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GHQ(T)

終戦の詔勅 ポツダム宣言 降伏文書 日本国に対する究極の目的 マ元帥の権限 統治制度の改革 悪行の数々
無条件降伏 稲垣武 西尾幹二 石井英夫 鬼頭誠 藤原正彦 田久保忠衛 上田泰輔 前野徹 ニューディーラー
日本人洗脳計画 石原慎太郎 水間政憲 深田 匠 福田和也 ウオー・ギルト・インフォメーション・プログラム 検閲
菅原 裕 中條高徳 大蔵雄之助 遠藤浩一  中西輝政     検閲指針(プレスコード)
 マッカーサー率いる占領軍。占領軍は、敗戦から、1952(昭和27)年にサンフランシスコ講和条約が発効されて日本が主権を回復して独立するまでの6年あまりの間、徹底した言論統制の下、憲法教育基本法を強要した。
 GHQは占領国の法律を変えるという「ハーグ陸戦法規」の違反行為をおかした。主権のないときにできた、GHQが国際法を犯して作った憲法・教育基本法を変えると日本の柱は変わる。喪失した国家観国家意識を取り戻さなければならない。
 八木秀次氏(高崎大学助教授)

 占領軍は日本及び日本人を徹底的に弱体化することを考えた。人類の理想が織り込まれていると日本人自身が有り難がるほど巧妙である。
 マッカーサーはマキャベリズムを完璧に実行した男。日本という国を“骨抜き”にしただけでなく、“戦争責任”についても日本人に自らが悪かったのだと一方的に思い込ませることに成功した。
 米国が意図した、わが国と民族を解体する意志は、左翼イデオロギーと結び付いたことで今も我々を呪縛している。“マルクス主義に蝕まれた人たちが、平和、人権、平等の名の下に、この国を売ろうとしている”。⇒最近では男女共同参画社会条例の成立である。“ジェンダー・フリー教育”である。
 小堀桂一郎(東京大学名誉教授)

 GHQ民間情報教育局が策定した「ウオー・ギルト・インフォメーション・プログラム」は、戦争をしたことの罪を日本人に周知徹底させる計画である。その計画の目的や意義は、一言でいえば日本人の精神破壊頭脳改造のもくろみであります。

 その手段として一つには昭和20年12月8日から各新聞に連載された「太平洋戦争史」による宣伝がある。その翌日12月9日から週一回で十週間続いたラジオの「真相はこうだ」という番組がある。12月15日には神道指令が発令され、「大東亜戦争」という呼び方、「八紘(ハッコウ)一宇」という標語が、公刊される印刷物での使用を禁止される。「国体」という言葉も最初は禁句の中に入っていた。

 更に20年12月31日付で普通教育課程の修身国史地理の授業が禁止される。翌年度からはこれらの教科書をすっかり回収して、そのあとに、「太平洋戦争史」を使用させるという文部省の通達も出ている。

 ウオー・ギルト・インフォメーション・プログラムの第三段階、本番は、東京裁判である。審理過程についても厳しい報道管制下で批判を封じ一方的に裁判の意義を宣伝。その報道管制の強力な手段が検閲であったことは言うまでも無い。昭和23年の東京裁判の結審で判決が下され、それ以後、東京裁判史観として次第に定着していく。それに又左翼の階級闘争史観が便乗・癒着して日本国民の近代史のみならず、神代以来の歴史観を呪縛し続けることになる。

 東京裁判の示す歴史解釈への否定的な批判は、昭和27年4月の日本占領の終了、つまり、独立国家主権回復の日まで許されなかった。この占領期間に米軍による「日本軍事占領」という事業が大成功を収めた。数々の占領行政は十分以上にその目的を達成した。プログラムの付録のような形で教育勅語が教育現場から奪われる。これによって日本人の伝統的な道徳の破壊にまで成功するので、我々は現に日常不断にその禍を我が身の上にかみ締めている。

 GHQが収めた成果の程を一つの言い方で表してみると日本国民は自らの歴史を奪われたのだという表現になる。歴史を誇る意識の消えたところに独立主権国家の民としての“気概”は生じようがない。そして占領軍の目論見通り、もはや二度と米国の平和と安全を脅かそうなどという野心は持ちようがない属州の民的状況に落とされてしまっている。これが現状である。
 「GHQ悪行の数々」
 
 ・「ルーズベルト大統領と第二次世界大戦」(チャールズ・ビアード博士著)の発禁処分
 ルーズベルトを告発した書物

 ・「アメリカの鏡・日本」(歴史学者、ヘレン・ミアーズ著)の翻訳・発行の禁止
 GHQ労働局の諮問委員会のメンバーとして来日した歴史学者。アメリカ占領政策の欺瞞を暴いた書

 ・「プレスコード新聞規約)」の発表(昭和20年9月)
 連合国占領軍に対し、ネガティブな批判を加えたり、占領軍に対し、不信もしくは怨恨を感じさせるような事項を掲載してはならない。要するに情報の統制である。
 
 ・一切の報道内容について「事前検閲」をおこなうことを決定(昭和20年10月)
 とりわけ東京裁判と原爆投下に関する批判は厳しく禁じられた。日本の無実を主張したパール判事の意見書ももちろん、その内容は一言も報道されなかったばかりか、その存在させ伏せられた。
 戦時中の日本の言論の統制は、まずい箇所を墨で消すというものだった。しかし、前後の文章は残っているので、少し推察すれば何が書いてあったかおおよそ見当がついた。
 対してGHQが行ったのは完全な言論の統制である。検閲の第二条では「検閲があった事実を言ってはいけない」「検閲の痕跡を残してはならない」と定めている。この取決めによると、一部だけを消す訳にはいかないので、文章全体を書き直すというわけである。
 東京裁判に関しても、このルールが適用され、東京裁判に関する論文は、論理一貫するすべて「正しい裁判だった」と結論づけられた。これを占領期間中の7年間もやり、徹底的に日本人の洗脳を行ったのである。
 
 ・CIS(民間情報教育局)のウオー・ギルト・インフォメーション・プログラム(戦争贖罪意識宣伝計画
 GHQが行った、一連の日本人の洗脳計画。日本のメディアはだらしなく、どの新聞もGHQの徹底した言論統制・検閲に反発せず、むしろ、手先となって国民の洗脳に手を貸した
 鬼頭 誠 読売新聞社 諸君 平成15年7月

 ・占領軍は占領政策上の都合で天皇の戦争責任を問わなかったのであり、天皇が責任から『逃避』した形跡は見あたらない。
 稲垣 武 ジャーナリスト 諸君 平成15年7月号

 <GHQの一般命令第4号第2項「1945(昭和20)年10月2日」>
 ・「各層の日本人に、彼らの敗北と戦争に関する罪、現在及び将来の日本の窮乏に対する軍国主義者の責任、連合国の軍事占領の理由と目的を周知徹底せしむること」に基づく『GHQの民間情報・教育局(CIE)』の「ウオー・ギルト・インフォーメーション戦争贖罪意識宣伝計画)」の第一弾として12月8日から各新聞に一斉に連載された「太平洋戦争史」の第1回に「恥ずべし南京の大悪虐暴行沙汰/今こそ明らかに暴露/知れ軍国主義者の罪」との見出しつきで掲載された(読売報知)。

 ・新聞掲載の「太平洋戦争史」と同時に、そのラジオ版として「真相はこうだ」が12月9日からNHKで放送が開始され、それが10回で終わると「真相箱」に引き継がれた。その「陥落前の南京」では、「この南京の大虐殺こそ、近代史上稀に見る凄惨なもので、実に婦女子2万名が虐殺されたのであります」のナレーションが流された。それが東京裁判の判決では捕虜などを含めて約20万人が殺されたとなった一説によれば20万人という数字は広島・長崎の原爆投下による犠牲者数に近く、米国の戦時国際法違反から日本人の目をそらさせるために考え出されたという。その後、中国側の戦犯裁判での判決の数字、「30万人以上」が左翼マスコミや言論人によって喧伝され、教科書にも大手を振るってまかりとおるようになり、現在に至っている。

 ・日本国民の精神の背骨を折って二度と連合国に敵対しないようにしょうとしたウオー・ギルト・インフォメーションに、日本のマスコミは積極的に協力・加担した。それは占領政策に対する批判を圧殺する厳しい検閲と、違反した場合の発行禁止などを恐れたからである。検閲は戦前戦中の日本政府による検閲と違って、伏字や、記事を削除したまま発行することを禁じ、差し替え記事を掲載させるなど、検閲があることさえ一般国民にはわからせないとする悪辣巧妙なものだった。

 ・ポツダム宣言には「言論、宗教および思想の自由ならびに基本的人権の尊重は確立せらるべし」と明記されていたため、おおかたの国民は占領軍こそ自由の配給者と錯覚し、言論の自由を謳いながらGHQに都合の悪い言論・報道は封殺するという偽善には気づかなかった。又マスコミは国民の錯覚を最大限に利用し、あたかも自分達が自由な言論、報道を展開しているように装った
 西尾 幹二 「国民の歴史」 産経新聞社 1999年 633〜5頁

 ・日本国民の敵は連合国ではなく、日本の支配階級であると宣伝し、国民の怨嗟をうまく利用して、みずからへの敵意をそらした。それに乗ぜられた国民が愚かといえば愚かである。だし米占領政策がマルクス主義とドッキングして、戦後日本を今日に至るも苦しめている背景は、国民を“支配階級と被支配階級”に二分割するこの観念操作である

 ・精神の改造が企てられた。

 ・自国の歴史教科書を終戦直後は米国に、今は中国や韓国に作ってもらって満足しているのが“反日の日本人”である
 石井 英夫 産経新聞 論説委員 正論 平成15年10月号

 ・「・・・国民にその真実が隠蔽されていたために、いかに重大な被害が与えられたか」というGHQの意図にすっかり嵌った。正直に告白すると、少年の頃の一時期は、本当にそうした刷り込みを疑うことなく受け入れていました。⇒洗脳がいかに恐ろしいかだ。
 「終戦の詔勅」の凛々しく気高い精神  福地惇 大正大学教授 正論 3月号 平成16年 

 終戦の詔勅は、まず大東亜戦争の正統性を述べ、この戦争が万止むを得ないものであったことを再確認してから、朕は茲に国体を護持し得て、忠良なる爾臣民の赤誠に信よし、常に爾臣民と共に在り。・・・宜しく挙国一家子孫相伝へ、確く神州の不滅を信じ、任重くして道遠きを念ひ、総力を将来の建設に傾け、道義を篤くし、志操を硬くし、誓って国体の精華を発揚し、世界の進運に遅れざらんことを期すべしと宣うた。
 
大敗北は無念だが自暴自棄に陥らず、正々堂々として国家再建に立ち上がろうと発せられた。実に凛々しく気高い敗北宣言である。
 福地 惇 大正大学教授 正論3月号 平成16年

 ポツダム宣言第5項は「吾らの条件は左の如し」と銘記して、第六項以下最終項の第十三項に至るまで日本国の降伏条件を列挙している。
 注目すべきは、第十項日本国政府は日本国国民の間における民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障害を除去すべし」であり、第十二項前記諸目的が達成せられ且つ日本国国民の自由に表明せる意思に従い平和的傾向を有し且つ責任ある政府が樹立せらるるにおいては連合国の占領軍は直ちに日本国より撤収せらるべし」と明言されている点である。

 有条件降伏であることは明白なのである。しかも、第十項、第十二項の意味するところは、限定条件があるとしても、明らかに「国体の良い面の保持」を容認していた。それは同時に、近代国際社会の不文律=民族自決権を認めているということである。これは核心的に重要なのである
 「降伏文書」 福地 惇 正論 3月号 平成16年 

 二つの文書(「ポツダム宣言」と「降伏文書」)は連合国と日本国が取り交した条約に類する国際誓約=国際協約である。
 1945(昭和20)年9月2日、東京湾内に停泊中の米国戦艦ミズーリ号甲板上で調印された「降伏文書」には、「茲に『ポツダム宣言』の条項を誠実に履行する」と記されている。敗戦国日本は、両文書に明記された諸条件を厳格に実行する義務を課せられたが、それは同時に、戦勝国側も協約を遵守する義務を負ったことを意味する。米国政府と日本国政府はポツダム宣言と降伏文書の法的拘束を受けるのである
 「日本国に対する米国の究極の目的」 福地 惇 正論3月号 平成16年

 「日本国が再び米国の脅威となり、または世界の平和及び安全の脅威とならざることを確実にすること」。また「他国の権利を尊重し国際連合憲章の理想と原則に示されたる米国の目的を支持すべき平和的且つ責任ある政府を究極において樹立すること、米国は斯かる政府が出来得る限り民主主義的自治の原則に合致することを希望するも、自由に表示せられたる国民の意志に支持せらぜらる如何なる政治形態をも日本国に強要することは連合国の責任に非ず」(「第一部」)と言明する。
 
 最高司令官の権限は「日本国における唯一の連合国の為の執行権者」(「極東委員会・対日理事会付託条項」の「乙・連合国対日理事会」五)だと規定している。
 さらに、占領目的は次ぎの主要手段に依り達成せらるるべしとして、@日本領土の制限、A完全武装解除非軍事化軍国主義者の一掃、B民主主義的及び代議的組織の形成奨励、C平時需要に限っての自力経済の機会付与等を列記する。蓋し、これら諸条項は、明らかにポツダム宣言に明記してある事項であるから、正当である。
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 長谷川三千子 埼玉大学教授 諸君 平成19年1月号
 
 「降伏後二於ケル米国ノ初期ノ対日方針」の「究極ノ目的」
 a 日本ガ再ビ米国ノ脅威トナリ又ハ世界ノ平和ト安全ノ脅威トナルコトナキ様保証スルコト

 b 他国ノ権利ヲ尊重シ国際連合憲章ノ理想ト原則二示サレタル米国ノ目的ヲ支持スベキ平和的且責任アル政府ヲ追テ樹立スルコト、米国ハ斯ル政府ガ出来得ル限り民主主義的自治ノ原則二合致スルコトヲ希望スルモ自由二表示セラレタル国民ノ意思二支持セラレザルガ如キ政体ヲ日本二強要スルコトハ連合国ノ責任二アラズ
 「連合国最高司令官の権限」 1945(昭和20)年9月6日 福地惇 正論3月号平成16年より

 「天皇及び日本政府の国家統治の権限は、連合国最高司令官としての貴官に従属する」とマッカーサーに独裁者的絶大権力を付与し、さらに「われわれと日本との関係は、契約的基礎の上に立っているのではなく、無条件降伏を基礎とするものである」(第一項)と明記されている。これは降伏条件そのものの無視に等しい。ただ再三項には「ポツダム宣言に含まれる意向の声明は完全に実行される」ともあるので、米国政府内に見解の乱れが存在していたかも知れない
 「日本国統治制度の改革」 1946(昭和21)年1月7日 三省調整委員会作成

 改革訓令と呼ばれる文書で、憲法改正の必要性を強調したものである。そこにはポツダム宣言に掲げられた日本国占領政策に関し、「最高司令官は日本国政府当局に対し指示しなければならない」が、「最高司令官は先に列挙した諸改革の実施を日本国政府に命令するのは最後の手段としての場合に限らなければならない」と権力行使に対する抑制を指示している。

 以上の点から、米国政府のマッカーサーへの諸指令・訓令についてはーいくつかの見解の乱れがうかがえるもののー、基本的にはポツダム宣言の精神を踏まえて策定されており、我国の「民族自決権」「国体の良い面の保持を最低限認めていた事実は確認できる。米国政府はマッカーサーに対し、「明治憲法を廃棄して旧体制を根本解体せよ」とか「平和的で民主的な憲法を制定せよなどといった指令は出していないと解するべきであろう

 しかるに吉田内閣以降の歴代内閣と有力政治家、法学界や歴史学界、言論界、知識人層の圧倒的多数は、「終戦の詔書」の決意を放擲し、ポツダム宣言で日本は「無条件降伏」をしたとの立場を墨守してきた。
 マッカーサーの詐術と欺瞞に満ちた占領政治、それに阿諛迎合した輩によって終戦の詔書の精神はあっという間に棄損され、「敗北主義者」が我国の上から下までを覆い尽くしてしまったのである(福地惇 正論3月号平成16年より)。⇒日本人特有の「長いものには巻かれろ」か
 内閣憲法調査会(昭和31年6月11日、第三次鳩山一郎内閣に設置)

 8年に及ぶ議論の末、昭和39年7月3日に池田勇人首相に両論併記の最終報告書を提出したが、その中でポツダム宣言受諾は「無条件降伏」だと判定されている。これがその後一貫して政府見解になったわけで、現在の初等中等教育の社会科や歴史教科書は、無条件降伏したと説明している。しかるべき学術文献や教養図書の多くも、何の躊躇もないままポツダム宣言受諾は“無条件降伏”だと書いている

 左翼が憲法調査会の作業を保守反動のシュン道と叫び、「憲法改正」に繋がる策動だと大いに攻撃したことは本質的には大きな問題ではない。無条件降伏だとして「終戦の詔書」の精神を放擲し、国体を解体してしまえば左翼も保守も同じ穴の狢というほかないのである。

 なぜそうなってしまったのか。マッカーサーの占領政治の強力に戦後日本の政治は完敗したのである。完敗というよりも戦後日本の政治は、抵抗する意志を自ら投げ捨てた為に、マッカーサーを完勝させたのである。
 マッカーサーは「日本人は勝者に阿る民族」だと言ったが、まさにその政治的脆弱性に付け込んで日本の歴史を負の評価で真っ黒に塗りつぶし、反対給付として正の評価で占領政治を輝かせたのである。いささか感傷を込めて言えば、マッカーサーは我国の光輝ある「国体」を壊滅し、国民の愛国心を解体して、マッカーサー・ギフトの国家改造を完遂させた


 大東亜戦争の敗北に“戦後の敗北”を重ねさせられた日本国民の一人として看過できないのは、戦後歴代政府、国会、憲法学界、歴史学者が、『日本無条件降伏論』に何の反駁もしないまま諦念を慫慂したことである。またマッカーサーの狙いどおりに「敗北主義」を国民に植付け、「国体」の壊滅を合理化し、「敗戦国体制」を護持しつづけたことであり、占領政策に屈服したのみかこれを賛美して、「完敗の事実」を自ら隠蔽したことである
(福地惇 正論3月号平成16年より)
 藤原 正彦 御茶ノ水女子大学教授 正論 平成16年3月号

 <日本は楽園にいた>

 第一は連合国総司令部(GHQ)による国家意識のタブー化である。

 GHQの一大目標は、日本を「二度と立ち上がってアメリカに刃向うことのない国」にすることだった。そのためには国家意識や民族意識を育てないことである。彼等はアングロサクソン特有の巧妙な情報戦略を用いた。暴力的に日本人の価値体系を壊し彼らのものを押付けるのではなく、周到な洗脳作戦を展開させたのである。⇒暴力的にやるのは、共産シナであり、国家意識や民族意識を育てないために共産主義を利用したのである。

 教科書の不都合箇所にスミを塗り、歴史授業を中止させ、自ら用意した『太平洋戦史』なる宣伝文書を新聞各紙に連載させ、その内容を『真相はこうだ』としてNHKで十週間にわたって放送させた。ここでは大東亜戦争を日本の一方的侵略と決め付け、悪いのは軍部や軍国主義者である。国民は彼らに騙されていただけである。二発の原爆投下や東京大空襲で合計数十万の市民を殺戮する、という戦慄すべき蛮行も、アメリカでなく日本の軍部や軍国主義者のせいである日本対アメリカの戦争を国民対軍部にすりかえたのである
 と同時に、アメリカによる石油や鉄鉱の全面禁輸、アメリカにおける日本人資産の凍結などにより選択肢を失った日本が、国民一丸となって戦った戦争であったのに、国民を軍部に騙され踊らされた被害者に仕立て上げた
 国民に「本当に悪いのは貴方ではない」とささやきつつ、騙されて馬鹿なことをしてしまったとの罪悪感が沸いてくるように仕向けたのである。「戦争を憎んで敵を憎まず」や広島にある「この過ちは二度と繰返しません」はその影響であろう。

 さらに新聞、雑誌、ラジオ等に徹底した事前検閲を行い、GHQや法的根拠なき極東裁判への批判や、アメリカが憲法草案に介入したことへの言及を封じた国家や国体を重んじた教育勅語を廃止し、個人の価値や尊厳ばかりを強調した教育基本法も導入した文化伝統の中核である国語に対しては、漢字を全廃しローマ字に変えるための移行措置として、当用漢字を導入した
 これだけされれば「国家意識は戦争につながる」とか「国を愛する心は危険思想」などという、世界のどこにも見られない妄想が支配的になる
 最近の調査では、「日本が侵略された時に戦うか」という質問に答えた大学生のうち、当然と答えた者はたった数パーセントで、あとは「海外へ逃げる」とか、「すぐに降参する」であったという。
 戦後60年近く経つのに、いまだ洗脳効果を払拭できないでいるどころか深く浸透してしまったようなのである国家意識が欠けた場合、危機意識が低下するのは当然である

 第二は1990年頃まで続いた冷戦を通して、日本は何もかもアメリカに依存したからである。忠犬ハチ公の如く、尻尾を振ってきたから、アメリカもそれに応え多大な便宜を与えてくれた。日米安保で共産主義国家の脅威から守ってくれたし、当初は復興のため、後には資本主義の優等生として、経済繁栄の道をひたすら走らせてくれた。そのうえ強力な情報網により得られた情報を、気前よく与えてくれたから、日本は自ら情報を集め分析するという苦労を、ほとんどしてこなかった。日本は楽園にいた。楽園に危機意識は不要である
 田久保 忠衛  法学博士 正論 平成16年3月号

 ・敗戦によってアメリカは日本のあらゆる面での武装解除を行いました。その巧妙かつ過酷な対日政策を挙げればキリはないし、後遺症が今もどれほど日本を蝕んでいるかは言をまたない。憲法、教育基本法、国防体制と本当にマッカーサーはひどい国体破壊をやってくれた。恨みつらみをアメリカにぶつけることは可能ですが。しかしこれは、独立回復後にそれらの是正に心血を注がなかった日本人自身が情けないのです。
 上田 泰輔氏 ジャーナリスト 正論4月号 平成16年

 「あの時代は占領下で国旗も立てられないし国歌も歌えなかった。若い人たちには想像もつかないだろうがね。他国軍の占領とはそういうものなんだ。敵討ちは駄目、ということで忠臣蔵は映画も禁止、芝居も駄目だった。大体、チャンバラも駄目だと言われていた(憲法施行時の首相、吉田茂の秘書官であり、元自民党総務会長の松野頼三氏の証言より)」。⇒国旗・国歌を歌わせない日教組・全教は進駐軍のようなことをやっていることになる
 前野徹著 「日本の敵は日本人」 財界社

 <マッカーサー3つの戦略」>
 1.天皇制の存続
 ・戦後の民の反乱は抑えられた。

 2.マスコミの飼いならし
 ・言論を統制し日本人を洗脳するためには、マスコミをうまく使うのがもっとも効果的だと判断したのだ。

 3.官僚機構の温存
 日本の統治機構の基盤である官僚制度を温存してコントロールすれば、日本全体をコントロールできる。
 (1)アメリカの永続支配のため

 (2)共産主義革命の阻止
 ロシア革命後、レーニンは共産主義を流布するために、「コミュンテルン」を組織、全世界に支部を置いた。その日本支部として誕生したのが日本共産党だった。左翼分子に与えられた役割は、後方撹乱によって民族国家、主権国家を敗北に導くという戦略の遂行で、具体的には天皇制打倒、日本の転覆だった。

 日本はソ連の標的になっており、大正時代、知識人、エリートの間に左翼思想が広まった。昭和に入ってさらに左翼思想は日本の大きな脅威となった。それを阻止するために、日本政府は共産主義者を取り締まった。

 しかし、戦後、左翼勢力は息を吹き返す。この背景には、社会主義的思想をも日本人のマインド・コントロールに利用しょうとした。GHQのしたたかな計算があったのだが、それでも、共産主義国家になることだけは阻止しなければならない。

 そこで官僚だ。政治家は選挙によって変わるが、官僚は永続的に存在する。官僚に大きな権限を与え、彼等を管理しておけば体制が転覆されることもない。言ってみれば、体制維持の安全弁として官僚を活用したわけである。この役割を官僚は果たし、戦後の混乱に乗じて共産主義国家への転覆を図るソ連の野望を阻止した。

 <日本の戦後はGHQの社会主義的政策から
 ・1929年10月、大恐慌に出くわしたフランクリン・ルーズベルトは、統制経済を軸とする社会主義的な経済政策である“ニューディール政策”で切り抜けようとした。この時ブレーンとなった人々を“ニューディーラー”という。

 ニューディーラーはGHQの占領時代、民生局の中心勢力となる。日本国憲法の原案を作ったのも彼等である。戦後日本の左翼勢力の台頭は、GHQ内に数多くいた左翼“ニューディーラー”を抜きにしては語れない。

 ・なぜ、社会主義的な考え方を持つ彼等がGHQで起用されたか。一説によると、日本を共産主義の実験場にして、今後のソ連共産主義の脅威に対する対策を練るというアメリカの思惑があったと言われるが、定かでない。
 
 ・ニューディーラーがGHQ内部で幅を利かすようになったのは、本国・国務省の方針転換によるアチソンの登場と言われている。アチソンは対日懲罰政策を唱える人物で、国務省から知日派を一掃した。この本国の反日姿勢を後ろ盾に勢いづいたのが、GHQの左翼ニューディーラーたちだった。彼等は日本の歴史や伝統に全く無知で、日本に民主主義を根付かせるためには、過去の伝統を破壊しなければならないと考えていた。そこで「プレスコード新聞規約)」「ラジオコードラジオ規約)」と呼ばれる、徹底した言論・報道統制を実施、日本の過去はすべて悪で、占領軍によってはじめて日本は民主化されたとのプロパガンダを行い、日本人を洗脳しょうとした。と同時に矢継ぎ早に社会主義的政策を押し付けた。農地改革財閥解体労働組合法公布による労働運動の解禁、日教組の前進である教員組合の結成などを推進、この追い風を受けて、戦時中は弾圧されていた日本の左翼勢力が息を吹き返し、マスコミや教育界・言論界で大きな力を持つにいたった。

 さすがにニューディーラーのやりたい放題には、GHQ内部でも批判が出るようになり、1948年頃には彼等も力を失っていったが、日本の左翼勢力がそれを引継ぎ、社会主義・共産主義が戦後社会に定着し、日本の伝統精神を破壊してしまった。

 ディバイド・アンド・コンカー政策
 ・白人社会では、血で血を洗う戦いが続けられてきた。その経験から、脅威となるかもしれない相手に力を持たさないためには、常に反目しあう勢力をつくっておくことが、もっとも効果的だと知っている。その常套手段の一つが、分割統治ディバイド・アンド・コンカー)だ。

 ドイツは戦後、西ドイツと東ドイツの二つに割られ、東側陣営と西側陣営の一員となって対立した。日本も戦後、分割統治の手法が取られた。分割などされていないと思われる方がほとんどだろうが、お隣の韓国も北朝鮮も終戦時は日本の領土だった。すなわち、韓国と日本に分割し互いに反目させて、力を持たせないというのがアメリカの占領戦略の基本だった。さらに朝鮮半島では北朝鮮と韓国が相対している。

 韓国の反日感情も言ってみれば、アメリカによって仕組まれたものに過ぎない。『親日家のための弁明』を書いた韓国の新進気鋭の評論家、金完燮さんが指摘するのもそこである。

 <「左翼勢力の活用はアメリカの日本分割統治の国内版である
 日本に対して無知で社会主義を信奉するニューディーラーをおどらせて、左翼勢力を“獅子身中の虫”として育てる。同時に、左翼勢力が占拠したマスコミを飼い慣らし、“日本人の洗脳、精神破壊”に利用するという“一石ニ鳥の戦略”だ。

 左翼勢力にしても、反戦、反軍備を訴える。一見すれば、いかにも人道主義、平和主義に基づいているかのようだが、彼等の狙いはそこにはない。共産陣営の手先である左翼勢力の最大の目的は、“世界における共産主義の勝利”である。

 彼等の崇めるソ連が革命を起し勝利するためには、非軍備である方が、都合がよい。日本人が反戦、反軍備なら容易にソ連も攻め込める。反国家的な人間で日本がみたされれば、革命を起しやすい。旧社会党がかたくなに護憲を訴え、共産党が現行憲法遵守を絶対としているのも、一皮むけば、共産主義、社会主義に日本を染めかえるための戦略にすぎない。
 
 目的は違えど、左翼勢力とアメリカの利害はある意味一致していた。アメリカの最大の狙いは、二度と白人に刃向えないよう、日本を解体・改造することである。左翼の反戦、反軍備、反日は、アメリカにとっても都合が良かった。
 但し、共産主義革命が起こり、自由主義体制の転覆につながっては本末転倒だ。そうならないよう、確実な保険として“官僚組織”を担保に取り、“一定の成果が見られるとニューディーラーの政策を制限した”というのが真相のように思う。(前野徹著 「日本の敵は日本人」 財界社)⇒その官僚が今妖しい又、ニューディーラーが採用した政策も見直す必要がある。その一つが教育公務員の組合の禁止である
 「ウオー・ギルト・インフォメーション」(戦争贖罪意識宣伝計画)

  − 前野徹著 「日本の敵は日本人」 財界社 −

 1.東京裁判

 2.憲法の立案

 3.情報操作

 (1)1945(昭和20)年12月8日、GHQの指示で全国の全ての新聞が「連合国総司令部の記述せる太平洋戦争史」なる記事を一斉に掲載、17日まで10日間にわたって連載された。

 (2)1945(昭和20)年12月9日、GHQの肝いりで『真相はこうだ』というラジオ番組がはじまり、のちに『真相箱』と改題され、翌年2月まで続いた。

 GHQの洗脳計画は実に周到で『真相はこうだ』は多くの国民の耳に届くようNHKラジオ第1・第2の同時放送、放送時間も日曜の午後8時から30分といいうゴールデンタイムがあてられていた。しかも、再放送を含めると、週に5日も流されるという念のいれようである。
 太平洋戦争史も『真相はこうだ』も、日本の一般大衆が知らされていなかった事実をいまここに明かすという体裁を取った。すべて悪いのは日本国家で、国民をだましてひどい侵略戦争に引き込んだとの歴史観の刷り込みを意図していた。
 とくに『真相はかうだ』は巧妙だった。日本人の疑問に、裏事情を知る日本人がわかりやすく答える形式で、あたかもNHKが自主的につくった番組のように装われていた。

 <自らGHQをおもねった戦後マスコミ
 ・GHQの情報操作は、戦時中に行われた旧日本軍の言論統制より、はるかに悪質だった。戦時中のそれは、都合の悪いところは伏字や墨で塗りつぶすやり方だったが、占領軍が課したのは、「検閲の痕跡は残してはならない」「検閲があった事実を言ってはならない」だった。この取決めに従えば、一部を消すわけにはいかず、文章全体を改竄するしかない。「真実を報道するな」に等しかった。それこそ現在、主要マスコミが一斉に反発する言論の自由の封殺である。

 だが当時、この言論の自由の封殺に立向ったマスコミはない。プレスコードが課せられるや否や、新聞の論調はガラリと変わった。占領行政の批判はもちろん、東京裁判や原爆投下に対する非難も紙面から一切消えた。代わって大新聞の紙面を埋め尽くしたのは、旧日本軍、日本政府は悪玉で、アメリカは日本国民を救った善玉という論調だった

 ・どう考えても、一瞬のうちに十万人を超える無辜の民を奪った二度の原爆投下や、無差別空爆は許し難い暴挙であり、虐殺にほかならない。それを、道を誤った日本が懲罰を受けたのだ、というまやかしの論理で日本の罪にすりかえた
 占領軍は日本を解放し、民主主義をプレゼントしてくれた解放軍、われわれ日本人は感謝すべきだ・・・。それは終戦の年、毎日新聞のこんな記事にも現れている(11月11日付)。
 「京都、奈良はなぜ爆撃されなかった・・・たとへ軍事施設がないにしてもこれはあの猛烈な空襲期間を通じてもっとも疑問としたところであろう。終戦後三ヶ月、いまはじめてこの疑問が解けた・・・美術と歴史を尊重するアメリカの意思が京都、奈良を人類の宝として世界のため日本のため救ったのである(以下略)
 無差別空襲を非難する代わりに、京都が空襲に遭わなかったのはアメリカの文化度の高さで、日本のためを思ってのことだというのである

 ※洗脳というのは、洗脳された側は、洗脳されたことには気がつかないということである(作家伊藤桂一氏)。
 石原慎太郎 作家・東京都知事 正論11月号 平成16年

・二発の原爆投下という人類史上未曾有の攻撃を受けるまで戦い通した、ヨーロッパ近代文明のパラダイムの下ではいかにも異端異形だった有色人種の手になる当時唯一の近代軍事国家・日本を、新しい絶対的な統治者となったアメリカは二度と敵対しない存在に去勢するため徹底的に解体しょうとした。

・日本がふたたび強力な軍事国家として蘇生することを何よりも恐れたアメリカのオブセッション(強迫観念)は今も続いていると思いますが、彼らのそうした懸念というより恐怖がつくり出し、押し付けた憲法がわれわれに何をもたらしたかを思い起こさなければならない。国家としての自らの運命の与奪を他国の手に預けて顧みぬということ、つまり自分自身への責任の放棄をこそ最高の理想として謳った国家の規範が何を示しているかといえば、いかなる無責任、非責任、変節も許されるのだという日本国民全体の暗黙の合意だったでしょう。それがわれわれの下意識には依然として拭い難くあり、いかにわれわれを蝕んでいるか。
 水間政憲 メディア批評家 正論4月号 平成17年度

 GHQは、昭和20年12月31日「修身、国史、地理教科書及び教師用参考書を全部回収すべし・・・是等教科書を製紙のために中央パルプ工場に輸送する」と指令した。
 そして、昭和21年3月17日には、「焚書」指令、「(筆者注・対象書物7千七百六十九点)右出版物は中央倉庫に蒐集保管せらるべしパルプ用として之を処分する」を出している。(『連合国総司令部指令『没収指定総目録』)。その実態は「米沢郊外の河原で四万四千冊すべてを焼却した。まさに権力による焚書の典型となった」(松本剛『略奪した文化』とある。
 この一連の「焚書」は、秦の始皇帝の焚書をはるかにこえた人類史上最大の「焚書」が実行されたものと思われる。
 これに連動したGHQによる自虐史観の刷り込みは、『太平洋戦争史』『真相箱』などの新聞、洗脳ラジオ放送で徹底的に行なわれたのである。
 その結果、極東軍事裁判では、戦前の日本軍を「悪逆無道」な鬼から獣のように描くことを可能にしたのである。
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 官報号外、昭和28年2月27日ー占領下の米兵

 水間政憲氏(ジャーナリスト)の「SAPIO 2007.4.11」に載った記事です。慰安婦問題では米国に反論すべきだが『日米離反』したら絶対ダメだと思います。中共の思う壷だからです。戸井田議員の質問は又、メディア・コントロールされているのではないでしょうか。以下引用。

 1946年4月東京・大森で恐ろしい事件が勃発した。<N病院(=中村病院。その後廃業し、跡はビルと道路になった)は3台のトラックに分乗した米兵によって、およそ一時間近くも病院じゅうを荒らされた。彼らの総数は200人とか300人とかという説もある。婦人患者のうち重症者を除く40数人と看護婦17人、ほかに15ないし20人の付添婦・雑役婦などが陵辱された>
 「彼等は大病室に乱入し、妊婦・産婦・病気の婦人たちのふとんを剥ぎとり、その上にのりかかった」「2日前に生まれたばかりの赤ちゃんフミ子ちゃんは、1人の兵隊に床に蹴落とされて死んだ」「M子などは続けさまに7人の兵隊に犯され、気絶した」
 そして、「裸でころがっている間を通って、侵入してきたときと同様、彼等は表玄関と裏口から引き揚げていった」−慄然とする内容である。(中略)

 自民党の戸井田とおる議員は2月21日の衆院内閣委員会でこう質した。
 「マイク・ホンダ議員に翻訳して差し上げてもらいたい資料が出てきました。(中略)これは、官報号外、昭和28年2月27日に載った第15回国会の社会党の藤原道子議員の質問の議事録です。(中略)そこにはこのように書かれてあります。『米軍の暴行事件は、昨年12月まで独立後』独立後ですよ、『8ヶ月間におきまして1,878件を数え、なお泣き寝入りになっておりまする件数は厖大な数であろうと想像されております」

 戸井田議員は、この資料で米国に攻めに転じよと言っているわけだ。同官報にはこう続けられている。
 「各地における青少年の特に性犯罪、学童の桃色遊戯等の取調べの際、彼らは係官に対して、アメリカ兵の真似をしたことがなぜ悪いかと反問し、大人の世界に精一杯の抗議をいたしておるのであります」

 いまだに数々の戦争犯罪に対して、一度も謝罪したことのない米国に、なぜ毅然とした態度で挑まぬのか。米国は、日本を非難する前に、ワシントン国立公文書館や米軍公文書館で調査してみよ。

 慰安婦非難決議の第4項にこうある。
 「現在と未来の世代にわたり、このようなおぞましい犯罪があったことを教育せよ」
 このことば、そっくりそのまま米国にお返しする。(水間政憲 ジャーナリスト 「SAPIO 2007.4.11」)
 深田匠著 「日本人の知らない『二つのアメリカ』の世界戦略」高木書房より

 戦犯のリストアップや共産党員の釈放を担当したGHQ調査情報部調査分析課長E・H・ノ―マンは「日本軍国主義の根絶」を呼号して日本軍人を片っ端から戦犯に指定していった人物だが、FBIから「ソ連のスパイ」として追求され、米上院司法委員会の再査問を控えた1957年4月に自殺している。つまり5,000人以上の共産党員を釈放する一方で、反共の軍人・政治家・官僚・教師・その他合計209,900人をことごとく公職追放したのはソ連の意図であったということだ(296頁)。

 ≪戦争の大義とプロパガンダ
 戦後の戦勝国史観(=日本の自虐史観)では、日独伊を「ファシズム国家」、連合国を「民主国家」と決め付けて、「第二次大戦は民主主義とファシズムの戦いだ」などとする噴飯ものの珍論が堂々と横行してきた。平成16年1月17日の大学入試センター試験「世界史」には、いまだに「(第二次大戦は)民主主義とファシズムの戦争」だという記述があった。まさに民主主義の敵である共産ソ連や典型的なファシズム政権であった中華民国(国民党政権)を「「民主国家」群に分類するような馬鹿者に歴史を語る資格はない。第二次大戦とは、日独伊を中心とする「反共国家同盟」とルーズベルト米政権に英支ソを加えた「容共・共産国家連合」の対決に他ならなかった。「民主主義とファシズムの戦い」ではなく「反共主義と共産主義の戦い」であったからこそ、戦後反共に転じた米国が、長年に渡る米ソ冷戦でそして現在の米中冷戦を代わりに戦わざるをえなくなったのである。そして日本の戦いだ反共戦であったが故に、戦時中に日本共産党は日本敗戦工作に動き、戦後もこの戦争を「侵略だ、戦争犯罪だ」と悪し様に罵るのだ(530頁)。

 福田和也 文藝評論家 正論7月号 平成17年度

 米軍が釜山に上陸した直後、マ元帥は、7月8日に吉田総理に書面を送り、警察予備隊を組織するように求めた。マ元帥によれば、警察予備隊は「警察の背後にある強力な部隊で、相当高度な武装をした」部隊と定義されているが、言うまでもなく実態としては軍隊以外のなにものでもない。自らが起草した憲法のはなはだしい欺瞞が露呈することを恐れて、「軍隊」ではないと誤魔化したと、批判されても元帥には応答するすべはないだろう。この時、マ元帥が面子を守る為に施した誤魔化しが、今日にいたるまで自衛隊をめぐって生き続けている。

 再軍部の動きとともに、占領当局は、政治、言論の中枢にはびこる左翼勢力を一掃にかかった。前線基地である日本から、北朝鮮に呼応しかねない、共産主義者らを排除しなければ、アメリカは戦争遂行ができないのは当然のことである。
 開戦の三週間前の6月6日、占領軍司令部は、日本共産党中央委員24人を公職追放している。
 開戦後の26日には『赤旗』を発行停止にし、日本共産党は、事実上非合法化された。ついで、新聞、放送、メディア関係から共産党員とそんも支持者を追放するレッド・パージが発令され、ついで公務員にも及び、総計1万人以上が解雇され、職場から追われた。

 もともと占領初期から、GHQと日本共産党の関係はきわめて良好であり、共産党はアメリカ軍んを解放軍と位置づけて歓迎していたぐらいだから、そのGHQが、共産党を目の仇にしだしたことについては、おおきな戸惑いがあったに違いない。
 けれどもまた、日本共産党は、ソビエトを本部とするコミンテルンの指導下にあり、国際的な共産党の組織としてソビエト、中国、北朝鮮と同一の党派として繋がっていた。これら三国と戦争をしなければならないアメリカが、報道交通というような社会の中枢における反戦行為やサボタージュを恐れたのは、当然といえば当然であろう。

 軍備を再開し、追放を解除し、左翼勢力を中枢から排除することで、アメリカは、ようやくその占領政策の誤りを、補正しはじめたわけである。
 高橋史朗 明星大学教授 「歴史教科書10の争点」藤岡信勝著 徳間書店

 ・私がGHQ文書を調べていて大変驚いたのは、「GHQ月報」の昭和20年10月号だったと思いますが、「占領軍が東京入りしたとき、日本人の間に戦争贖罪意識はまったくといっていいほど存在しなかった。彼らは日本を戦争に導いた歩み、敗北の原因、兵士の犯した残虐行為を知らず、道徳的過失の感情はほとんどなかった。日本の敗北は単に産業と科学の劣勢原爆の故であるという信念が行き渡っていた」と書いてあったことです。道義的に誤った戦争をしたという意識は全然なかったというのです。にもかかわらず、戦後の日本人が過剰なまでの戦争贖罪意識を持つようになったのはなぜか。その背景にあるのがGHQの民間情報教育局が立案したウオー・ギルト・インフォメーション・プログラムです。
 産経新聞 平成17(2005)年8月4日(木)

 GHQは20年9月10日、検閲のスタートとなる「新聞報道方針」を発令。同月21日には「新聞条例」を発令してGHQ批判を禁止。6日後には、「新聞と言論の自由に関する新措置」によって、日本の新聞をマッカーサーの管理下に置いた。

 GHQは検閲で日本側の主張を封じ込める一方、日本人に米国の「歴史認識」を植え付けた。

 まず用語狩りを徹底した。特に「大東亜戦争」は、検閲で日本軍部を非難する論文で使われても例外なく削除を命じた。代わって「太平洋戦争」の呼称を定着させた。

 20年12月8日。GHQは、真珠湾攻撃から4周年にあたるこの日、全国の新聞に連載記事「太平洋戦争史」(GHQ民間情報教育局提供)を掲載させた。

 連載は10回にわたり、満州事変から終戦に至るまでの「日本の悪行」を強調する内容で、「真実なき軍国日本の崩壊、奪う『侵略』の基地、国民の対米憎悪をあおる」(8日付朝日新聞)、「隠蔽されし真実、今こそ明らかに暴露 恥ずべし 南京の大悪虐暴行沙汰」(読売新聞)といった見出しが躍った。

 この間の事情を研究している政党職員の福富健一が「20年12月8日は東京裁判史観が始まった日だ。『太平洋戦争史』は進歩主義や左翼思想と結びついて次第に日本に定着し、堂々と教科書に記述されるまでになった」と指摘するように、「侵略」という用語も周到に盛り込まれた。

 放送も大きな役割を担った。GHQの指導下、9日からNHKラジオは「真相はかうだ」を開始。「太平洋戦争史」をドラマ仕立てにしたもので、週一回、日曜午後八時から十回放送された。

 少年の素朴な問に、反軍国主義思想の文筆家が答える形式のドラマだ。「日本を破滅と敗北に導いた軍国主義者のリーダーの犯罪と責任を日本の聴衆者の心に刻ませる」(民間情報教育局ラジオ課)目的で、内容は一方的なものだった。

 「原子爆弾の投下は、戦いをなお続けようとするなら、日本は迅速かつ徹底的な破壊を被るという連合国側の予告を、日本の指導者が無視し、何ら回答しなかったため」「戦時中の軍指導者たちが戦争犯罪人の指名と受けるのは当然」・・・。

 「真相はこうだ」は問答形式の「真相箱」に改められ、さらに41週間続く。一方、「太平洋戦争史」は翌年4月に単行本として出版されベストセラーとなる。出版前に、文部省が「各学校は各々これを購入の上、教材として適宜利用せらるべきものとする」という通達を出していた。

 GHQが実施したメディアと、公教育を通じた宣伝工作は、60年後の今も日本人の歴史認識を縛っている。
 高橋史朗 明星大学教授 「歴史教科書10の争点」藤原信勝著 徳間書店

 ≪5つの教科書検閲基準
 @天皇に関する言葉では「現御神」「現人神」「大君」・・・がだめ。

 A国家的拡張に関する言葉では「八紘一宇」「皇国の道」「肇国の精神」

 B愛国心に繋がる用語も禁じました。愛国心がタブー視されていく源がここにある。「国体」「国家」「わが国」・・・といった言葉が例示されています。

 C日本国の神話の起源、あるいは楠木正成のような英雄及び道義的人物としての皇族、これを扱ってはならないとあります。これは愛国心につながるからだというのですが、教科書に英雄を載せない国はありません。これが戦後の教科書から英雄が消えた理由です。

 D神道や祭祀、神社に対する言及等です。精神的武装解除の核になるのは神道だと考えていましたから、神道を解体すべく昭和20年12月15日に「神道指令」をつくりました。
 菅原 裕 東京裁判弁護人・元東京弁護士会会長 諸君8月号 平成17年度

 「日本に対しては連合国はカイロ宣言当時まで無条件降伏方式を考えていたが、本土決戦の損害を回避するため、ポツダム宣言ならびに降伏文書では、日本陸海軍の無条件降伏をもってたることに譲歩したのであった。ただアメリカ始め連合国においては、早くから全軍はもちろん全世界に対して、今度の終戦処理は無条件降伏方式によると声明してきた手前、いまさら日本に対しては有条件降伏方式に譲歩したと訂正もできず、日本占領軍においても、無条件降伏したと言いがかりをつけて、これにもとづき、ポツダム宣言に違反して、追放や、憲法改正や、東京裁判をやってのけたのであった。
 中條高徳 日本国際青年文化協会会長 諸君 平成18年2月号

 ・何故、戦後の日本人はこうまで不勉強になってしまったのか。いろいろ原因が考えられますが、占領期の情報統制が大きいと思います。忘れてほしくないのは、占領下というのは、今の若い人たちが最も大切なものと考える言論の自由、思想の自由のない世界だったことです。占領軍の批判は許されず、批判した人は直ちに職を失った。それをあたかもばら色のアメリカン・デモクラシーのように見せたのは、アメリカの占領政策のうまさでしょう。
 GHQの検閲指針 産経新聞 2005(平成17)年8月4日

 《占領軍のプレスコード(30項目)は戦前の日本よりも過酷な言論統制!》
 1.連合国軍総司令部(連合軍最高司令官、マッカーサー)の批判
 2.極東国際軍事裁判批判
 3.GHQが憲法を起草したことへの批判
 4.検閲制度への直接・間接の言及
 5.米国の批判
 6.ソ連の批判
 7.英国の批判
 8.朝鮮人の批判
 9.支那の批判
10.他の連合国に対する批判
11.連合国の全体批判
12.満洲での日本人処遇への批判
13.連合国の戦前の政策に対する批判
14.第三次世界大戦への論評
15.ソ連対西側諸国の「冷戦」に関する言及
16.戦争弁護の宣伝
17.神国日本の宣伝
18.軍国主義の宣伝
19.民族主義(国家主義)の宣伝
20.大東亜に関する宣伝
21.その他の宣伝
22.戦争犯罪人の一切の正当化および擁護
23.占領軍兵士と日本女性との懇交
24.闇市場の取引
25.占領軍の批判
26.飢餓状態の誇張
27.暴力行為と不穏状態の誘導
28.虚偽の陳述
29.占領軍総司令部(または地方の軍政部)への不適当な言及
30.時期尚早の発表
 大蔵雄之助 評論家 諸君 平成18年2月号

 《敵国を堕落させるのがアングロ・サクソンの高等戦術
 ・「戦争が終わって15年位して、すっかり戦災から復興したと聞いたので出かけていった。確かに立派な建物ができていたし、道路も良くなっていた。けれども、清潔で暖かい街はなくなっていた。誰にも親切で公のために犠牲的精神を発揮する人は消えてしまった。お金がすべてでエゴイズムが横行していた。まるで別の国のようだった。・・・行ったことを後悔している。思い出だけにしておけばよかた」⇒勿論日本にも責任があるが、アングロサクソンが押し付けた堕落した社会がこれだ。(真中)
 遠藤浩一 評論家・拓殖大学客員教授 正論6月号 平成18年

 ・再び米国の脅威とならぬよう日本を解体することと、その機に乗じて左翼が勢力拡大を図ろうとすることは、不可分の関係にあったわけである。

 ・GHQ内では、民生局(GS)と参謀二部(G2)に思想上、政策上の」対立があった。ホイットニー=ケーディスのGSが、片山=芦田の中道・左派連立政権を強く支持したのに対し、ウイロビーらG2は吉田贔屓だった。マッカーサーはケーディスとウイロビーに左足と右足をそれぞれ乗せてバランスを取ろうとしていたが、その上体はしばしば大きく揺れた。
 中西輝政 京大教授 正論7月号 平成18年度

 ・故・江藤淳氏が昭和50年代にアメリカで発掘したGHQ・民間検閲部局(CCD)の内部文書には、出版・印刷物の削除または発行禁止処分の基準として「30項目」があげられていた。

 SCAP(連合国最高司令官/部)が憲法を起草した事実への一切の言及と批判GHQによる検閲が行われている事実への言及▽合衆国、ソ連、英国、中国、他の連合国にたいする批判第三次世界大戦への言及ソ連対西側諸国のいわゆる冷戦状況への言及ーなどである。これらの事実を日本人に知らせようとするあらゆる記述、報道は厳禁されていたのである。

 さらに昭和21年2月4日に制定された「教科書検閲の基準」では、天皇や神話神道に関する用語や言及とともに、愛国心につながる用語(「国体」「国家」「国民的」「我国」など)まで全てを削除対象としていた。

 これらは、単に「再び日本に戦争を起こさせない」という歯止め政策というだけにとどまらない。日本人に冷酷な国際政治の現実や諸国間の軋轢を直視させない、あるいは日本という国家を自ら主体として意識する視点を奪い去り、たとえ自国の国益に反することでも他国の主張を受け入れさせる、まさに「没主権国家」にしてしまうことにGHQの目論見があったことが分かる。
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