壊」となる。 <ポスト・モダン思想とは> ・簡単に言えば、極端なニヒリズムと極端な相対主義を撒き散らす思想で、社会解体を人間の「人格解体」をもって実現することを目的としてフランスで1968年ころからつくられたもの。 ・絶対的な真理や科学的な知見すらも「権力」によって作られた「知」の一形態に過ぎないとしてしまう。その結果、『正常な思考を展開する基軸を持ちえなくなってしまう』。 ・男女間の性愛は『自然的・生物学的に決定づけられている』のに、そうではなくて、人為的に作られた一つの現象に過ぎないとする。 ・要するに、男と女を区別することや、性愛を男女間に限ることなどは、単なる古典的な一つの「知」に過ぎないとする『病的な考え方』である。 ・男でも女でもない、「無性人間」で、人格を喪失した夢遊病者みたいな人間を「理想の人間」とする『不健全極まりない思想』である。 <『人格教育』とジェンダー・フリー> ・人格教育というのは、「女の子はより女の子らしく、男の子はより男の子らしく」というのが基本です。ジェンダー・フリー教育はそうした人格教育の全否定となりますから、当然、道徳は身につかないし、男女間の恋愛そのものも成立しなくなる。もちろん家族をもたなくなるし、仮に持っても家族のなかに秩序が成立たなくなってすぐに崩壊してしまう。 <『結婚と子育て』とジェンダー・フリー> ・子育てというのは男女の棲み分けがあって成立つもの。男女の違いがはっきりしなくなれば当然、出産し、子供を育てることはできなくなる。これから日本の多くのカップルは出産をしなくなると思います。 <ジェンダー・フリーの正体> ・日本人の人格そのものを崩壊させ、日本という国家を滅亡させてしまおうとする『新種の革命』が進められている。 ・「日本人の人格破壊」を目指した『国家解体運動』、『日本人消滅運動』であることを認識してほしい。 <社会的に作られた性(ジェンダー)等、そもそも存在しない> ・今日の脳科学においては、性は一義的には脳が決定するものと理解されている。つまり「脳の性差」が男性か女性かを決定するのである。 ・『人間の性は全て出生とともに決定されている』。『社会的に作られた性(=ジェンダー)などはどこにも存在しない!』。 ・人間の「性」は胎児の時より『脳の性差』によって決まっている。フェミニストは『社会的に作られた姓(=ジェンダー)』が存在すると、『事実をすり替えて』主張している。 ・”ジェンダー”という『科学的根拠のない虚構の概念』を、”科学”をかたって強調するなかれ。 |
| 高橋 史郎(明星大学教授) 正論 平成15年 4月号 ・性の自己決定権を子供に教える急進的性教育やジェンダーフリー教育は、人類が祖先から受け継いできた「文化」という知恵の宝庫の解体を目指す、歴史否定・文化否定・道徳否定・家族否定の新たな革命運動に他ならない。 このような過激な教育は国民の常識とは大きくかけ離れているにもかかわらず、大した抵抗もなく一人歩きし、空気のように広がりつつある。そこに教育の歪みの深刻さがある。 従来の戦術を転換し、「男女共同参画」「性的自立・自己決定権」の名の下に社会解体を目指す新たな教育革命運動を断固阻止しなければならない。 ------------------------------------------------------------------------------------------------------------------ 「正論」 平成15年 7月号 ・男性が女性を支配し、女性が抑圧される「権力装置」「抑圧システム」として、男女の関係を支配ー被支配、権力ー抑圧の敵対関係として固定的にマイナス的に捉えていることが最大の問題点といえる。 ・生物学的機能に差があるのだから社会的役割に差があるのは当然であり、それは差別ではない。 ・男女の特性(男らしさ、女らしさ」を文化的・社会的に伝承する教育が必要である。「男らしさ、女らしさ」を文化的・社会的に伝承する教育によって「人間らしさ」が育つのであり、「男らしさ」「女らしさ」の否定は、「人間らしさ」の否定に繋がるのだ。 ・男らしさ・女らしさは人間らしさ、すなわち人間のもつ個性の大事な要素の一つであることを認めず、男女の特性を否定する「ジェンダーフリー」の思想は、真の「男女共同参画社会」の実現を阻むものであることを明確にする必要がある。 ・「育児の社会化」「子育て支援」「少子化対策」の名の下に、政府、文科省、厚生労働省がこぞって母親の子育て放棄、家族、家庭の崩壊を促しているのだ。必要なのは、「保育サービスの充実」ではなく、育児休暇など『家庭保育・育児に専念できる支援策』だ。 ----------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 「正論」 平成15年 11月号 ・「”人間と性”教育研究協議会(性教協)」、日本女性学会、家庭科教育研究所連盟、歴史教育者協議会 ・男女の特性や男らしさ・女らしさは認められない、一方的に否定されるべきもので、専業主婦も否定されるべき存在ということになる。 ・男女共同参画は 上からの文化革命なり。 ・ジェンダーフリーの「フリー」は男女の『性別役割分担意識』まで解消するという意味である。 自由どころか、思想良心の自由の侵害であり、日本版文化革命であり、『全体主義的政策』につながります。 ・女性の自己決定権は国際的にも国内法でも認められたものだと誤解され、自治体の男女共同参画条例に盛り込まれている面もあるので注意が必要である。 ・『3歳児神話』には、3歳児までの脳の発達が大事だということと、3歳児までの母子関係が大事だという少なくとも二つの意味がある。 ・日本と外国の子育て支援は非常に対照的で、日本の子育て支援は労働者、つまり働いている女性を支援するという支援策になっていて、外国は教育者、子供とかかわる存在としての親の援助です。在宅育児手当が手厚くて家庭保育を大事にしている。 ・家事をどう見るかは、当人の意識の問題である。 |
| 長尾誠夫 作家・都立高校教諭 正論 平成15年6月号 <ジェンダフリーを扱っている教科書及び出版社>
すべての教科書に共通しているのは「ジェンダーは生得的なものではなく、社会的文化的に作られたもの」であり、「女性を差別する悪しきものである」から「ジェンダーにとらわれないジェンダーフリー社会が望まれる」ということである。
<悪夢のジェンダーフリー社会> |
| 櫻井 よし子 ジャーナリスト 「日本の危機」 新潮社 ・2015年頃、私は日本の育児の荒廃、母性の荒廃は満開に達すると思います。その時には異常の正常化がおき、子供を正常に育てられないのが当たり前、親も離婚するのが正常、しないのが異常となってしまう。今の中学生が親になる頃には、まともな親のほうが例外でしょう(久徳重盛医師、医事評論家) ・日本だけは、誰とも結びつかない男女が増えている。 ・自己愛にとどまらない広い愛(家族愛、郷土愛、愛国心)をどこまで持ちえるかという課題。 |
| 富田 和己 こども心身医療研究所所長 ・民主主義は「多数決の原理」が基本ルールなのに、「少数意見の尊重」という例外を弱者(少数者)の側に立つという解釈で金科玉条にする人が少なくない。「原則」と「例外」をそれぞれの比重にそって教えることは必要ですが、これは「例外の一般化」にも繋がり、ちょっと問題である。 |
| 林 道義 諸君 平成15年8月号 ・子供には起きる時間、寝る時間を守らせ、門限も決めて規則正しい生活をさせることが肝要である。 <自主性を尊重するとなぜ子供の自主性が育たなくなるのか> ・子供は好きなようにするためには、何らかの「価値基準」がないと行動不可能なのである。つまり、価値観をちゃんと保持していない人間にいくら「自由にしなさい」と言っても、「司令塔」が脳の中に存在していないので、何もできない。だから閉じこもりになってしまう。 ・「基本」を与えないでおいて、「何でも好きなようにしていいよ」と小学生の子供に言ったら、子供は戸惑うばかりで、閉じこもるより他にすることがなくなってしまう。 ・男は男としての行動様式を持たないと精神的にうまく成長できません。生まれながらにして男は積極的、女は消極的だということは脳科学が解明した脳の構造からも明らかなんです。それを適切な時期に訓練や教育によって発達させないであいまいにしたり、逆に教え込んだりしたら男は去勢されてしまう。女は乱暴で下品になります。事実、いまの社会はそうなってきているし、男・女の区別がないような育て方をしている人の子供ほどそうです。 ・「男らしく、女らしく育てないと・・・(中略)・・・とくに男子の場合は、心理的に去勢されてしまし、男性の本能行動にとって必要な積極性を失ってしまう。(中略)・・・男らしさに欠けると男性としてのアイデンティティを明確に持てなくなり、自信喪失、無気力、現実逃避などの弊害が出てくる」。 -------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 「正論」 平成15年11月号 <ジェンダー・フリー推進派の理屈> その1:科学や統計を恣意的にねじ曲げたり、調査結果を逆に宣伝し、自分達が多数派であると見せかけようとする手法です。客観的なふりをして騙すというやり方で、彼らの常套手段です。 その2:国際的な権威に頼るということです。 <スウェーデン> ・スウェーデンは決して天国ではなく地獄のような国で、経済は少子高齢化と福祉の肥大化で破綻し、家庭崩壊で犯罪も多発して犯罪王国になっている。 ・母性の否定を徹底したが、その結果は犯罪王国である。 <生まれつき 男らしさ、女らしさの区別はある> ・フェミニストは、例外を一般化して、それを基準に社会を作り直せと主張する(主客転倒)。 ・人の自我や社会的知性を司る脳の「前頭連合野」が発達しないと一種の脳機能障害となり、社会性や恥の感覚が働かなくなり、電車の中で化粧したり人前で平気でいちゃつくという最近の若者の行動も、前頭連合野の未発達の所為だとしている。この部分を成熟させるためには「父親の威厳」を中心にした大家族の中で、きめ細やかな子育てが必要であり、脳科学の分野でも家庭での「母性と父性の重要性」は指摘されている。 ・「型にはまらなければのびやかになれるというのが間違いです」。 人間が生きていくためには型が必要である。まず基本の型あって、初めてそのうえに個性や伸び伸びとした人格が生まれ得る。そういうことを無視して、いかにも、すばらしいことのように宣伝するところに彼らの無責任体質、欺瞞性がある。 |
| 田中 英道 正論 平成15年8月号 ・性差(ジェンダー)は固有なものではなく、西欧文化によって創出される(エーリッヒ・フロム) |
| 中曽根 康弘 元総理 正論 平成15年11月号 ・そもそも戦後の日本は、日本の固有性を否定する方向でやってきたわけです。日本の弱体化を企図した占領政策だけでなく、アメリカのプラグマティズム(実用主義)やイギリスの功利主義、フランスの個人主義に、いうまでもなくソ連の共産主義(マルクス主義)といった諸々の外国思想が肯定的に流れ込んできて、その乱雑な「合成の誤謬」の中で戦後日本社会における価値観が形成されてきた。そこからマルクス主義を突出させて教育現場に注ぎ込んだのが日教組であり、それに個人主義を加えて変化させた一つがジェンダーフリー思想でしょう。 ジェンダーフリー〓マルクス主義 + 個人主義 |
| 八木秀次 高崎大学助教授 諸君12月号 平成15年 ・『隠れたカリキュラムを考える ジェンダーフリーの教育を』(日教組出版の小冊子)によると、「ジェンダーとは、生物学的な性差(SEX)ではなく、社会的、文化的につくられた性差(性役割)をいいます。長い歴史の中で『支配ー被支配』『優位ー劣位』の男女の関係の中でつくられてきた女の役割、男の役割などは固定的な考え方です」と説明している。炊事・洗濯等はくだらない仕事になるわけだ。 ・「苦情処理委員会」とは、社会の様々な制度や慣行、現象を「ジェンダーフリー」の視点から見て「是正」を求める、あたかもフランス革命の際の公安委員会、ロシア革命の際のチェーカー(後のKGB)、ナチスのゲシュタポのような役割を果たす「監視機関」であり、「全体主義国家」に繋がる。 ・女性が「女らしく」するのは、それまでの生活を通して身につけた「ブルジョア的な男性観」に呪縛されているからである。彼女たちが革命戦士たり得るためには「おんならしさ」の意識を「止揚」しなければならない。 こういう場面を目のあたりにして永田洋子が行き着いたのは自らの女性性を抑圧して「中性の怪物」になることだったという(『続16の墓標』)。『中性の怪物』を造ること、これはジェンダー・フリーの発想そのものではないか。雌雄同体のカタツムリがジェンダーフリーのシンボルであることは、これまでしばしば指摘してきたが、そのルーツはここにあったということか。 ------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 「正論」10月 平成16年 ・東京都教育委員会は8月12日、「ジェンダーフリー」という用語を教育現場から排除することを決めた。学校での「ジェンダー・フリー思想に基づいた男女混合名簿」の作成も禁止する方針で、8月中に各都立学校に通知し、2学期からの実施を目指しているという。首都の教育機関という大きな影響力を持つ機関が「ジェンダー・フリー」という非常識な革命思想の駆逐に向けて大きな一歩を踏み出したものとして高く評価したい。 ------------------------------------------------------------------------------------------------------------------ 「正論」12月号 平成16年 ・「ブレンダと呼ばれた少年」(無名社、2000年)を読めばわかるとおり、ジェンダーフリーの発想、すなわち「生物学的性差(セックス)が社会的文化的な性差(ジェンダー)を規定するのではなく、逆にジェンダーがセックスを規定する」という発想は嘘から始まったということなのである。にもかかわらず、その嘘が今も日本では隠されている。⇒マルクス主義しかり、左翼は科学的と称し、いつも嘘の仮説からスタートして国民を悲惨な目にあわせている。 |
| 「正論」2月号 平成17年度 「嘘から始まったジェンダー・フリー」 ≪男女共同参画という発想の根拠にある捏造≫ 正常な人は、「生物学的・肉体的な男女の性差があって、『男らしさ』『女らしさ』という意識が生れると考える。 ところが異常な人は、「男女の生物学的な性差は曖昧であり、差異はないのに、それを「男らしさ」「女らしさ」という作られた性差のために無理に生物として男か女かのどちらかに分けられている。その『男らしさ』『女らしさ』という意識を払拭してしまえば、私たちは生物として男なのか女なのかは本当の所はよく分からない」。 ≪ジョン・マネーの学説と「究極の実験」≫ マネーやジョンズ・ホプキンス大学病院の医師たちは半陰陽の子供たちに対しては性転換手術を実践していたが、レイマー夫婦の息子のように正常な性器と神経系統を持って生まれてきた子供に性転換手術をしたことはなかった。それでもマネーは夫婦に「どう考えてもうまくいかないわけがない」と断言し、性転換手術を勧めた。夫婦は迷ったが結局、1967年7月、息子に去勢手術を受けさせることにする。そして息子にブレンダという女の名前を付け、女の子として育てることにした。女の子らしいガウンやドレスを与え、人形で遊ばせ、髪は巻き毛が耳の下まで伸びるに任せた。さらに夫婦はマネーによる追跡検査のため、年に一度、二人の子供、すなわち“姉”のブレンダと弟のブライアンを連れて彼の大学病院を訪問し続けた。 ≪フェミニズムを活づかせた「双子の症例」≫ この「双子の症例」は男と女は生れるのではなく、つくられるという仮説を証明する「究極の実例」とされてしまった。 ≪人体実験は失敗に終わっていた≫ コラピント(米ジャーナリスト)が伝えるところによれば、ブレンダは当初から女の子になることに抵抗し、思春期になって遂に男の子に戻っていたのである。 ブレンダには最初から女らしいところは微塵もなかった。ドレスを引き裂こうとし、父親の髭剃りに興味を持った。去勢後もオシッコは立ってしていた。弟のブライアンは「ブレンダには全く女らしいところはなかった。女らしさのおの字もなかったよ。歩き方も男みたいだったし、座る時はいつも脚を広げてさ。話し方だって男みたいで、家を掃除したり、結婚したり、化粧をしたりすることなんてことには興味も示さなかった。俺達は二人とも、男友達と城をつくったり、雪合戦をしたり、軍隊ごっこをするのが大好きだった。(中略) さもありなんと思う。どんない女装していても、なにしろ、脳の中身が男なのだからそのような行動をとっても無理はない。 ブレンダ自身、ジェンダーアイデンティティ、すなわち自分は男なのか女なのかということに苦悩していた。男に子に戻った後、かってを振り返ってこんなふうに述べている。「みんながみんな、おれに言うんだ。おまえは女の子だって。だけどおれは自分のことを女の子だと感じられななかったんだ。とにかくしっくりこないんだよ。で、おれは思ったんだ。何かが間違ってるって」 思春期には声変わりもし、体毛も生えた。誰がどう見てもブレンダは男であったのである。 このような証言はマネーが著書や学会報告で述べたことが全くの虚偽であることを示している。しかも、ブレンダの異様な行動は母親からマネーに報告されていた。しかし、マネーは「時間が経てば全て解決する」などと言うばかりで、これらの事実を隠し続けた。そればかりか、マネーはブレンダに女の子としての自己認識を植え付けようと膣形成手術を要求いし続け、豊胸のため女性ホルモンを飲ませた。また、ポルノを見せたり、弟のブライアントと性行為の真似事までさせた。 コラピントはこのようなマネーの人間性に疑問をもち、その生い立ちと若い頃の経験にその淵源を見ている。すなわちマネーは、幼い頃に亡くなった父親が無慈悲に鳥を撃ち殺す野蛮な性格であったことや、その後、女性的な環境で育てられたことから「私は自分が男であることに罪の意識を覚え、苦しんだ」「そう、卑劣な性である男の仮面をかぶっていることに」と彼自身が書いていることを紹介している。コラピントは言う。 「もちろんその仮面とは、ペニスと睾丸のことである。大人になったマネーが成人や幼児の性転換を行い、世界的な名声を得たことを考えると、次のコメントは無気味な響きが聞き取れる。『私はよく思ったものである。家畜だけでなく、人間の男も誕生時に去勢されたら、世界は女性にとってより良い場所になるのではないかと』」 マネーは若い頃には「性革命の扇動家」として、フリーセックス、サド・マゾヒズム、スカトロジー、切断願望、自己絞殺、小児愛に関心を示し、その種の著作もある人物であった。半陰陽の研究もそのようなところから始まっていた。 ブレンダは14歳の時に両親から事の真相を告知され、それを切っ掛けに男に戻ることを決断することになる。1980年にはディヴィットと名前を改め、男としての人生を取り戻す。(中略) ディヴィットはその後、ペニス再形成手術を行い、三人の連れ子を持つ女性と結婚生活を送っていたが、2004年5月、38歳の若さで自殺した。母親のジャネットは「ディヴィットに辛い思いをさせた。あの惨たらしい実験がなかったら、あの子はまだ生きていたでしょう」と自殺がマネーによる人体実験と無関係でないと述べている。デヴィットも生前、「あんな拷問はない。やつらが仕掛けてきた心理ゲームのおかげで、俺の頭んなかはめちゃくちゃになっちまったのさ」と述べていることを思えば、それは大いに推測できることである。 |
| ≪男女共同参画政策の抜本的見直しを≫ マネーの学説が破綻したことからもわかるように、ジェンダーフリーという「生物学的宿命」から逃れようという発想は今日の科学では完全に否定されている。最新の研究によれば、「男らしさ」「女らしさ」の意識は生得的なものが基礎にあってのことであり、そのことは例えば、脳科学者の新井康充氏による『脳の性差ー男と女の心を探る』(共立出版、1999年)などによって明らかにされている。コラピントも「科学者たちのあいだでは、・・・・『最も重要な性的器官は生殖器ではなく、脳である』という結論に達している」と述べている。 |
| 西尾幹二 評論家 正論3月号 平成17年度 民族の生命力が少しずつ下がっている時代には、不思議なことに、外にも内にも敵が現れる。そして、民族の生命力を一段と深く傷つけようとする。中国の原子力潜水艦が悠々と領海侵犯し、謝罪もしない時代に、中国に対し低姿勢でおべっかを使うしか能のない同じ腰抜け勢力が国家の内側から白アリのように国家の土台を食い亡ぼすことに熱中している。それがジェンダーフリー派である(私は「ジェンダーフリー」は「男女共同参画」と同義語であると見ている)。例えば、政治家でその両面を体現しているのは野中広務であろう。彼は中国の国益代弁者であり、男女共同参画基本法の推進実行者である。彼は国家解体の第一人者であるといっていい。そして勲一等の受賞者でもある。喜劇はここに窮まっている。 外に対して「尚武」の精神が失われた社会において、必然的に内側は腐敗し、解体する。それを見越してジェンダーフリー派の旗振り役の上野千鶴子は、ある講演で、戦争のできない国にするために男と女の関係を滅茶苦茶にしてやるのだと豪語している。 しかし彼らがそう操る前に、長期間にわたって女性たちが戦う男子に性的魅了を表明することを禁じられてきている。女性たちの潜在意識下ではどうかわからない。ただ一般に武人に女性たちが「男らしさ」の性的魅力の代表を見てきた社会では、現代の性にみられるような「中性化」現象は起こらない。 本当に男らしい男が活動している場では、女は女らしくなり、女として美しくなる。そうではなく、男がなよなよとして柔軟であることが許されている場では、女性は粗暴になり、女性であることを見失う。 現代を「卑小化する徳」という言葉で呼んだニーチェは、現代には「真の男が少ない。それゆえここの女たちは男性化する。つまり十分に男である者だけが、女の内部にある女をー救い出すことができるのである」(『ツァラトゥストラはかく語りき』第三部)と書いている。 |
| 岩月謙司 香川大学教育学部教授 日本の論点 <性自認の出世時白紙説=後天的に決められる、は退けられている> ・自分が女であるか男であるかという認識を「性同一性」「性自認」(ジェンダー・アイデンティティ)と呼ぶ。マネーは「ジェンダー・アイデンティティの決定は生得上のものではなく、環境による」と主張した。この理論はフェミニストたちの「男女の違いは生物学的根拠でなく、社会の期待や偏見を反映している」という主張の科学的根拠ともされた。 ・身体の性と心の性が一致しないことを「性同一性障害」という。 (例)体は男なのに、心は女と感じてしまう。 |
| 石井 公一朗 元東京都教育委員 正論2月号 平成16年 ・今世間を騒がせているジェンダー・フリー運動。奥の院で指揮をとっているのが「マルクス」であることは疑いの余地はない。 ※おかしなことに、偏向教育やジェンダー・フリー活動家の多くは、自分たちのことをマルクスとは無関係だと主張してやまない。傍目からは、どう見ても同種同根ではないか。 古くて権威のあるほうが主人であり、後になって似たような文句を叫んでいる輩が、即ち番頭・手代なのである。 ・我国のジェンダー・フリー運動の根っ子のとことで深くかかわっているエンゲルスの著書「家族・私有財産・国家の起源」は、ロンドンにおいて1884年に出版された。この著書は、マルクスの遺稿「古代社会ノート」を種本にしており、更にさかのぼると、アメリカの民俗学者ルイス・H・モーガンの研究資料に追うところが大きい。 ・生産手段が共同所有に移るとともに、個別家族は社会の経済単位であることをやめる。私的家政は社会的産業に転化する。子供たちの扶養と教育は公務となる。嫡子であろうと庶子であろうと一様に、すべての子供たちの面倒を社会がみる。それによって今日、乙女が思い煩うことなく恋人に身を寄せるのを防いでいるもっとも重要な社会的要因(道徳的ならびに経済的)をなしている『結果』に対する心配がなくなる。(「家族・私有財産・国家の起源」、土屋保男訳、新日本出版社) ・私有財産制がなくなり、生産手段が共有化されれば、男女間の愛情は卑しい打算から離れて限りなく純化されていくという楽観論は、あまりにも非現実的で論外だが、ここでわれわれが注目しなければならないのは、子供の養育を含む家事の大部分を家庭から切り離し、「社会的産業」へくみこむべきだと主張している箇所である。 |
| 石井 公一朗 元東京都教育委員 正論2月号 平成16年 ・『裏切られた革命』(1936年)レフ・トロツキー著 藤井一行訳 岩波文庫 「革命は、いわゆる『家庭のかまど』すなわち勤労階級の女性が幼児から死に至るまで苦役を勤めさせられるあの古風な、かび臭い、よどんだ施設を破壊しょうという英雄的な試みを行った。 構想では、病院、託児所、幼稚園、学校、公衆食堂、公衆洗濯所、病院、スポーツ施設、映画館、劇場等々といった完備された社会的な介護・サービス制度が、閉鎖的な零細企業である家庭にとってかわることであった。 ※トロツキーは、家事を「苦役」と断定し、それを代行する社会主義施設の「英雄的」役割に期待をかけている。「家庭のかまど」を見る共産主義者の憎々しげな眼差しには、思わずハットさせられる。というのは、日本人の多くが「かまど」から感じ取るのは、家族愛の温もりや尊さに他ならないからである。 ・「連帯と相互配慮によってすべての世代を結びつける社会主義施設が家庭の経済的機能を完全に吸収し、それによって一千年来の枷からの解放が女性にもたらされるはずであった。今のところその課題は解決されておらず、四千万の家庭の圧倒的多数は依然として中世期の状態のまま置かれている」 ・社会主義施設が家事を吸収できなかったことについて彼は「社会があまりに非文化的であった」「共産党の構想に国の現実の資源が対応していなかった」などと繰り言を述べている。現実には、1930年代に入って、社会主義施設に対する人民の不満が、収拾がつかないまでに累増していったのである。 ・ソ連当局にとっては、家庭の尊重と愛国心の高揚を唱えるほうが、社会的施設の改善という気の遠くなるような仕事に取組むより、遥かに有効で安上がりであった。 ところが、婚姻に関する忌まわしい事態が、おもわぬところから発生した。共産主義社会のもとで新たに興隆した特権階級について、トロツキーは次のように述べている。 「資格、資金、役職、軍服の菱形章の数が、次第に大きな意味をもつようになってきた。というのも毛皮、住宅、浴室、そしてあらゆる夢の極致である自動車の問題がそれらと結びついているからである。 モスクワでは毎年少なからぬ数の夫婦が一緒になったり別れたりしている。親戚の問題はとりわけ重要な意味をもつようになった。妻の父が指揮官とか有力な共産党員とかであったりすると有利だからである」 ・エンゲルスは、マルクスの死後(1883年以降)二つの大仕事に取り掛かっていた。一つは資本論の残部をまとめあげることであり、もうひとつは、人類の発展段階における家族と国家の形態を解明することであった。前者は資本主義の打倒を、後者は家族・国家の解体を説くものであり、この二つが車の両輪となってプロレタリア革命を必然ならしめるというのである。 |
| <家庭・家族を守れ!> ・一番気になるのが、専業主婦に不利をもたらす税制を梃子にして育児の社会化を進めようとする策謀である。 ・次に問題になるのは、今法案提出をめぐって政党間の争いになっている「夫婦別姓」だが、これが法制化されれば家族解体の推進力になろう。 ・ジェンダー・フリーと連携してすすめられている性教育は、やり方が露骨すぎて不評だが、「セックスを大いに楽しもう」という基本趣旨に賛同する者は決して少なくない。 |
| <東京都教育委員の発言> 今の指導部長の説明が、まことに申しわけないんですけれども、少し異論があります。これは目的が違うはずです。組織的な犯罪です。これは性教育というものを持ち込んで、男らしさ、女らしさということを否定するという、今はやりの男女共同参画ということの名をかりたジェンダーフリーの徹底したイデオロギーです。 そのことの一番大きなもとは、男女混合名簿の作成にあったわけです。ここが一番最初のスタートなんですね。しかし、今、男女混合名簿と言ってはいけないので、女男混合名簿と言わないといけないということになったようですけれども、これがおおもとです。そのことは指導部は知っているはずです。ですから、管理主事全員がこの養護学校の実態を知っていると同時に指導部もこの実態を知っているはずです。なぜこういうことがあったのか、組織的なことです。そのことを今の指導部長がそのような答えをしたということは、これはそうせざるを得ないのでしょうが、その女男混合名簿から始まる運動に対して歯どめをかけなければならないのが教育者だと思うのです。 そこで、指導部長にお願いがあるのですが、これは小学校、中学校においては、各区市町村に指導室長を派遣していると思うんです。指導室長の権限は、管理主事よりもはるかに強大な権限と責任があると思うのですが、その派遣するときに、小学校、中学校の混合名簿がどのようになっているかということを把握して、現在は指導部が推し進めるんではなくて、校長の自主判断にというところまでは是正されてきたと思うんですが、これをやはり男と女とはっきり分けて、しかし、女子から先に読むということは一向に差し支えないことであっていつも男が先だから男の方がいばって男尊女卑だということであれば、女子の方を先に名前を呼んで、そして男子は後で、6年間レディーファーストというものを子どものころから教えていくということは非常に大事なことだろうと思うのです。 これはイデオロギーに基づいたものですから、それが組織的に入っているということを知っているはずです。それで、この指導室長の人材ですが、優秀な頭よりも腹だと。腹というのは何かといったら、命懸けで公教育に尽くす真心を持った人間、これを配置するのだと。なおかつ、その上で頭がいいと。 今度、異動要綱見直しで、このことがどれだけ校長の権限と責任が強大になったかということを校長が気がついたときに、校長は思い詰めるはずなのです。どのぐらいの人数が出るかわかりませんが、相当に校長は危険な状況にさらされるはずです。このことはよくわかっているはずなのです。ですから、まず組織的な男女混合名簿というものを是正して、そして校長サイドに立って、性教育の実態を調べて、これを東京都からなくすんだと、これが非常に大事なことだと私は思います。ですから、指導部長は指導部長で別の観点から、あなたは非常に人柄がいいから、子どもを守るためにやったんだというふうにとらえたと思いますけれども、実際はそうではないということをここで申し上げておきたいと思います。 |
| 「男女混合名簿」が意味するもの
さて、このようにして左翼組合教師が男女混合名簿闘争を開始して十数年。国立市において男女混合名簿の実施率は小学校でほぼ百%近くに達し、国旗国歌の実施率は0%になった。その結果何が起きたか? 学級崩壊が起きたのである。 次のレポートは国立の惨状をよく伝えている。 朝礼の列は、男女各一列から、男女混合二列になり、やがて男女混合二列は蛇行を始めたというわけだ。 |
| 神野 吉弘 税理士 正論5月号 平成16年 <品川区シンポジウムの非常識> ・今回のシンポジウムで、ジェンダー・フリー思想とは、男女の性差解消に始まって、性に関する規範意識や家族の解体、さらには社会規範の解体を目指すものであることを改めて実感した。 |
| 石井 英夫 産経新聞コラムニスト 諸君5月号 平成16年 <「ジェンダー・チェックをしてみませんか」(沼津市企画調整課男女共生推進室)を見て> ・「ちょっと待ってくれ。”小役人”ごときになぜ自分の生き方を分類され、しかもそれを変更せよと責められなければならぬのか」。 ・市役所が市民の税金を使い、市民をジェンダーフリー牧場の囲いのなかに牛や馬のごとく追い込んでいる。日本を危うくさせる策略に躍起となっているのである。 |
| さまもと未明 正論12月号 平成16年度 ・「女は男次第である」 -------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 「正論」平成20年4月号 <男と女、お互いにもっと意識を> ・社会的な地位や収入に関係なく家族を全力で守る父親になれればその男は立派だし、いくら社会的地位が高く収入があっても、自分のことしか考えないようでは、そんな男も女もダメだ。 ・男というものは、どうやら己の命を捧げる崇高な対象を真剣に求めるものらしい。それは性に伴う欲望を超越した騎士的な願望だ。英雄になりたい、自分が憧れる女性から認められたい。濃淡はあっても男にはそうした熱情が秘められている。そしてそれを感じさせてくれる女性を見つけたとき、人生をささげることを誓い、結婚する。 ・男も、女も、お互いを意識して成長することの大切さについて、もっと素直に考え直す時代が来ていると私は思う。(さかもと未明) |
| 千葉展正 ジャーナリスト 正論12月号 平成16年 ・男女共同参画がジェンダー・フリーを目指していると了解されていたからこそ、こうした教科書が検定をパスしたのである。こんな教科書を子供達に渡した責任を政府はどうとるのか。即刻回収すべきではないのか。⇒日本は世界一愚かな国になってしまったのではないか?左翼は本当にどうしょうもない。 ・現行の家庭科教科書で一番問題なのは、家庭と家族を陰惨な、厭うべき存在として描き出していることだと思う。・・・・家庭内暴力(ドメスティック・バイオレンス)はすべての家庭科教科書に登場する。これによって、家族・家庭を暴力的存在、暴力装置として印象づけようとする傾向は一層強まった。 ・統計によると、児童虐待の多くは育児能力の欠如した母親によって惹き起こされることが分かっている。児童虐待の悲劇を招かないためには、母親に育児を学ばせること、「母性」を伸ばすことこそ「早急に望まれる」ことではないのか。それなのに、家庭科教科書では「育児は女性の仕事ではない」と叫びたてるばかりだ。そして、母親による児童虐待が起こると、今度は「子供の人権侵害だ」「社会的対応を」と騒ぎ立てる。ここでいう「社会的対応」は、「育児の社会科」という名の子育て放棄、親子関係の断絶、家族の解体であろう。このような手法をマッチポンプと呼ぶのではなかったか。 ・非婚、事実婚、別姓、シングルマザー、同性愛など、旧来の家族道徳に反するものが賞賛される。 ・「自己決定権」や「リプロダクティブ・ヘルス」の記述もうんざりするほど登場する。自己決定権という名のセックスのすすめだ。 ・家庭科教育にフェミニズムとジェンダーフリーをはびこらせた元凶は、平成10年の「教育課程審議会」と、同答申に沿って作成された学習指導要領(11年告示)、男女共同参画社会基本法(11年公布)ーの三つだと考えている。 「男女共同参画社会の推進」を家庭科教育の基本方針に据えたのは、教育過程審議会が平成10年7月に出した答申だ。高校家庭科の基本方針は次のようなものだ。 ≪男女共同参画社会の推進、少子高齢化等への対応を考慮して、家族や生活の営みを人の一生とのかかわりの中で総合的にとらえ、家庭生活を主体的に営む能力と態度lを育てることを重視して、次のような改善を図る≫以下、7項目を列挙しているが、第一項はこうある。 ≪家族・家庭の機能、子供の発達と保育、高齢者の生活と福祉などについてライフステージごとの課題と関わらせて扱うことにより、生徒自身の問題としてとらえさせるとともに、衣食住や消費生活と環境などに関する基礎的・基本的な知識と技術を習得させることを重視する≫ これらのさりげない文言には、とてつもない意味が隠されている。それまでの家庭科は、衣食住の知識・技能を教える学科だった。ところがこの教育課程審議会の答申は、家庭科を「家族・家庭の機能とあり方を考える学科」に変えてしまったのである。・・・・・・これこそ、「男女共同参画社会の実現」という名を借りて、家族や姓のモラルの解体が政府・行政主導で進められていることの証左である。⇒審議会に左翼が入るとこうなる。 ≪家族への怨念を書き連ねる「倫理」≫ ・社会科系統の科目では、「倫理」のフェミニズム汚染度が一番ひどいと思う。 ≪男女が触れ合う「お遊び」と化した「体育」≫ ・子供たちを甘やかすだけの「ゆとり教育」と何事にも優劣をつけることを嫌う悪平等、さらにはジェンダー・フリーが体育にまで及んだ結果、体を鍛える体操や体力測定の男女別数値が消滅し、男女混合の「体ほぐし運動」が登場したのである。 |
| 大島信三 正論編集長 正論7月号 平成18年度 ・「叱る資格がないんだ。叱る親が少ない。ビンタ叩く親が少ないんだ」(松野頼三氏) ・「もちろん、直立不動だ。わたしも直立不動だったし、うんと叱られた。それがしつけなんだ。不思議に叱られる奴は、可愛がられる。わたしも、叱られた翌年には、大臣にしてくれた。叱られないうちは、だめなんだ。見込みがあるから、叱っているんだ」(松野頼三氏) ・何故叱られるのかを健全に捉えられる人物が増えてほしい」(みなとの石松) ・「もう子供も大きくなってしまって、今更なんだけれども、ここはちゃんと叱らなければと思い、こどもにいい聞かせた。長男の時は、それで別に問題がなかった。しかし、なぜか次男の時に問題が出てきた。おやじの権威が失墜して社会が変わったのだと、納得せざるを得なかった。ジェンダーフリーの影響は想像以上に大きい」(OZEKI) |
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