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家族・家庭・介護 |
| 家族の絆 村田 昇氏 (滋賀大名誉教授・教育学博士・民間臨教委員・新しい歴史教科書をつくる会 滋賀支部顧問) 人間には誰しも父母があり、その父母にはそれぞれ父母がいる。その父母にもまたそれぞれの父母が・・・。このように次々と数えていき、10代前に遡るとおよそ徳川初期となろうが、私に関係する両親の数は、2の十乗で1,024人、20代前では鎌倉時代となろうが、104万1824人、さらに30代前には平安末期であろうが、なんと10億7374万1824人となって、現在の日本の全人口のおよそ10倍に当る。この中の誰か一人でも欠けていたら、自分の生命は存在していない。このように私の生命は、過去無量の祖先の生命とその思いや願いを受け継いだものであるが、同時にその生命は長い歴史の中では誰とも繋がっていることとなり、まさしく皆が同胞であると言わなければならない。そこには目に見えない何か大いなるものの存在が感知され、ここに「畏敬されるべき生命」の根本があると言わなければならない。 江戸時代に国学を確立した本居宣長(1730〜1802)も次のように詠んでいる。これが日本古来の家についての考え方だったのであろう。 世々の親の おかげ忘るな 代よのおやは おのが氏神 わが家の神 わたくしたちが人間としてこの世に生を享けたことは、まさに「有難きことが有り得た」と言うべきであり、しかもこの世に自分の生命は二つとしてなく掛け替えのない尊いものであるが、その生命が過去無量の祖先の生命のバトンを受け継ぎ、さらに未来に繋いでいくべきものであることが自覚されなければならない。この自覚によって家族の絆が強固なものとなり、日本人として祖国に根づいたよき伝統や習慣を尊重しながら、自分がこの世で果すべき役割と責任を問い求め続けながら、祖先を貶めたり子孫に恥じるようなことのなきように努め、感謝と報恩の念を基に自らの人生を切り拓いていくことであろう。 沖縄県の金城英與氏の「人間としての誇り」と題する論考の中に見出した小学生の詩を紹介したい。 ひいおじいちゃんは宝 ぼくの家のひいおじいちゃんはもう91歳です 自分では何もできないひいおじいちゃん たまには外に出たいだろうな 散歩もしたいだろうな 思いきり走りまわりたいだろうな ぼくの家ではみんなひいおじいちゃんを 大事にしています どうしてかというと もしひいおじいちゃんが生れてこなかったら おとうさんもぼくも生れてこないことになります 今はなにもできないひいおじいちゃんだけど 若いときは家族のために働いていました それをみんな知っているから大事にしているのです ひいおじいちゃんはぼくの家の宝です もっともっと長生きして欲しいです ぼくもうんと大事にしたいと思います この小学生が91歳の寝たきりひいおじいちゃんの存在そのものの意義と尊さを十分に感得していることを知らされ、涙を誘われる。私自身この詩を読んで、遅ればせながらも、孫たちに恥ずかしい思いをさせることのなきように、また、幽明境を異にした後にも慕い続けられるよう、晩節を汚すことなく余生を過ごさなければならないと思わされた。それはともかくとして、祖父母も、父母も、揃って曾祖父母を尊敬し、感謝し、誠意をもって処遇されていることから、この子もまた、曾祖父を大切にと思うのであろう。温かい家族の絆が感じ取られる。孫も、曾孫も、家族の強固な絆で結ばれ支えあいながら、すくすくと明るく、素直で、心やさしく、しかも強く、逞しく成長している様子が伺える。そして、彼らは、この曾じいちゃんやご先祖たちがいつも自分を見守っていて下さるのだという思いを抱き、ふと道を踏み外しそうになった時にも、ご先祖様たちを泣かせてはならないと自制しながら、毎日を処していくことであろう。さらに彼らは自分の家族や親族にはもとより、地域のすべての人に対しても親しみをもち、手を繋ぎ合い、協力し合っていくことであろうことは間違いない。 ここに「家庭宗教」とも言うべきものの大切さを感じさせられる。何よりも「敬神宗祖」の心をもって、朝夕には家族が打ち揃って神仏に礼拝し、食前食後の合掌をも忘れず、感謝と報恩の心を持って協力し合いながら生きていくことが大切なのである。何よりも先ず父母が神仏に対して敬虔に手を合わすその後姿を子供たちに示したい。 「家庭教育の第1歩は、自己の家庭の歴史を子供に教えることだと思う。おじいさん、おばあさんから、自分たち夫婦に至り、あんたにつながっているという家庭の歴史を、小学生のうちに教える。それがご先祖というものを大切にする気持ちを育てることになる。ご先祖などというと、古臭いと思うかもしれないが、先祖、つまりその家の歴史を無視するところから家庭の崩壊が始まっている。」(山田恵諦「道堂々」瀬戸内寂澄編、NHK出版協会) |
| 家庭の再建 村田 昇氏 (滋賀大名誉教授・教育学博士・民間臨教委員・新しい歴史教科書をつくる会 滋賀支部顧問) 現代の産業と社会の著しい構造的変化の中で、家庭はペスタロッチやフィヒテの時代とは比較にならない程に激変し、その機能を著しく低下させ、教育力を喪失させてしまっている。少子家族化・核家族化が増大し、子供を託児所や保育園、学童保育所に預けて夫婦共に働くなかでは、家族全体が顔を合わせ、団欒やまどいのひとときをもつ機会さえも減少し、家族の絆は一般的にきわめて稀薄なものとなってしまったのである。 そこへ男女共同参画社会や男女平等の理念を盾として、家庭を否定し母性を放棄するかのような見解が、関係行政機関からさえ出されている。 例えば厚生省から出た「厚生白書」の平成十年版には「3歳児神話には合理的根拠はない」と書かれてあり、「母性」の意義を否定するばかりか、子育ても乳児期から公的機関でなされるのが当然の権利要求であるかのような風潮さえ伺われる。高等学校の一部家庭教科書には、妊娠中絶によって胎児という一人の「人間」の生命を奪うことも、これからの女性の生き方として大切であるかのような見解が展開されている。今年になって厚生労働省所管の財団法人「母子衛生研究会」が作成した小冊子「思春期のためのラブ&ボディBOOK」は、まさに「フリーセックス信仰の典型」とも言えるものであり、これが全国の中学生に配布されつつあったが、さすがに世の強い批判を受けて回収せざるを得なかった。⇒実際は回収されていない。 かっての共産主義国ないし社会主義国では。家庭はえてしてブルジョア的遺物とか平等社会主義にとって障害となるものとして廃棄されようとしたとのことであるが、これを我が国に持ち込もうとする勢力がもしあるとしたら、これは由々しき問題であると言わなければならない。 今日、少年の非行や犯罪の激増と凶悪化が全国的に憂慮されている。コンビニ店等にいしゅうし、メル友探しに狂奔し、いじめや万引きに走り、暴走族に加わりながら、やがてそれらに満足できず、いわばキレてしまって暴力に向う青少年が増加しているのであるが、これは家族の絆の弱体化と愛情喪失のために、安らぎと落ち着きを見出せる居場所がなく、内心に孤独感を抱いているから生じているのではなかろうか。 ともかく彼らには小さい時から家庭で身につけられているべき基本的な生活慣習や規範を守る態度が育てられていないし、心情も枯渇してしまっている。そればかりか親の方にも児童虐待が増加し、それも殺傷事件にまで至っている。これは、子育てをいわば他人任せにしているために、我が子に愛情を抱くことができないからではなかろうか。実際、我が子に対する愛情は、それこそ手塩にかけて育てることによって深まっていくものなのであろう。 この少年犯罪の激増と凶悪化に対して、「殺傷事件の現場に立ち、裁判の推移を凝視し、切り拓いた」とされる作家の左木隆三氏は「重大事件の被告人を見つめて気がつくのは、例外なく幼少期に不幸な経験をしている」というのであるが、日弁連子供の権利委員会幹事の伊藤芳郎氏もまた、「”母性本能”なるものは懐疑的である」とは言いながらも、自分が付添人として担当した少年事件の経験から「私は、少年非行事件については、100%親子関係に問題があると見ています。どんなに親と関係のないところで事件を起こしていても、ことの発端は親子関係にある」と結論していることに注目させられる。また、連日発表された法務省調査でも、全国の少年院入所者の約半数が両親や肉親から暴力などの虐待を受けたと訴えていた。実に今日の青少年非行の激増と凶悪化を生じさせている最大の原因は、この家庭環境にあるといわなければならないのである。 私たちは、いつの時代にあっても人間の生存の基盤は家庭にあり、とりわけ子供の人間形成にとって家庭が絶対的な意義をもつことを確認しなければならない。そうして、特定のイデオロギーに惑わされることなく、ごく当たり前の人間としての常識間隔から家庭の再建を図り、子育ての在り方について根本的に考え直すことが必要である。何よりも子育ての責任はあくまで両親にあることを自覚し、先ずは家族全体が温かい絆で結ばれ合い、暖め合うなかで、我が子に対して父母でないとできないことをしっかりと果たしていこう。特に乳幼児期には子供を母親の懐に暖かく抱きしめて、笑顔を交わし合うことから始め、その温かい愛情を基盤として基本的な生活習慣と規範をしっかりと身に付けさせることに努め、少し大きくなってから外で遊んでいたり、両親が不在である時にも、両親が、祖父母が、さらにご先祖様たちが、いつもどこかから自分を見守って下さっているのだという気持ちを子供が抱くように配慮したいのである。 さらにこの家族の絆がいわゆる「向こう三軒両隣」とも結ばれ、互に何事に対しても相談し合い、助け合い、協力し合うという良好な人間関係が築かれていくことから、やがてはこの関係が地域全体に拡がって、地域の子供は地域全体で見守り、育てていくという活動へと展開されることが望まれる。とりわけ核家族の増大に鑑み、子供たちが地域の高齢者たちと交流を行い、我が国のよき習慣や伝統文化、生活の知恵等を学ぶ機会をもつとともに、遠隔の地にいる祖父母に対しても思いを馳せるようにしたいものである。 ・「家庭を基盤として自国の美風を子孫に伝えることが祖国再建にもっとも肝要である」(フィヒテ、柳田國男、山田恵諦大僧正) |
| 「自虐史観と祖先蔑視」 村田 昇氏 (滋賀大名誉教授・教育学博士・民間臨教委員・新しい歴史教科書をつくる会 滋賀支部顧問) 今なお左翼陣営に根強い自虐史観にいたっては、「祖国への絶望が革命の早道だ」とする。レーニンの教えに基くもの以外の何ものでもなかろう。そして、それは同時に、「自分たちの祖先は野蛮で残虐であった」と思わせ、祖先を軽蔑させることに陥らせるものである。 この祖先蔑視は、エンゲルスが、近代家族のなかにおける夫はブルジョアジーを代表し、妻はプロレタリアートを代表する、という階級対立の構図で家族をとらえ、共産主義と社会主義圏内では、家庭はブルジョア的遺物とか、平等社会主義の発展にとって障害となるものとされたこととも関係しているのだろう。 戦後の駐留軍の占領政策から、日本の家族主義は封建遺制であり、民主主義の発展を阻害するものと批判したのは、歴史の浅い国の彼らにとって伝統の意義が理解できなかったことにもよろうが、より以上に、我が国の家族主義に基く民族的団結力が、彼らにとって恐怖となっていたからであるかもしれない。 |
| 村田昇 滋賀大名誉教授 「日本教育の危機とその克服」 東信堂 ・「以前は、子供は天からの授かりものと考えられていたが、子供を産むか生まないか、いつ何人生むかなどを選択する時代」「家庭一般(開隆堂)」 ・「人工妊娠中絶という方法を選択する・・・こうした選択肢は、女性の基本的人権の一つとしてとらえることができる」「家庭一般(実教出版)」 ・「生むか生まないかの最終決定は、妊娠・出産の機能をもつ女性にその決定権がある。これを性の自己決定権という」「生活一般(一橋出版)」 ・我が子に対しては仕事にかまけて思うように構ってやることができず、育児や教育に対しては経験不足から悩みや失敗の連続でしかなかった祖父母も、孫に対する可愛さは格別であり、その育児法についても、自分の経験を客観化しながら助言することもできる。 |
| 林 道義(東京女子大学教授) 諸君 平成15年 4月号 ・「国への愛」というと抽象的なので、学校で教えてもなかなな実感できるものではありません。しかし、今回の事件(拉致事件)で誰の目にも明らかになったのは「家族が成り立つには国がないと難しいー国なくして家族も人権もないーということではないでしょうか。 ・「性の自己決定権」が実現された典型的な例がピルの解禁であるが、そのピルが環境ホルモンとなって蓄積され、人間の男性を含めた生物のオスをメス化してしまうという問題が起こり、人類または地球上の生命全体にとって由々しき大問題となっている。したがって、「自己決定が他者に対してどのような影響を与えるかという配慮が必要になる。それなしの”自己決定”は、単なるわがままと無責任でしかないのである。(家族破壊 徳間書店 2000年 129頁) --------------------------------------------------- ◆ --------------------------------------------------------------- 正論4月号 平成16年 ・有識者からなる政府の審議会や懇談会で繰り返し家庭教育が基本であることが確認され、家庭教育を支えるための政策の必要性が提言されているにもかかわらず、実際には家庭教育の強化につながる施策が一向に実現しないのはなぜであろうか。 それは法律による強制力が働いていないからである。もともと日本人には、道徳や教育のような自発性の原理に基づくものは、法律による強制になじまないという考えが根強い。それゆえ教育、特に家庭教育について法律が口出しすることに対する抵抗感は相当に根強い。これが家庭教育を建て直す上で見過ごすことが出来ない障害になっている。 然し男女共同参画社会基本法に見られるように、国民の意識や観念に関することでさえ、法律によって強制し、各自治体のレベルで条例を定めて強力に推進しょうとすれば、望ましくない意識改革や”文化革命”でさえ進んでしまう。それを思えば、望ましい教育改革を法律で定めて推進することに躊躇する理由はないというべきである。 法律には理念を掲げる法と、強制力をもった法があり、憲法や教育基本法は理念を掲げる法律であり、直接の強制力を持たない。強制力を持たせるためには、具体的政策を進めるための方法を定めたり、違反に対して処罰の方法を定めた具体的な法律を必要とする。法律の体系としては、まず理念を掲げる基本法があり、次にそれを実行するための具体的な法律や政策を定めなければならない。 -------------------------------------------------------- ◆ --------------------------------------------------------- 「正論9月号 平成17年度」 なお衰えぬ「崩しの思想」の破壊力 家族の基本形を崩そうというのが「多様な家族」論である。「みんな違ってみんないい」というスローガンのもとに、離婚による片親家族も、一人家族も、同性愛家族も、なんでもいいと主張する。 ・彼らの多くは日本文化の型を継承していないし、子孫に継承させようという積極性もない。そもそも世代間のつながりそのものがなくなっている。親子のあいだでの生命・文化の引継ぎという感覚そのものが消滅している。世代から世代への文化・精神の流れが停滞しているのである。 伝えるべき精神的強さ、張り、徳性の受け継ぎはなされない。道徳的基準を与えないでおいて、「自主的に行動せよ」といい、人権や自己決定権だけを与えるのでは、子供はどうしてよいか分からなくなり、ひきこもるよりなくなってしまう。こうしてニートや引きこもりがつぎつぐに再生産されていく。 親子の断絶が注目を浴び始めたころに子供だった、その子の世代が一家を構える時になって、その親子関係が改めて注目を浴びている。高齢者になった親の世代は、「子供に頼らない」「子供に面倒を見てもらわない」「かわりに「子の面倒も見ない、孫の世話もしない、財産も自分達の代で使ってしまう」「墓はいらない、骨は粉にして散骨する」「それぞれ勝手に生きていきましょう」と言うのである。 -------------------------------------------------------- ◆ ------------------------------------------------------------ 「正論 2007年8月号」 「親は子供に何をどう教えるべきなのか」 −家庭の教育力の回復。この難題に親はどう臨めばいいか。考えるヒントを示そう− <拙速だった教育再生会議の「家庭教育の指針」> ・常識のレベルで考えても、学校教育を受けるためには基本的な人格が形成されていなければならないことは容易に理解できる。学校で座ったまま授業を受けるためには、それなりの秩序感覚と我慢強さが必要である。他の児童との協調や関係作りの能力も必要とされる。最低限のルールを理解し守る能力も必要である。そうした基本的な事柄のうち、どれを家庭で身につけさせるべきか、またそのためにはどうしたらよいのか、明確な基準を示すことが必要となるのである。 <真の“敗因”は哲学と方法論の不在> ≪提言への批判≫ 1.「家庭の内部にまでふみこむべきではない」「政府が口出しすることではない」 2.「それが出来ない人間が可哀想」 ・提言を用意した人たちは、どれだけの信念をもって出そうとしていたのか、はなはだ疑問である。 ・正しい提言の方法は、まず子育ての大切な原理を示し、それがなぜ必要かを説明した上で、その原理を実現するためには例えばこれこれの具体的行動をすることが有効だと推奨するものでなければならない。 例えば、『母子のコミュニケーションはのちのち人間関係を形成する上で基礎となる大切なものだ』という原理をまず打ち出し、そのためには母乳育児、子守唄、読み聞かせ、親子の会話を増やすなどが有効です、というように、具体例はあくまでも例として出すのが正しいやり方である。(中略) 原理をまず打ち出せば、「母乳育児」は母子のコミュニケーションをはかるいろいろある手段の一つにすぎず、一つの手段ができないからといって騒ぐのは馬鹿らしいということが理解されるだろう。 <家庭教育の要諦> ≪家庭教育で与えなければならない原理≫ 1.心の安定、安心感 ・母親の愛情が不十分だと、子供は“妬み”や“恨み”を持ちやすくなり、過度に“攻撃的”になる。 ・平たく言えば、母親が可愛がればよいのである。 ・極端なことを言えば、特別なことは何もしなくてよい。ただ笑顔で話しかけたり、世話をするだけでもよいのである。 2.良い関係の体験 ・語りかけによって言語能力が育つのはもちろんであるが、大切なのは母子のコミュニケーションの体験である。家族間の挨拶や会話が増えるほど、子供のコミュニケーション能力は増大する。 3.秩序感覚・公正感覚 ・始めに良い習慣を与えることが大切であり、最初に悪い習慣を与えてしまうと直すのに苦労するのである。この性質を利用すれば、簡単に良い秩序感覚を養うことができる。例えば、寝る時間、起きる時間、食事の時間、遊ぶ時間などを決めておくことによって、基本的な生活習慣が身につき、秩序感覚が発達するのである。秩序感覚は、他人との関係を公正に作りあげる公正感覚の基礎でもあり、ひいては礼儀や道徳の基礎となる感覚である。 ・良い秩序感覚を作るために有効なのは、第一に挨拶を教えることである。挨拶というのは、単に人間関係を円滑にするとか、礼儀を教えるという意味だけでなく、秩序を教えることにもなっている。というのは、挨拶というのは、決まり事の体系だからである。朝は「おはよう」と言う。ご飯を食べる前に「いただきます」と言う。家に帰ったら「ただいま」と言う。このように、状況に応じて決まった挨拶があり、それは一つの秩序体系をなのである。挨拶を習うことによって、子供は自然に秩序体系を身につけているのである。 次に大切なのが、秩序正しい生活習慣である。起きる時間、寝る時間、三度の食事、門限などを決めておくことは、子供の心の中に良い秩序感覚を作る上で非常に大切なことである。 さらに、家族みなが家事の分担を決めて、協力し合うことが大切である。家庭の中でお互いが協力し合っている家族の場合には、自然に各人が能力に応じて仕事を分担することが経験され、自ずと良質の秩序を経験していることになる。家族の役割分担が決まっていて協力し合っている家族では、仕事をする人としない人がいるといいうのではなく、誰もが能力に見合って仕事を分担するという秩序感覚・公正感覚と社会性が自然に身につくのである。 この感覚は将来、学校でも社会においても、チームを作って仕事をする場合に適材適所の分担をして協力し合うことがスムーズにできる基礎となる。このように、乳幼児期に良い秩序をできるだけ多く体験し、それを規範にして心と体の秩序感覚を形成することが望ましい。 4.現実感覚・生活感覚 ・人間関係を訓練する場が極端に少なくなっているので、その分、家庭における現実感覚の涵養が必要になっているのである。 5.美的感覚 ・美意識 6.恥の感覚 ・人前でのあくびや、電車の中での化粧、ましてや公衆も面前でいちゃつくという行為は、恥や恥じらいの感覚がないばかりか、美的感覚もまったく育っていないことを示している。 <家庭科教科書に見られる家庭教育の軽視> |
| 山谷 えり子(衆議院議員) 諸君 平成15年 4月号 ・戦後日本は、「国家や家族のクビキを取り去って自己解放しょう、自己決定こそが大事だ」という風潮に走りすぎました。その結果、中学生に「自分を好きか」「人の役に立てると思うか」と問いかけると、半数弱が「いいえ」と答えてしまう。自分を愛せない人間に他人を愛せ、というのはどだい無理な話です。人生の意味すら見出せない虚無の世界に迷い込んでいるのですね。 そこから脱するのに必要なのが愛情であり、その愛を育む場こそ家族なんだと思います。 --------------------------------------------------------- ◆ ----------------------------------------------------------- 「正論 2007年8月号」 <今こそ必要な親学> <本当の命の教育がない> <抱き方を知らない若い母親> <赤ちゃんポストは相談とセットで> 山谷:性教育に関しては、学習指導要領があるのに、現場では年齢にそぐわないグロテスクな性教育をするケースがあるのです。私たちは、それを止めてきました。それこそ、乳幼児と触れたり、子守唄を歌うことの方が生命教育になりますよ。「性」は生命教育なのです。教育再生会議第二次報告では「中学校、高等学校の家庭科などにおいて、生命や家族の大切さ、子育ての意義・楽しさを理解する機会を拡充する」と提言しています。 <ひとりぼっちにされた団塊の世代> 西舘:自立、独立しなさい、と言われ、一人ぼっちにされました。そのうちに、「一人寝をさせなさい。それが自立につながる」というような専門家が出てきました。とんでもない話です。それによって子供は孤独感を味わっただけでした。そして、人と一緒の心地良さを味わう機会を失いました。小さなときの体感は一生を決めます。そうしたやり方では、ますます心が乾いて、得手勝手になってしまいます。そう考えると、母乳、子守唄、栄養、食育、環境、教育、育児、こうしたものは社会に全部つながっているのですね。 <子守唄は心の原風景> <男女が互いに支え合い> 西舘:40代、50代というのは常に損得だけで考えてしまいやすいところがありませんか。 山谷:よく昔から乳児は肌を離さず、幼児は手を離さず、少年は目を離さず、青年は心を離さずと言います。また、三つ子の魂百まで、“三つ心、六つ躾、九つ言葉で末決まる”とか言います。 <母であることが喜べる日本に> |
| 菅原久子 江戸川双葉幼稚園園長 「正論 2007年8月号」 家庭教育の衰退が三歳児を蝕んでいる −母乳育児の軽視、躾不在・・・・・劣悪な子育てが招く幼稚園児の“異常”− ・子供の数全体が減っているのに、看護施設などが不足しているというのは、本来異常で危機的な状況ではないか。 <三歳児崩壊と育ち足りない親> ・学校に入った途端に、子供達が突如豹変して問題行動を起こすわけではない。学齢に達するまでに、小学校に上がるまでにしておかなければならなかったことが抜けているに過ぎないのだ。(中略)「心が満たされていない」「寂しい」「幼い」「育ち足りない」ということがその原因であると強く感じられるのである。 ・自分の思い通りにならないと、それがどんな理不尽なことであるかなどは一向に考えず、文句をいい、相手を非難し続ける自分中心で自己主張ばかりの身勝手な親。 <母乳育児の重要性> <母乳育児は基本的人権である> ・乳児期に母親に対する基本的な信頼感が築かれないと、さらなる生への希望が育たないばかりでなく、人生に対する絶望と不信感が育ってしまう。 <尊敬し合い、共鳴し合う家族像> ・母親の胸にしっかり抱かれた授乳・哺乳の天与の恵みが、経済効率重視の、また女性の自立を阻害するもののごとく、退けられた結果、子供達の心身の発達に大きな影を落としていないだろうか。 |
| 片田珠美 神戸親和女子大学教授 精神科医 「諸君」平成19年10月号 親殺しを生む家庭は父性不在である。 −教育熱心な家庭に育った優等生たちが、突然爆発。そこにはある共通したパターンが潜んでいる− <誰でもいいから殺したかった> <動機無き殺人> ●「投影」とは、自分の内部にあることを認めたくない資質、衝動、感情、欲望などを、外へ投げ捨て他者に転嫁しょうとする心の働きであり、自らの過ちや欠点と同じものを他人の中に少しでも感じ取ると、激しく非難、攻撃するのも、この投影による。自らの内なる悪を外部の他者に投影して激しく攻撃すれば、その悪を追い払えるわけだから。(片田珠美 神戸親和女子大学教授 精神科医 「諸君」平成19年10月号)⇒中韓の日本非難がまさにこれである。 <背景に被害妄想> <自立をめぐる葛藤> <母子密着の病理> (片田珠美 神戸親和女子大学教授 精神科医 「諸君」平成19年10月号) |
| 堤 尭 ジャーナリスト 「WILL=2007年11月号」 日本の政治は二世・三世議員が多く、「家業」になっている。どうも逞しさが足りない。選挙で選ばれた政治家が、権限を行使するのが自由民主主義の原則である。選挙で選ばれたわけでもない官僚が、権限を握るのは民主主義ではない(といっても馬鹿な政治家には官僚は誰もついていかないからね・・・)。今回の総裁選で福田氏を選ぶのが今の自民党の知的水準だー 情けないったらありゃしない。 「長子相続」を復活させ、「母体保護法」を廃案にもっていけば「年金」「介護」「道徳」といった厄介な問題は一挙に解決する。「イラク特措法」も総理の鶴の一声「集団自衛権を認める!」で解決する。アメリカに対しては「替わりに核武装を認めよ!」で一挙にイギリス・フランス並みの国になれる。でも今の政治屋さんでは無理でしょう。莫迦は百人寄っても莫迦は莫迦なり(夏目漱石)。以下引用。 <国家の「解体・奴隷化」を招いている根本は何か> 日本の長子相続法は、周知のように戦後、占領軍に分割相続に切り換えられた。三島由紀夫の父親・梓の著書「倅・三島由紀夫」にこんな記述がある。あるアメリカ人から梓が聞いた彼らの放言だ。 「どんな国でも、その国の家族法をズタズタにしてしまえば、その国の解体・奴隷化は簡単だ。その点、日本の家族制度は牢固で、他国に脅威を与える禍の根源になっていた。これをアメリカ製憲法で解決し、最大眼目の一つは見事に達成された。それなのに日本人は、問題の根本が一国の興亡にもかかわる民族的課題であることに気づかない。全く笑いが止まらない」 長子相続も分割相続も、それぞれメリットとデメリットを持つ。問題は比較考量だ。長子相続は、長子が全てを相続する代償に、義務として家族全員の面倒を見る。もって家を社会の核とした。分割相続は、その核をバラバラにした。家々の集合が村や町であり、これらの集合が群や市であり、さらにこれらが県を構成し、ひいては国を構成する。つまり家が国家の基礎となる。占領政策はこの核を潰した。 かくして国民一人一人がデラシネ(根無し草)となった。もろもろの社会不安は、ここから来ている。長子相続をもってすれば、年金や介護などの社会保障費は、おそらく数分の一で済むだろう。少なくとも今日の如き騒々しい問題にはならない。 パール博士はアングロ・サクソンへの対抗手段の核として、この長子相続制度の世界史的・社会的意義を明らかにしょうとした。(中島岳志著「パール判事」白水社より)(堤尭「WILL-2007年11月号) |
| エドワーズ・博美 主婦・米メリーランド大学講師 「正論」2007年12月号 「結婚して母になることはなぜ大事なのか」 −全米調査が語る離婚の弊害と家族のあり方− ・政府主導の男女共同参画政策も、その実体は、男女が互いの性差を認め合ったうえで支えあう社会とは似て非なるものだ。その最たるものが、男性と女性の性差解消を狙ったジェンダー・フリーであり、フェミニスト達の推奨する男女平等教育である。 ・離婚を推奨し、家族を貶め、母性を軽視することが経済的にも文化的にも計り知れない禍根を残し、社会全体の活力を奪うことになることを思い知らされたからだ。 <事実婚は結婚と同じでなく離婚は遺伝する> ・「父との関係が希薄なもの」を両親の離婚の有無で分けると「結婚している場合」は29%に対して「離婚した場合」は65%と高かった。 ・婚姻関係の場合、夫婦はお互いが相手のために犠牲を払うことを厭わないが、同棲者の場合、いつ壊れるか分からない関係のため、犠牲を払うことを良しとせず、そうした信頼感のなさが、さらに関係の不安定さを助長している。関係の不安定さが信頼関係を更に脆くし、悪循環の連鎖が始まると科学者は言う。「多様な家族論」がいかに詭弁であるかが窺える。 ・両親が離婚した子供はそうでない子供と比べると、大人になって結婚した後、離婚する確率を50%も上昇させている。離婚は世代を超えて繰り返される傾向があるのだ。 ・「離婚家族の子供達は、両親がお互いの間に問題があってもそれに粘り強く向き合い解決していく、そういう姿を見ないで育つ。こうした問題解決の方法といった人生にとって大切なレッスンを学ぶことなく大人になり、それゆえ自分達が結婚した後、困難に遭遇してもそれに対処する術を知らずに安易に離婚してしまう。 ・「離婚の影響は三代に及ぶ」とまで結論づけている。親による安易な離婚が、いかに子供達の人生までをも狂わせてしまうか、今一度大人達は肝に命じる必要がある。 <片親家庭の子供は自殺や依存症等のリスクが50%高> ・争いの少ない夫婦が離婚した場合、子供は精神的にダメージを受ける。米国では離婚の三分の二がこうした争いの少ない夫婦によるものだと言う。 ・片親だけの家庭で育った男の子は「自殺」「事故」「依存症」等種々の原因で死亡する率が、両親揃った家庭よりも50%も高かった。 ・逆境にあっても自分と正面から向き合ってくれる大人に恵まれた子供は、逆境をはねつけ、立派な社会人に成長している。言い換えれば、次世代の子供の育成は、我々大人がいかに子供達を指導し、子供達に向き合っていけるかにかかっている。大人が子供達から目をそらし、自分の幸せのみを追求していたのでは、とても叶うことではない。 ・社会全体が「結婚することが普通である」「結婚は社会的に善」と見なしている社会はそれ自体が健全である。 <離婚の決断と幸福感に統計的な関連性はない> ・「不幸な結婚」と感じながらも離婚や別居しなかった夫婦の三分の二は5年後には「幸せになった」と回答していた。 ・多くの人が不幸の理由として「アルコール中毒」「不倫」「罵倒雑言」「精神的無視」「鬱」「病気」「失職」など様々な苦悩を挙げていたが、大半が「自らが問題解決の努力をしたわけではなく、時間がたつにつれ問題が解決され、その結果結婚生活が幸せになった」と回答していた。 ・「自分達は結婚生活は継続すべきであると感じていた」「離婚で物事は解決するわけではないと自分達は考えていた」 ・「離婚の効用を信じない」といった社会通念や「結婚は継続すべきであるという倫理観」が社会全体に広がることが、不幸せな結婚を幸せな結婚へと導く鍵となる、と研究者は指摘している。 ・「不幸せな結婚を続けるより、離婚したほうが幸せになれる」。誰もがこう思い、根拠もないのにそれを信じてきた。しかし、アメリカの価値研究所の研究チームは、初めてこおの通説にノーという答えを突きつけた。 <全米のお母さんは子育てに情熱をもっている> <マスメディアの上滑りー米国のお母さんは意外に良妻賢母> ・「母親であることは、贈り物を与えられたようなものだ。この贈り物をどう見るかは自分次第で、全て自分の手の中だ。これほど素晴らしい事はない」 ・「社会に役立つ大人になる為にも良い子に育てる必要があり、そのための大切な仕事をしている」 ・私は日本の伝統の素晴らしさの基本は家族制度にあると思う。(エドワーズ・博美 主婦・米メリーランド大学講師 「正論」2007年12月号 ) |
| 渡部昇一 上智大学名誉教授 「何が日本をおかしくしたか」 講談社 ・国民学校以来の義務教育制度によって親の選択権は大幅に狭められ、子どもは親が教育するのではなく国家が教育するのだという観念が強くなったのは否めない。その結果、家庭での教育が戦前よりも軽くなってしまった。いわゆる「学校の荒廃」も、そのことと多いに関係があるに違いない。 |
| 福田 逸 明治大学教授・現代演劇協会理事長 ・人は自分を超えたものへの帰属意識なしでは生きていけない。家族、職場、町、社会、国ーそれが留学先であろうとなかろうと、自分を写す鏡としても帰属するものなく存在することは出来ない。 |
| 松井 和 プロデユーサー 日本の論点 2004年 ・「宇宙が我々に自信をもって〇歳児を与えた」のは人間が引き出されるべき善性を持っている証し、と私は考えたい。しかし、この善性は引き出されるべき善性であって、引き出されるプロセスに幸福が伴って初めて人類は健全に進化できる。強者(親)が弱者(幼児)と関わることで人間社会にモラル・秩序が生まれた。⇒男が強者、女が弱者ではない。 ・「女性らしく考えること」が人類の進化の鍵を握っていると確信した。論理ではない母性に思考の軸を置く時代が来ている。⇒ジェンダーフリーは男性、女性をなくすことである。後天的に“性同一性障害者”を創ろうとしている。 ・社会に親心が満ちることこそが、「子育て」の最大の意味であり、弱者に優しい社会が形成される土台だということを忘れてはならない。 ・親であることの幸福感、善性を引き出される幸福感、自己犠牲の幸福感が、勝つことに幸福を求める「強者に都合のいい幸福感」に飲み込まれつつある。⇒頼り頼られる記憶の伝承が人間社会には不可欠。 ・女性より攻撃的な男性に親心が育たない、幼児に関わる時間が減ることによって女性らしさ(母性)が社会から消え始めることが危険なのである。⇒母子家庭の率は要注意だ。 ・地球には多くの軍事政権や独裁者が存在し、自由、自立、平等という言葉を武器に闘う必然性があり、それを教えるために学校が必要なことも分かる。 しかし、この自由、自立、平等という言葉が「親子」という社会の基盤となる人間関係と相容れないということ。学校が、親心が育つ機会を奪うことを私たちは、先進する人類の一員として考えはじめなければならない。 ・女性の社会進出は強者の幸福論に行きつく。 ・インディアンに土地の所有、権利という概念を「学校」を使って教えようとした。欲と不満を植え付け、それをエネルギーに競争者を増やしていくのが資本主義の方法である。 ・今、強者であることに快感を感じる米国型幸福論の国際化が、利子さえ許さない回教とぶつかり、野心をすてることを幸福の柱とした仏教文化を呑みこもうとしている。 |
| 井上 雅夫 同志社大学教授 「日本人の忘れもの」 日本教文社 ・日本には「自然との共生」の他に「死者との共生」の文化があり、これが核心となる心情(佐伯彰一氏)。 ・「日本人が家の中に仏壇を設けて死者と同居している」ことは「死者にとってこれほどの安心はないですよ」。 ・「銀も金も玉も何せむに、優れる宝子にしかめやも」(山上憶良)をひくまでもなく、我国には古くから子を慈しむ伝統があった。今でもごく普通に使われている「子宝」という言葉にも、この伝統が自ずと現れている。・・・我々は昔から子供を「もの優しく育てる」ことによって親切で正直な礼儀正しい社会を築いてきた。 |
| 矢田部英正 武蔵野身体研究所主宰 諸君6月号 平成16年 <迷惑にならなきゃいいジャン> ・姿勢をふさわしく保つことは、消化や循環、生殖器系や夫人科系の発達とも深く関係していて、これら内臓諸器官を健全に機能させる重要な役割を果たす。ゆえに身体の崩れは美的な問題に留まらず、生理的な問題にまで触れてくるのである。ましてや体力、集中力をもっとも養わなければならない大事な時期に、ファッションの崩れとともに、子供たちがことごとく「腰抜け」状態になりつつある状況は、この国の将来を占う上で深刻な事態と言っても決しておおげさではない。 |
| 高橋史郎 正論7月号 平成16年 ・家庭はすべての教育の基盤であり、教育の原点である。 ・家庭は子供の教育に第一義的な責任をもっており、親権者は家庭で子供を教育する“義務”と“責任”がある。 ・国および地方公共団体は、家庭教育重視の趣旨にかんがみ、“家族の絆”を強化し、家庭教育の充実を図るよう支援する。 ------------------------------------------------------ ◆ ------------------------------------------------------------- 「正論 2007年8月号」 間違いだらけの家族政策 なぜ「親学」は葬られたのか −政権の号令を覆す霞ヶ関の背信と病理を暴く− ・法律上の位置づけや政権の意気込みとは対照的に、私は家族政策を担う厚生労働省や文部科学省、内閣府といった官僚社会の意識改革や政策的な見直しがなければ、健全は家族政策は実現できないと考えている。 <価値観の病理とは何か> ・今大切なことは原則の価値を見直すことである。 ・典型的なモデルの価値は貶められてはならないし、重要なことである。 ・例外への気兼ねから原則を口にすることを躊躇する光景は、霞ヶ関や永田町では広く見られる光景なのだ。こうした官僚たちが編み出す少子化対策や家族政策の問題点は後述する。 少子化の根本原因のひとつは結婚して子供を産み育てたいと思う女性が減っているということだ。ところが、施設自体が出産した女性に対して保育サービスの充実という外発的な動機付けに主眼が置かれ、子育ての意義や喜びを実感できる内発的な動機付けを充実させる視点が欠けている。これが第三の問題点だ。 <教育者としての親を育てる「親学」> ・その時々に応じた適切な親としての関わり方というものに不易なものは存在する。 ・この少女の幼少期に問題があり、親に甘えず、依存しなかったことを指摘している。この少女は一人だけで長時間黙々と遊ぶといった愛着の欠如傾向が顕著に見られたのだった(長崎小6カッターナイフ殺人事件)。 <これまでの政策見直しの動き> <未だ残る大日向雅美氏の影響> ・ジェンダーフリー思想を官僚社会が払拭できていないからだ。 ・「父性」「母性」という言葉を文科省も避けている。 ・中教審は「親になる為の学習」「親が親として育ち、力をつけるような学習」の必要性を強調しているにもかかわらず、家庭教育のあり方の根本が定まらない。これは「男女共同参画の視点に立った家庭教育」の固定観念から脱却できないからである。 ・大日向氏の考え方に基づいて推進されてきたこれまでの「男女共同参画の視点に立った家庭教育推進方策」を根本的に見直さない限り、「教育再生」はあり得ない。 ・一向に改善や政策転換が図られないのは従来の政策を推進してきた面々が今猶影響力を残し、国策を蝕んでいる実態があるからである。 |
| 岡本明子 ジャーナリスト 正論8月号 平成16年 ・スウェーデンにおいては、法律婚、事実婚、同姓間の結婚が混在し、家庭環境が複雑になったことで、犯罪が多発し子供達に深刻な影響を及ぼしている。 ・日本では子供の社会科は完全に家庭の中でなされるから、子供のパーソナリティは統合的であるが、スウェーデンでは、子供の社会科には何人もの大人が関わるので境界人的なものになり、生活環境に困難が生じ、それが犯罪につながるケースがある。(社会学者ゼッターバーグ博士) ・世の中には変えていいものと、変えてはいけないものがある。一時の状況の変化には時限的措置をとればよい。人間の根源的な関係は、家族からはじまることを忘れてはいけない。そして、これは絶対に変えてはいけないものなのだ。 -------------------------------------------------------- ◆ ----------------------------------------------------------- 「正論 2007年8月号」 「日本で報道されない欧州が陥った家族政策の袋小路」 −赤い国連。フェミニズム路線の欧州。両者への“信仰”による政策輸入をやめよ− <民族の命運を握る少子化問題> ・「私達のギリシャの時代に、子供の死と人口の崩壊が訪れた。・・・・ショーと金銭への情熱や、怠惰な生活の享楽に誘われるようになった男達が、それに注意を払うことがないまま、この害悪は急速に育っていった」 ・それは、繁殖力のない民族は消えゆき、繁殖する民族の力が文明さえも変えて行くということだ。それを歴史が証明しているということなのである。 <フェミニズムへの迎合が欧州の基本姿勢> ・自然な家族の原動力とは、本来、父親というものは子供のために一生懸命に働くものだということである。 <欧州偏重の日本の家族政策> ・フランスの出生率を上げたのは、未婚の母であって、家庭と仕事の両立支援が出生率を上げたわけではない。又、確認しておかなければならないことは、出生率が上がっても、婚外子が増えた社会は決して健全とは言えないということである。 <日本独自に家族擁護の政策を> |
| さかもと未明 漫画家 正論10月号 平成16年 ・どんな社会であれ、幸福に必要なものは、「他人との比較」など問題にならぬ人間としての「誇り」と「自制心」ではないか。 ・私達は子どもにお金やモノを買い与える必要はない。親が子どもに与えるべきは「自己の欲望とどう付き合うか」の知恵と、どんな境遇にあっても保ちえる「誇りと自制心」である。幸福は心の中にあるのだ。 |
| 三重の主婦 えみ子 正論10月号 平成16年 ・エプロンをつけない主婦、もし、そんな主婦が多くなっているのだとしたら、家事がおろそかにされている現代の風潮と、相関性があるのかもしれないと思う。 |
| 山本夏彦著 「誰か戦前を知らないか」 文芸春秋 山本:老若男女がいて生れてくる赤ん坊がいて、はじめて浮世です。よく老人ホームの中でも恋愛があって微笑ましいなんて書いているが、馬鹿な。汚らしいだけです。 |
| 末田 直明 元教員 64歳 正論12月号 平成16年 自分は戦場で多くの兵士が死んでいくのを見て来た。死の間際に「お母さん」と言って死んでいった兵士は沢山いたが、「お父さん」と言った兵士は一人もいなかった。家庭では、父親は子供に対して厳しく接し、その父親の厳しさに対して、母親が優しく慈しんで育てる。これが家庭教育の理想の姿であり、戦前の家庭では一般的であった。だからこそ、死の間際には、厳しかった父親の姿ではなく、優しかった母親の姿が脳裏をかすめて「お母さん」という言葉になったのだろう。厳しい父親と優しい母親が車の両輪となって子供を育てなければ、子供は真っ直ぐには育たない。学校でも同じで、厳しく接する教師と優しく接する教師が必要だ。お前は厳しく接する役回りを務めろ、と言われた。 帝国軍人の言葉には何か重みを感じて、とうとう「鬼の末田」の役回りを長年務めることになった。 |
| 中山成彬 文科大臣 諸君5月号 平成17年度 中山:北朝鮮による拉致被害者の方々の話では、あの国では親子が無理やり引き離されて、盆と正月位しか会えなかったそうです。しかしいろんな研究で明らかなように、小さい頃はお母さんが赤ちゃんを抱っこしながら本を読み聞かせたり、いい音楽を聞かせたりするのがいいそうです。余裕のある人はできるだけ、いや、なくてもできるだけ時間を取って子供と接触することで、ちゃんとした子供が育つのではないでしょうか。 細川珠生:イギリスには「子育て命令法」という法律があって、子供が非行不登校などになると親に罰金刑が課せられます。こういった親の責任を問う方法を日本でも考えないといけません。 |
| 菅野覚明 東京大学大学院教授 諸君5月号 平成17年度 戦後の民法改正によって、イエが大家族から核家族主体にされた影響が大きいです。私の親の世代までは佐藤愛子さんの『血脈』(文春文庫)のように、居候だの養子だの、どういう血筋かわからない者同士がゴチャゴチャと一つ屋根の下にいるのが珍しくなく、それこそが日本のイエでした。何故戦後イエが毛嫌いされたのでしょうか。近代というものは「個」を重視するとはいえ、うまく軟着陸できたはずです。 |
| 千葉展正 ジャーナリスト 正論6月号 平成17年度 「大人は(中略)子供の人格を育み、慣習と文化を伝え、ルールやマナーを身につけさせて社会に送り出す。子供は成長すれば家族をつくり、新しい子供を育てていく。また老いた家族を支え介護することも、その責任である」(扶桑社) 「家族は、男女の結婚によって成立する。やがて、夫婦の間に子供が生れ、育てられる。両親は、子供に言葉を教え、基本的な生活習慣を身につけさせ、行動のしかたなどを教える。そうしたなかで、ものの見方や考え方、性格や感情なども形づくられていく。家庭は、新しく生まれてきた子供たちに、社会生活に必要な基本を教える場である(教育出版)。 |
| 上坂冬子 評論家 正論8月号 平成17年度 かって「戸主」や「家督」が日本の社会の秩序の根幹にあった。それをそのまま取り戻せとはいわないが、家族や家を社会秩序の根幹とすることのどこがいけないのか。たとえば「婚姻は家族の合意に基づいて、一家の平穏を願いつつ健全な社会の礎たるべく」成立させろと書けばいいではないか。 親子の間で雑炊の盛り加減を見比べた時代はとうに終わり、衣食足りたおかげで個人は自立しすぎるほど自立している。成人男女が親を見くびり家を捨てて一人前になったと錯覚したことが、少子時代を招き介護手当ての膨張を来していることに政治家なら当然きづくべきだ。 |
| M・Fさん(公務員) 千葉県佐原市 産経新聞2005年7月18日(月) ≪家族の痛み救う娘の笑顔≫ 今年2月7日、我が家に長女、里歩が誕生しました。私はいままで感じたことのない喜びと幸福を味わいました。家族もみな大喜びで笑顔が増え、家の中が明るくなりました。ところが、それから1ヵ月後の3月8日、私の祖父が85歳で天国へ旅たちました。ひ孫の誕生からわずか1ヶ月後のことでした。里歩を祖父に見てもらい、だっこしてもらいたかったのですが、「病院には連れてくるな。退院したら見るから」と言い、結局、かないませんでした。生まれたばかりで雑菌などへの感染を心配した、祖父の孫を思う気持ちが言わせた言葉にやり切れない気持ちでいっぱいでした。 里歩の誕生から祖父の死までの1ヶ月の間に、生と死を間近で感じた私達家族は、改めて「個」の大切さ、生きていくことのすばらしさを痛感しました。夫を亡くし、悲しみの底にいた私の祖母を救ったのは、まぎれもなく新しく家族になったひ孫である里歩の笑顔です。いま里歩は5ヶ月になり、周りから「ひいおじいちゃん似だね」とよく言われます。家族を救うのは家族、そしてこのように代々家族が繋がっていくのだと感じています。きっと天国で祖父も笑っていることでしょう。 (コメント)家族を搾取の体系と見る思想なるものはいかに異常な思想であるかがわかる。 |
| 三浦 展 カルチャースタディーズ研究所 光文社新書 ・若いうちは親元にいて、その後、結婚して夫婦だけで暮らし、子供ができたらできれば親元に住むのが最も「下」になりにくい生き方だということである。あまりにも保守的だが、実態はやはりそれが幸せのパターンのようである。 ・所得400万円は女性が「下」から抜け出す最低ラインなのである。 ・派遣社員は結婚、出産がしにくい雇用形態ではないかという仮説がなりたつ。 ・階層が違うと話が合わない。 |
| 鎌田 實 諏訪中央病院名誉院長 WILL3月号 《家族の6つの役割》 1.産むこと 2.育てること 3.ともに成長すること 4.看取ること 5.葬ること 6.忘れないこと |
| 日垣 隆 作家 ジャーナリスト WILL11月号 平成18年度 ・結局のところ結婚は、主観的には「一番と思える人と一緒になる」と信じることだが、客観的には「妥協する」ことであり、「とにもかくにも一緒に決断する」ことである。 幸せな人生とは、その妥協を運命と受け止められる潔さであるように思える。 |
| 水島 総 日本文化チャンネル桜 社長 WILL11月号 平成18年度 家族の視線と意識が、それまで向かっていた中心的存在から、テレビに向かうようになったのである。それだけでなく、家族同士もお互いの意識と視線を向けなくなった。家族の視線と意識の中心に鎮座したテレビは、「家族」という相互共通意識を希薄化させ、「家族」を個人の集合体に分解、変容させたのである。 ・父親の権威は、テレビによって失墜し、世間や社会を教えてくれる父親は必要なくなった(ように思われた)のである。 |
| 殿山康雄 大成高等学校校長 諸君12月号 平成18年度 《「いじめによる自殺」はフェミニズムの影響だ!》 「いじめによる自殺」が多発するのは「家庭の力」が弱くなっているからだ。家庭を弱くする原因をつくっているのは、社会、国家の単位を「家庭」ではなく「個人」とする左翼思想(フェミニズム)の影響である。それがボディブローのようにこの社会に効いてきた。子供達が一人前になるまでの唯一の防波堤の「家庭」が次々と決壊しているのだから、子供の犠牲が増えるのは当然ではないか。大本の教育基本法の改正で左翼に不当な介入をさせないようにする以外、根本的な解決は図れない。フリーター、ニートの大量発生の原因が「個性教育」であるように、「いじめによる自殺」の原因はフェミニズムによる「家庭の崩壊」が非常に大きい。左翼に任せると「平等」を実現するどころ「格差(機会の不平等)」が拡がるばかりである。以下引用。 どうして、大人は、親は、学校は、校長・教頭は、教師は、この子供達の本当の内心の痛みがわからないまま来たのだろうか。 現代日本の子供達の内心の痛みとは、例えば学校におけるクラスメイトとの人間関係をどう築けば仲間の中で無視されずに、いじめられずに生きていけるか、両親が離婚しないで仲良くしてもらえるにはどうしたらいいか、幼い心で必死になって考えている痛みである。 現代の日本では、子供の子供らしい生活の場は家庭と学校(地域や原っぱが消えて、その代わりの場が熟かもしれない)しかないのだ。そしてその家庭が崩壊している事例が少なからず報告されている。このことに親や教師は気づいて真剣に、考えているのだろうか。(殿山康雄 大成高等学校校長 諸君12月号 平成18年度) |
| 残間里江子 プロデューサー・クリエイティブ・シニア代表取締役社長 ・遠藤さんたちの世代は、子育ても夫婦の関係も、ちゃんと完結されている。団塊の世代の女達はその点、家庭も夫も子供も、みんな中途半端。それはずーと、「自分探し」ばっかりしているからなんですよ。 平和裡に親元を出るのは結婚だけだったから結婚したけそ、それでも「私って何?」と思い続けてウン十年みたいな。三田誠広の「僕って何?」はまさに団塊の世代を描いた小説でしたからね。 結婚で百%変わるかと思ったけど、何も変わらなかった。自分の身のうちから新しい命を出すのだと出産してみたけど、変わらなかった、と最終的にまだ「私」が完全燃焼しきれていない。 |
| 「正論 3月号 平成19年」 国家と教育の再生は「家族」から始まる 櫻井よし子、西川京子、山谷えり子、長谷川三千子 櫻井:大塚先生は、基本は家庭教育だとおっしゃいます。まずきちんと食べさせること。十分な睡眠を取らせること。事の善悪や常識を教えてやること。責任をもたせること。加えて授業をおもしろくすること。この五点が柱だといいます。 櫻井:良い子供を育てようと思ったら、まず丈夫な体をつくってやる必要がある。 櫻井:もの言わぬ植物に対する優しさを心の中に育むことができた子供たちは、クラスメートに対して優しいし、お年寄りに対しても優しい。家族に対しても優しい。人間としての優しさを心の中に育むことができます。 櫻井:私達の国は戦後、歴史というものを置き去りにしてきました。歴史を教えないできた民族が日本人であります。義務教育で、歴史という独立した科目がなくなってもう久しい。小学校では社会、中学校では公民的分野と地理的分野と歴史的分野の総称が社会科となっています。歴史は社会科の一部に過ぎません。これほど自分たちの歴史を疎かにする国は日本だけです。 我が国は歴史を知らない若者たちを社会に送り出しているのです。しかし日本史を知らない者は日本人ではありません。日本人は日本の歴史を知って初めて本当の意味で日本人になる。私はここから現在の多くの乱れが生まれていると思います。対中へっぴり腰外交もそこから生れていると思います。 櫻井:日本では、天皇が、仏教を受け入れるかどうか議論をするとしました。そして日本人は50年間も議論をするんですね。 長谷川:「法律に基づいて行われる教育行政というものはは、これはもう不当な支配には属さない・・・・特定の組合に属している教職員の人たち、そういう人たちにこのことをはっきりとわかってもらわなければなりません」 長谷川:「戦前の日本」といえば即「悪」と考える風潮に染まってらっしゃる方々が社会や世論をリードする分野に、しっかりといるわけですね。 山谷:国と都道府県・市町村の教育委員会の間の権限と責任分担が不明確で、事なかれ主義、隠蔽主義が見られるところもあります。 山谷:生命がきちんと継承されていくために経済活動があるのに、どちらが主役なのか分からなくなっています。 山谷:二十代まで遡ると百万人ものご先祖様が命を継承してくれて、守ってくれている。 |
| 佐藤健志 評論家 正論5月号 平成19年度 崩れゆく「家」と「国」 エドマンド・バーク:「伝統を重視する国家においては、人々の自由や権利も『上の世代より受け継ぎ、いずれは下の世代に受け継がせる世襲財産』」(フランス革命についての省察「1790年」) 1.「部分部分における栄枯盛衰の繰り返しを通じて、全体の活力を維持する」という自然界のあり方と変わらない。ゆえに伝統を重視する国家には、自然界と同じ恒久性が備わる。 2.自由や権利を世襲財産と見なすことは、国全体をひとつの家族のようにとらえる傾向を育み、社会に愛情や暖かみといった性質をもたらす。しかも「国家=家族」の意識を持ち、過去にたいする責任も自覚していれば、人は「先祖眼前に常に自分がいるように考える」ので、勝手な行動をつつしむ。 要するに「国家=自然」にして「国家=家族」であれば、社会秩序は末長く安泰というわけながら、この二つの等式を同時に成立させるには、「家族=自然」なる第三の等式が必要となろう。はたせるかな、いわゆる保守派の提唱する家族観は、「家族=自然」と「家族=国家」の概念を基盤とする。 「家族=自然」の概念とは、家族を形成するのが人間にとって本能的、つまり自然な行為であり、したがって家族を否定したがるのは自然そのものに反すると見なす立場と定義できる。 <保守主義的家族観を検証する> ・家族のあり方が全体的に病弊を抱えているとき、国家が健全でありうるはずはないし、逆に国家が病弊を抱えているとき、家族が健全性を保つのも難しいと思われる。⇒「One for All , All For One」の関係ではないだろうか。 ・「家族=国家」の等式ばかりにこだわって、両者が対立概念としての性格も有する点に目をつぶるようでは、とうてい現実を直視しているとは言い難い。「家族=反国家」や「国家=反家族」の等式とて、等しく成立するのである。のみならず戦前のイエ制度を抑圧的なものと見なす風潮の存在が示すとおり、家族の利益は、当の家族を構成する個々の成員の利益とすら相反しうる。⇒孝を立てれば忠が立たず、忠を立てれば孝が立たず。個人主義⇔家族主義。 <伝統否定のもたらす影響>ー左翼とはこのような人間ではないだろうか。だから平然と日本の過去を否定できる。 ・重要なのは、「成り上がりの傲慢さ」という語句である。自分が一代ですべてを築いたと考える人間は、前の世代の恩恵を受けているという意識を欠くがゆえに、「自分さえ良ければそれで良い」とする態度にどうしても陥るのだ。そのような者が家庭を作ったとき、生まれてくる下の世代にどう接するかは自明ではないだろうか。 「過去を否定する家族」では、良い子の概念も「伝統的な価値観を受け継ぎ、社会や国家の一員たる自覚を持つ子」ではなく、「とにかく親に迎合・服従する子」へと変貌する。両者の区別が完全につけられなくなって、「親に迎合・服従することこそ、伝統的価値観を継承すること」という錯覚が生じる可能性も十分考えられよう。親は子に比べれば「過去」に属しており、そのぶん「伝統」にも近い理屈だが、自分よりも前の世代に対する敬意を欠いた親にとり、これは「自分=伝統」なる誇大妄想の図式を成立させる格好の口実となる。 <兄弟殺しと国の崩壊> 「ネイション」(国民)なる言葉は「一緒に生まれた者同士」というニュアンスを含み、従って「国民=兄弟」の発想をはらんでいる点、および国家と家族の間には「一蓮托生」的な関連性がうかがわれる点にほかならない。⇒同胞(ハラカラ)意識。 <求められる発想の転換> ・「家は国、国は家」の図式は保守主義的家族観の基盤をなすし、近代化が進むにつれ、当の家族観は「親の世代の自己絶対化」をうながすものに変貌する。そしてかかる絶対化のもとでは、下の世代は抑圧されたあげく、最悪の場合、互いに殺し合うはめに陥るのだ。テロに対するアメリカの強硬な姿勢が、かえって国際秩序を不安定にすることはよく指摘されるものの、これとて、「親が抑圧的にすぎると、子供もさまざまな暴力に走る」という構図と瓜二つではないか。(中略) 保守派に求めれるのは、家族のあり方に関するみずからの理念がすくなからぬ問題点を抱えていると率直に認め、「伝統が否定されてしまった時代に、なお社会や国家の基盤たりうる家族像」を新たに模索する方向へ、思い切った発想の変換をはかることといえる。(中略) 真の保守派は謙虚さを身上としなければならないのである。 ------------------------------------------------------- ◇ ---------------------------------------------------------- 「正論」平成19年10月号 妖怪映画と家族再生 保守には「闇」が必要だ <合理的な保守はありうるか> <闇を体現する者たち> <妖怪を斬る条件とは> <家庭劇としての「さくや」> ・「家族は契約という合理性を基盤とすべきか、あるいは情愛という非合理性を基盤とすべきか」を主題とした家庭劇 <安藤希の役柄の変化> <非合理なくして家族なし> ・「合理主義を捨てられない限り、家族はそうそう再生しない」と悟ることなのだ。 |
| 中川 徹 日立製作所・日立健康管理センター医長 「正論」平成20年3月号 <自分の足でトイレに行けない> 平均寿命:男性79.00歳(世界第2)、女性85.81歳(世界第1) 健康寿命:男性72.3歳、女性77.7歳 自分の足でトイレに行けない期間:男性6.7年、女性8.11年 |
| 真中行造の介護日誌
日本は「要介護5」のレベル? 「見えず語らず 食べられず 胃ろうの管が 命綱」。 脳梗塞のおふくろは「運」と「生命力の強さ」で辛うじて生き長らえているが、日本国家も、そうではないのか。「要介護5」のレベルではないのか。であるなら、つくる会の同志は全員さながら国家の『介護士』だ! 「7月25日(金)」 ・朝一に 母の顔見て 涙する ・判らない 片眼は開けど 応えなし ・タオルにて 顔を拭くと 笑顔かな ・目薬の 気持ちいいかに 母こくり ・舌苔に 何度も洗う ブラシかな 「7月26日(土)」 ・母倒れ 介護三昧 一月半 ・四肢襲う 敵は硬直 リハビリの鬼 ・同室の 患者個室に 二人目だ ・本日も 母を相手に あいうえお ・ベットにて 座る訓練 支え要る 7月27日(日) ・朝つらい 介護の疲れか 腰痛い ・気力 体力 負けてたまるか 執念だ ・親倒れ 駆けつける子は 3割と ・つらいこと 応答なしの 帰宅かな ・カラスの声 目覚ましよりも 気にかかる |
| 真中行造 つくる会会員 孟子曰 人有恒言 皆曰天下国家 天下之本在国 国之本在家 家之本在身。 (孟子曰く、人恒の言あり。皆曰く、天下国家と。天下の本は国にあり。国の本は家にあり。家の本は身にあり) |