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国際連合(T) |
| 戦争の放棄 横田喜三郎著 1947(昭和22)年10月15日印刷 すでに現在において、相当に進歩した国際組織が設けられているが、将来においては、ますます強化されると予想される。おそらく、世界政府とか、世界国家にまで発展するだろう。もしそうだとすると、戦争や武力行使を有力に防止することが可能となる。単に条約上で放棄され、禁止されるだけでなく、実際上で現実に実現されるようになる。⇒半世紀以上経つが、相変らず各国の利害、特に大国の利害が対立している。世界政府とか世界国家の建設は程遠い。幻想である。 <国際連合憲章> 第1条 「この目的のために、平和に対する脅威の防止と除去、侵略行為と他の平和破壊の制止にとって効果的な集団的の措置をとり、また、平和の破壊にみちびくおそれのある国際紛争や事態を、平和的な手段で、正義の原則に従って、処理または解決する」 第2条 「いっさいの連合国は・・・平和的な手段によって、その国際紛争を解決すべきである」(紛争を解決する手段としての戦争や武力の行使の禁止) 「いっさいの連合国は、その国際関係において、いかなる国の領土保全や政治的独立に対しても、また、連合の目的と両立しない、いかなる他の方法によっても、強力による威嚇や強力の行使をつつしまなくてはならない」(武力の行使や威嚇の禁止)→北朝鮮の核ミサイルのように強力な兵器をもたれると脅威を感じ、威嚇されているように感じるものだ。第2条違反である(当サイト) 第6章 「紛争の平和的解決」 第33条から第38条にわたって、平和的解決の方法を詳細に規定している。 第7章 「平和の脅威 その破壊、侵略行為に関する行為」 第39条から第51条にわたって、これらの行為を防止するための措置を規定している。 ※国際連合憲章は、戦争や武力行使の規定に集中し、直接・明白・詳細に規定している点に特徴がある。 ※イラク・北朝鮮の問題を見れば解かるように、国際社会を構成している諸国が共同して制裁を加えるほかないのだが、利害が一致しない為にむずかしいのが現状である。 ※国際法上で一般に認められるところの制裁には、原状回復、損害賠償、謝罪、違法行為の否認、責任者の処罰というような制裁がある。戦争の禁止についても、同様である。その違反に対する制裁について、条約のうちに特別な規定がないときは、この方法で制裁が加えられる。もっとも、この方法による制裁は、個々の国家の間で、その一方から他方に対して加えられるものである。国際社会によって、個々の国家に加えられるものでない。したがって、この場合には、単純な違法行為としての性質を有するにとどまり、犯罪としての性質を有しない。 ※平和に対する脅威、平和の破壊、侵略行為がある場合に、つまり侵略的な戦争や武力の行使がある場合に、連合が強制措置をとるべきこととしている。 強制措置としては、経済関係、交通関係、外交関係の断絶のように、非兵力的な措置もあるが(第41条)、陸海空軍による兵力的な措置のこともある(第42条)。兵力的な措置については、それを迅速に、また有力に行う為に、あらかじめ特別協定を結び、必要な場合に、それぞれの連合国から提供すべき兵力、便益、援助を定めておく事になっている。兵力については、その種類や数、出動準備の程度などを定めるのである。便益というのは、飛行場や港などの基地の提供、軍隊の通過の許可などである(第43条)。 なお空軍については、ただちに連合の使用に供すべき一定の部隊を用意しておくことになっている(第45条)。また、これらの兵力の使用については、軍事参謀委員会が計画を立て(第46条)、実際の戦略的指揮にあたる(第47条)。この委員会は常任理事国の参謀総長かその代表者で組織されるもので、非常に有力な機関である(第47条)。 この強制措置は、すべての連合国の協力のもとに、国際連合の安全保障理事会が主導的な立場に立って行うことになっている。それは連合そのものが行うことを意味する。連合は世界のほとんどすべての国を包含する国際組織であって、ほとんど国際社会そのものである。そうしてみると、連合の制裁は、だいたいに、国際社会によって個々の違法な国家に加えられるもので、かような制裁を加えられる戦争は、国際犯罪としての性質を有するということになる。 国際連盟の場合にも、ほぼ同様なことがいえたが、国際連合の場合には、少数の国家の反対があっても、それを押し切って、有力な防止の措置を決定することができる。制裁のための機構が整備され、兵力が組織化されているだけに、いっそう強い程度で、そういうことができるわけである。 安全保障理事会は、平和と安全を確保するために、第一次的責任を負うのであるが、この責任のもとに行動するさいに、それはすべての連合国を代表して行動するものとされる。したがって、すべての連合国は、安全保障理事会の決議を承認し、これを実施することを要する(第25条)。そのために、すべての連合国が一致して共同に行動することになる。そうする義務がある。 ※これからの世界では、軍備や戦争によって、国家の利益を推進し、地位の向上を図るというようなことは不可能だ。→本当?ロシアが政治的大国でいられるのはどうして?(当サイト) |
| 西尾 幹二 電気通信大学名誉教授 正論 平成15年5月号 ・周知の通り、国連は今まで無力な存在であった。冷戦時代が終わって、国連が何ほどか機能しているかのごとき幻想が今始まり、これからますます機能してくる、というが、果たしてそうだろうか。米国が国連に背中を向ける時代が来る事だってあり得る。 ・東アジアでは、中国の気にいらないことは、国連を通じてでは、何も実行できないはずである。 ・「国連平和協力法」は日本の防衛行動を国連に縛り付け、不自由にする法律である。同盟国米国は、日本は自分よりも国連の方を尊重しているのだろうか、と猜疑心を抱くことになろう。 ・防衛行動はつねにフリーハンドでなければいけない。もちろん、米国にも一方的に縛られるのはまずい。けれども、実際上の力をもつ米国との軍事的協調の維持こそが、日本の安全にとって不可欠である以上、米国に対しては少しずつフリーである方向を目指しながら、合理的に行動していかなくてはならない。ところが、国連相手となると、そうではない。何の頼りにもならない、空虚なフィクションである国連に自国の防衛を永久に縛り付ける今度の法律は、果たして日本の未来のためになるのであろうか」 ・サダム・フセインに原子炉を売り、軍事用ウラン売却の合意書に署名したのはシラク首相であった。そしてその原子炉はイスラエルによって破壊され、処分された。いよいよ国連への甘い幻想はなくなり、EUが分裂し、NATOなどの同盟が総崩れになったありさまを見て、私は何も慌てる必要はない、と考える。 |
| 波多野敬雄 元国連大使 諸君 平成15年5年 ・私は40年近い外交生活のなかで、ジュネーブの国際機関日本政府代表部大使を3年、その後、1990年からはニューヨークで国連大使を4年務めました。 その経験に照らせば、国連とは平和を守る機関として神棚にあげて崇め奉るような、清廉な存在ではなく、むしろ正反対。 現在ならば、191カ国の加盟国が自国の国益を守るために、そして国益を推進させるために手練主管を要する、非常に泥臭い国際機関です。国益尊重のためには、カネを使った裏工作や、他国の足を引っ張るようなことも現実には行われるのが日常です。 ・「イラクに占領されたクウエートが残っても、世界は戦争がないという点では平和かもしれない。しかし、その平和には正義は存在しない」ということです。以来、この平和感、すなわち「平和とは、それ自体必ずしも正義にあらず」というのが国連の常識になりました。 ところが、日本では依然とした単純に「ピース=ジャスティス」の認識に拘泥する声が大きい。国連の場でも「平和が二種類あることが日本では認識されていないのではないか」という批判が持ち上がったものです。つまり「ピース・ウイズ・ジャスティス」と「ピース・ウイズアウト・ジャスティス」は、まったく異なる二つの平和だということです。 ・「代表なきところに課税なしというのが、世界中の民主主義国家の大前提であり、基本原則です。アメリカ建国の経緯にしても、植民地に対して宗主国たるイギリスが課税はするが代表させないことに反対して起きたのが独立戦争で、まさにこのスローガンで戦ったわけです。 今や約20パーセントの分担金を負担する日本の意見が国連の意思決定に直接関与できないのは、不自然なだけでなく正義にすら反することなのです。⇒対応できる国にならなければならない。つまり憲法をしっかりしたものにまず変えること。 |
| 中西輝政 正論 平成15年 6月号 国と国の関係で成立っているのが、「国際社会」であるとするなら、国境を越えた個人同士の関係の総体を「人類社会」と呼称してよい。 “近代国際法の父”と呼ばれたグロチウスは名著「戦争と平和の法」の中で、「国家主権は何にもまして犯してはならない神聖な権利だ」として主権を前面に押し出し、近代国際法の体系を基礎付けた。そこから「内政不干渉の原則」が生み出されたのであるが、そのグロチウスでさえ「人道の根本にそむくような悪逆な支配がまかり通ることは、人類社会が許さない」と強調している。ここでいう人類社会は、人道的関心が優先されるべき社会ということができる。従ってイラクや北朝鮮に対して、人道的観点から内政干渉を行うことは本来、国際法の原理に背くものではないのである。 ところが、極端な非人道的な体制の国には介入も許されるのだ、というこの国際法の根本原理を、国連憲章は否定している。介入を容易に認めれば国際紛争のもとになるという目先の発想からであろうが、そのためにこの人類社会の観念を否定するほど国家主権が過度に神聖化され、たとえ「人天ともに許さぬ」ような非人道的な政治体制であっても、絶対に内政干渉してはならないと言う風潮が広く生み出されてきた。これは「人類社会」を忘れた姿である。 もう一つ大切なことは、「国連イコール国際社会ではない」といくことだ。国連の現在の加盟国は191カ国を数え、確かに世界中の大半の国が参加している。しかしその中には台湾は含まれていないし、そもそも加盟国はつねに脱退の権利を保有している。 ------------------------------- ◇ ----------------------------------- <国連信仰の病理> 「敵国条項」がいまだに国連憲章に存在していることだ。第二次大戦で連合国の敵国だった日本に再び”侵略行動”がうかがえる時には、1945年6月時点で国連に加盟していた連合国の一員であればいつでも攻撃をしかけてよいという憲章53条と107条の規定である。 しかもその場合、武力行使容認決議も必要とされないし、自衛権の発動である必要もない。例えば「日本国内で偏狭なナショナリズムが横行している。このまま放置すれば日本は再び軍隊を派遣して中国本土を侵略するかもしれない」と中国政府が判断し、旧敵国の「侵略政策」を打倒するため、と称して一方的に日本に先制攻撃をしかけてきても、その中国の対日攻撃は国連憲章に則った行動として認められることになっている。この「敵国条項」を指して”死文化”しているから問題はないとする日本人がいるが、条文というものをあなどってはいけない。危機においては、いつ効力を発揮するかもしれないからである。 こんな無茶苦茶な条文が、日本の国連加盟後50年近くも放置されてきたこと自体、国連憲章というものが全く正当性を欠いた文章であることを示している。しかも日本が国連に支払っている分担金はアメリカに次ぐ19.5%である。 国民の血税を使ってどこよりも多く分担金を支払いながら、不当に自国が侵略されてもその侵略国に大義名分を与えるような状態をなぜ日本は放置しておくのか。これはまさしく国家としての存在意義が問われる事態である。 ----------------------------- ◇ ----------------------------------- <ユートピア的世界観の原点> 国連が戦争や平和をめぐる安全保障について中心的役割をもつ(もつべき)という考えが、この日本という国を国として立ち上がれなくしている根本要因と深くつながっていることを強く感じるからである。また日本人の多くがいまだに”国際社会”と”人類社会”の区別がついていないことの深刻さを痛感するからである。 国連はたしかに人道活動において、一部人類社会を象徴しているということはできるであろう。しかし、この区別がついていないために、国連が世界の中心になったときには戦争のない、本当に幸福な世界が実現するというユートピア的な国際社会観に多くの日本人が囚われてしまっている。国際社会、あるいは世界秩序はどこまで行っても国家単位でしか考えることができず、国家を超える大きな枠組みが主体となって秩序を生み出すことは本来、不可能なのである。この根本的な思考こそが”保守思想”の出発点の一つであり、”国家”という単位のただならぬ重要性が保守の最も重要な基盤の一つなのである。 ※国連憲章自体が主権国家はそれぞれの判断によって自衛戦争ができるということを認めている。 ----------------------------- ◇ ----------------------------------- 「国連、知られざる誕生の秘密」(諸君7月号 平成17年度) 精算された共産主義思想の残滓をなぜ国連が引きずるのかーその秘密はヤルタに遡る ≪「中国」と「国連」に憑かれた朝日新聞≫ ≪「スパイ」なくして国連なし≫ 自国のプライドやプレゼンスを高めるだけでなく、実利として本国への情報提供ができるスパイを沢山国連に送り込むことが可能になるということを意味する。国連憲章を制定した創設会議でこうして納得いく見返りが手に入ったので、フランスは、それまで自らが火をつけ煽ってきた拒否権反対の運動を手のひらを返すように裏切り、現在の形の国連憲章を「断固支持」するに至った。これこそ国連の本質を雄弁に表わすエピソードでもある。 ≪ヤルタの申し子≫ 「『ヴェノナ・アメリカにおけるソヴィエト諜報解読』1999年、イエール大学出版」は、国連や世銀・IMFの創設に関わったルーズベルト政権の高官の中に多くのソ連のスパイやコミンテルン工作員がいたことを明らかにしている。 当時のソ連が、拒否権の万能という主張をしていたのは、万が一、国連が反ソ連包囲網と化した時にその動きをつぶすためにも絶対的拒否権を持ちたがっていたからである。具体的に言うとポーランドなど東欧におけるソ連の衛生国が、国連にソ連の非道を訴えることをできないようにしたいがための主張だということが暗号解読で判明した。そこでアメリカは、チェコやポーランドのようなソ連“占領地域”における問題は国連で議題として取り上げることはない、という密約をしたのである。かってバルト三国などに対してルーズベルトが犯した「ヤルタの裏切り」の上塗りをトルーマンがしたわけだ。それゆえソ連は反対を引っ込め、国連はかろうじて流産を免れ命をつないだのである。 国連は「ヤルタの共犯者」というか、「ヤルタの申し子」であったわけで、この意味で国連は、そもそもの始めから共産主義による人権弾圧、左翼ファシズムによる自由の弾圧を黙認ないし推進することで存立してきた機構だったといってよい。 国連は創設のときから、「共産主義による圧制の共犯者」としての役割を担わされていたわけで、そのような存在を生み出したこと自体が「史上最悪の過ちの一つ」と、ルーズベルト大統領の後任者ブッシュ大統領が今や正式に認めたということになる。 国連の中だけは、未だに「共産主義は生きている」ことも忘れてはならないのである。 既に見たように、国連は諜報活動なしに成り立たない存在なのだ。そうした国連の「ダークサイド」の悪影響を受けないためにも、日本は国連に関わる時常に鋭い「自前の眼」をもたなくてはならないのである。それゆえ日本がもし国連常任理事国になりたいというなら、「普通の国」になって軍隊を確立すべきだとか、核保有をすべきだ等々色々な議論もあるが、それよりも喫緊の必要は「シークレット・インテリジェンス」能力の飛躍的向上なのである。 常任理事国ならば、国連で各国の表向きの主張の裏にどういう戦略戦術があるかを見抜く力がなければ1日たりともつとまるまい。また常任理事国の国連大使たちが毎日のように秘密裏に交している情報交換に基づいて、決議案が正式に安保理に出る前に全体のシナリオはできているのだ。とすれば、そもそもそういう秘密を遵守する能力が日本にあるのか。総理官邸ですら文字通りの「ガラス張り」になっていて、国会で秘密会、秘密委員会もできない日本には、各国のスパイが跋扈している。「インテリジェンスの洩れやすい日本」、本当はこれが常任理事国になるときの最大の足枷だ。やはり、機密保護法制とそのシステム法がしっかり確立され、国家機密が守れるという最低限の国内防諜態勢が今やどうしても必要であり、ごく初歩的にでも秘密保持能力をもった国内政治体制をつくらなければ、どこの国も信用しない。さらには外交官でなく、プロの情報員が対外情報を、ニューヨークの国連本部などで独自のルートで集められることも必須条件である。 ≪国連は伏魔殿である≫ 「国連の脅威」といえば、先ず一つには「敵国条項」があるが、それより格段に大きな脅威の源は「経済社会理事会」なのである。名前だけからすると、一見「経済」という限られた分野を討議する場かと誤解されるかもしれないが、金融問題はIMF、開発問題は世界銀行、貿易問題はWTOがそれぞれ独立した国際組織として重要な役割を担っている以上、経済について国連が関与できるところなど本来あるはずがない。むしろ特殊な左翼イデオロギーと人脈に牛耳られた経済社会理事会においては「社会」こそが問題であり、いっそその名称を「各国社会の改変理事会」、あるいは「社会革命推進理事会」と言い換えでもした方が事の本質を捉えられよう。 また経済社会理事会の下にあるいくつかの委員会の中に、悪名高き「人権委員会」がある。恐るべきは、先の「アナン報告書」にはこれを「人権理事会」とし、安保理事会や経済社会理事会と同じく、国連の三本柱の一つにするという改革提案が含まれているのである。 日本では『アナン報告書』というと「常任理事国の拡大」ばかりが取り沙汰されるが、過去、時代の節目ごとに提案されては常に雲散霧消してきた安保理改革の動きと違い、『アナン報告書』が多くの途上国や世界の“プロ市民”の間で大きな注目を浴びている理由は、一つはこの「人権理事会」の構想であり、もう一つは「開発」、すなわち途上国にかってない膨大な「国連ODA」の資金を流そうという提案が大々的になされているからである。それにより途上国を中心とした多数の国が『アナン報告書』の実現を口を開いて待っているのだ。 アナン事務総長のパワーベースは安保理でもなければ、大国の政府の支持でもなく、経済社会理事会の、特に人権部門や開発部門の左翼イデオロギーと利権あさりの腐臭芬々の“国連官僚”たちである。また彼らが、世界の先進国政府の人権・開発担当の官僚やNGOにさまざまな“指令”を発したり陳情を受け付けたりするのである。 先の経済社会理事会、とくにその中の人権委員会などが、日本のように国連崇拝が行き渡っている国家に対して、「国連のお墨付き」「錦の御旗」を盾に、「日本の人権状況を改善しなさい」、「日本における女性の地位を向上させなさい」と散々あげつらい「遅れた日本社会」の改造の必要を盛んに強いている。そして、それを素直にすばやく実行しないでいると、「日本は遅れた国」で、「人権観念の乏しい国」という完全に捻じ曲げられたイメージが、堂々と「権威ある国連報告書」という形で活字化され、世界に流布されるのだ。しかもこのことに日本政府の官僚は何の反論もしない。国内のNGO団体の反発を恐れたり、彼等自身の偏向イデオロギーがその背景にあるのだろう。さらに悪いことには、それを日本国内の左派マスコミや“市民”団体が金科玉条の如く振りかざし、「一刻も早く国連の勧告を実施せよ」と騒ぐのである。 「従軍慰安婦」が、かってこの人権委員会の『クマラスワミ報告書』で真正面から取り上げられて、「強制連行」「フォースト・セックス・スレイブ」(強制された性奴隷)という言葉を世界中にばらまいた。しかし、この「従軍慰安婦」騒ぎは今日、何ら歴史的根拠のないものであることが証明され、「従軍慰安婦」の語も、日本国内ではもうどの教科書にも載らなくなり、あの朝日新聞さえもさすがにその胡散臭さを恥じて昔のような頻度で取り上げなくなった。 にも拘らず、国連の公文書には、さらに歪曲され堂々と「告発」が続けられている。このような日本の国益を傷つけている国連機関に対して、どうして日本政府と日本人はもっと批判の目を向け正面から反論しないのだろうか。 ≪暴力革命から「プロ市民」革命へ≫ 今こそ20世紀の歴史の総括として絶対に忘れてはならない要因は、何と言っても「マルクス主義」であろう。しかも、それは未だに決して死に絶えてはいないのである。とくにこの共産主義のイデオロギーの影響力によって築き上げられていった、かってのソ連共産党を頂点とした国際的な人的ネットワーク及びそれが作り出している知的空間の存在に対する意識的な考察なくして20世紀は語れないし、21世紀の展望も見えてこないといってよい。この人的ネットワークとそれがこの数十年不断に作り出してきた知的空間は、冷戦終焉・ソ連崩壊後も実はびくともせず、巧妙な戦術転換によって、その究極目標の実現に邁進しつづけているからである。 共産イデオロギーが20世紀を通じて作りあげていった知識人社会のカルチャーや情念、それによって教育を受けたエリートや「プロ市民」予備軍の人的つながりが今日新たな活力を伴って再生の機会を窺い始めている。この「ノスタルジーとしての市民マルキシズム」は、今や一個の「文化」として、日本を含めた多くの国々の重要機関や組織、社会に根付き、その運動エネルギーを新たに蓄積し再び浮上しつつある。すくなくとも日本では、こうした動きをつくり出した「怨念としての戦後的な知的空間」そのものは決して崩壊しておらず、冷戦後の十数年経った今日、奇妙な拡がりを見せている。 何故にマルクスやエンゲルスの理論が知的社会に大きな影響を与えているかといえば、一見学術論文調に延々と博引旁証していくその筆致が、ヨーロッパの権威主義的な知識人社会と大正以後の日本の学歴エリート社会においては未だに珍重されるからである。そもそも左翼思想は一般に、その粗野なイデオロギーに一見「学術性」を装わせ、知的に高級に見せることに長けている。しかし、一定以上の教養を身につければ、それが単なるテクニックであり、「刺身のつま」、あるいは赤い人造色素が一杯のカレーライスの漬物みたいなもので、理論の本筋とは無関係なものでしかないことがわかるのだが、その域に達するのは時間がかかる。だから、こういったものが、上昇志向の強い大正以降の日本では、学歴コンプレックス社会という文脈の中で、ナイーブな知識人やマスコミ、学生が強く呪縛されてきた。戦後はさらに多くの学生や知識人が『家族・私有財産及び国家の起源』などエンゲルスやローザ・ルクセンブルグを岩波文庫などで読み耽り、その結果、今日、分科省や厚生労働省の幹部クラスの官僚が、「個人を抑圧する家族が全体主義の温床」と口走ったりするようになったのである。まただからこそ、岩波書店が戦後あれだけの「知的権威」を持ってしまった。そしてソ連が崩壊した冷戦後の今も、「マルクス主義」は「リベラリズム」と名を変えただけで、こうした「リベラル」を粧うネオ・マルキシズムが、かっての人的ネットワークを通して大学や学界あるいは「学術」を粧う出版界、さらに朝日新聞等一部マスコミの紙面ではなおも圧倒的な勢力を占めつづけている。そして、イラク戦争前に見られたように、彼らは異様なまでに、「反米としての国連」にしばしば熱烈なエールを送るのである。 今日、中国や北朝鮮、キューバの共産党一党独裁体制が崩壊すれば共産主義は終わりかといえばそうではなく、その「最後の牙城」にして、「最大の巣窟」が実は国連なのである。誰の眼からも逃れられる「避難所」としての国連という存在は、すでに今日の世界では精算されてしまったはずの20世紀の共産主義イデオロギーの残滓を引きずった存在でもあるからだ。それゆえ我々の20世紀の経験から言えば、ロシア革命後に創設され、ソ連共産党本部の「支部」として各国に共産党を広め、世界革命を目指したコミンテルン(共産主義インターナショナル)と今日の国連tの間に深い類似性を指摘しないわけにはゆかない。(P49) まず第一に目につくのは、両者に共通する「超国家性」である。モスクワの共産党本部、コミンテルンから発せられた指令に対して、各国共産党は支部としてー日本共産党ではなく「世界共産党日本支部」が正式名称だったようにー世界革命を画策していた。国連も今や、各国政府をバイパスにして、NGOを(国連の各国支部として)媒介としつつ直接、国内社会に手と突っ込む動きを強めている。「人間の安全保障」「人権推進による人類の解放」「(国家を超えた)諸国民の福祉の向上」といった、どこかで聞いたような、“甘美なユートピアの匂い”を含んだスローガンと共に。 それは、マルクスとエンゲルスの『共産党宣言』における「万国の労働者よ、団結せよ」の文句あるいは「動労者に祖国はない」という国際主義、超国家主的理念において共通しており、そこでは国家を理念として敵視し、国家を超えた存在こそが正統であり、国家を支える伝統や文化を「進歩への障害」として排除することが理想として掲げられる。 これは元来はマルクス主義の原理原則と言えるものであり、階級闘争や唯物史観はむしろその手段としての知的枠組みにすぎなかったのだ。レーニンもまた『国家と革命』で、国家こそが人間抑圧の根本的存在であって、国家が止揚されたならば人類がみな兄弟になる、あるいは世界が一つの社会になったとき、永遠の平和が訪れる、という超国家的理想を掲げていた。⇒共産主義では国家を止揚することができない。レーニンの掲げた理想が違った体制で実現できているのが神道のこの日本だ。 金融や通信、貿易といったような限定された局面における国際機関というものは近代以降少なからず存在してきたものの、総合的に、すべての局面において、「国家や家族、伝統文化に固執してきたこれまでの人類文化を止揚し画期的に変革していく」という普遍的な目的と、組織としての超国家的世界性をもった国際機関というのは、コミュンテルンと国連だけである。 国連とコミュンテルンの類似性の二つ目は究極的な「個人の解放」を社会変革の目標とする原理主義的なイデオロギーである。国連は経済社会理事会を中心として、人権の推進を常に訴えているが、そこでいう「人権」の内実は、マルクスの唱える「個人の疎外からの全面的解放」という「究極をめざす概念」への橋頭堡という意味においてとらえられる概念なのである。 ネオ・マルキシズムというのは、表面上、一党独裁体制による疎外を訴えつつ、「掘り下げた」視点で人間の疎外の原因を既存の社会体制や伝統文化と捉え、そうした社会を成り立たせている核心、即ち人間の絆、人間関係を破砕し「純然たる個人」というものをつくり出し「個人の解放」を金科玉条とすることにより、まったく新しい理想社会、理想的な人間関係がうまれていくという立場をくり返しアピールする。つまり家族、伝統・文化、国家というあらゆる人間の共同体を崩してゆき、既存の社会に一大カオスをつくり出し、それによって、古いマルキシズムでいう生産手段と生産関係に基づく「階級構造」を崩すことで国家、体制の変革を可能にし、その結果、「人類の解放」という理想が実現されるとして、その社会制度や既存の文化や常識の掘り崩しを狙うのである。要するにこれは「化粧直しした共産主義イデオロギー」なのである。このことを日本人は今こそ銘記すべきなのである。(P51)⇒個人の開放lとは「孤独化」であり、孤独である故「理想の関係」を結びようがないのである。 フランクフルト学派の指導者であったフランツ・ノイマンを例に取ろう。『ビヒモス』などにおけるファシズム研究の中から、ネオ・マルクス主義の国家論を打ち立てていった彼は、第二次大戦中アメリカに亡命し、「ファシズム研究の権威」として、戦後のドイツと日本の占領政策の基本コンセプトを形作る役割を果たした。CIAの前身であるOSS(戦略諜報局)の研究調査部の占領地変革計画責任者としてノイマンらが特に構想したことは、ナチスや軍部の取り締まりkといった直接的なことではなく、ドイツにおいては「教会の権威」と「文化の改造」、日本においては「天皇の権威」と「家族の紐帯」を崩すことであった。占領政策の道具として天皇制を残してもいいが、天皇の権威をあえて汚し傷つけることで日本人全体の持つ「共同社会の一員である」という伝統的な帰属観念を喪失させることにより生み出される社会革命のダイナミズムに彼らは着目した。 日本社会の安定の秘密を、家庭などでの親から子への「権威主義的、家父長的教育」に由来するものと見たからこそ、ノイマンらの影響をうけたGHQの左派官僚(その中には多くのコミュンテルン関係者が混じっていたことも今日わかってきた)はその毀損を図り、自ずと共産主義へ向かわざるを得ない特殊な理想主義、即ち無限の自由と平等をすぐそこにあるものと思わせる「青い山脈」的な理想主義を戦後の日本に根付かせようとした。そして究極的には日本社会を徹底的に解体し、日本から理想社会を生み出すというネオ・マルクス主義のプログラムによる壮大な、そして恐るべ実験が戦後の日本で行われたのである。⇒実験の成果である。実験を中止したければ憲法、教育基本法を前面的に改正することである。 中でも『家父長的支配』こそがファシズムの根源であると断罪し、GHQに多くの女性将校を集め、その中から何人かをたとえば憲法の起草グループに起用し、憲法24条(『両性の平等』)や民法における家族制度の全廃を強く推進していったのである。 ≪エレノア・ザ・レッド≫ 最近の研究では、エレノアの周囲にはアメリカ共産党員だけでなく、コミュンテルン関係者も集っていたとされ、そのエレノアは創設期の国連でアメリカ代表を務め、人権委員会議長も兼ね、先に見た世界人権宣言を自ら起案し採択に持ち込んでいる。そしてエレノアが一貫して追及したテーマは「女性問題」と「「国連の理想」だった。 コミュンテルンやアメリカ共産党に籍を置いた知識人や学者、行政専門家、社会運動家たちが30年代の偽装転向を経て40年代を通じてルーズベルトとトルーマンの民主党政権内で増殖していった。コミュンテルンはこの時期に、「共産主義者であることを隠せ、それが無理なら偽装転向をしてでも各国の社会や国家の重要な組織に潜入せよ」と個々の人物についてキメ細かく指導していたのだ。 翻って今日の国連の人権委員会を考えると、これほど偽善かつ人権を無視したカリカチュアが他にあろうか。近年リビアの独裁者カダフィの手飼いの外交官がエレノア・ルーズベルトの後任者として人権委員会議長になったことだけみても国連による「人権活動」なるものの乱脈さがわかろうというものだ。その恥知らずな国連人権委員会に、日本の人権活動家たちが「慰安婦」やら「日本の人権状況の劣悪さ」について注進に及んで、国連のお墨付きを得た上で、今度は我が国の行政府や立法府に様々な国家改造の圧力をかけていく。そのうちの一つが「人権擁護法案」なるものだ。 国連による「人権」のネオ・マルキスト的称揚は世界人権宣言以後も留まる所を知らず、宣言に法的拘束力までもたせた1966年の「国際人権規約」の採択など暴走を重ね、冷戦終結後の95年にも「国連人権教育の10年」という決議をさせ、日本を含めた世界中の国々にネオ・マルクス主義に基づく偏向教育や「従軍慰安婦」の喧伝によるディスインフォメーション(偽情報による破壊的工作活動)を次々と画策してきた。 このように、国連が各国の国内社会変革の大きなテコにされている。というのは、つまり国連が、各国の民主主義のプロセスを迂回した「外からの革命」の押し付けの道具になっているわけである。このことは、何も「人権教育」に限られることではない。男女共同参画の教育や自治体などにおける狂騒も、国連が1979年に採択した「女性差別撤廃条約」を起爆剤にした流れであり、すべてが国連を「錦の御旗」にして国家・社会改造が図られているのである。この条約のあおりを受けて99年に成立した「男女共同参画社会基本法」によって、今日の日本の家庭、教育、社会など、あらゆる分野における原理主義イデオロギーに基づく「改造」が日本の社会に押し付けられてしまった。この点は、光原正氏の「過激派操る『国連』に騙された日本の男女共同参画」(正論5月号)にも詳しい。 そうした「押し付け」を各国に行っている国連の実情はというと、先述したように人権委員会ではガダフィの子分が議長として牛耳っていたり、「世界女性会議」にしてもNGOと称する、「祖国はない」という点でコミュンテルン的が国際性をそのアイデンティティとする団体の巣窟と化している。だからこそ先進国の中でもアメリカなどは賢明にも国連のそうした多くの条約を批准しないし、また途上国も大半は「わが国の社会にそぐわない」と明確に主張することで、たとえ援助目的で批准したとしても、具体的には実行する気配もない。 ネオ・マルクス主義によりエリート官僚や政治家、マスコミがすっかり骨抜きにされてしまった日本だけは愚かにも唯々諾々と受け入れ実行している。そこに日本特有の「国連信仰」「国連崇拝」の決定的な危さがあるのである。「国連」という殺し文句によって、良識ある国民のコンセンサスは完全に無視されて、生真面目にも「改革」の名のもと法律となり、知らぬ間に国家があらゆる分野できわめて特殊なイデオロギーによって「改造」されてしまう事態になっている。これこそコミュンテルンがかって各国共産党支部への指令を通して世界革命を企んでいたのと同様のメカニズムと言わねばならない。この静かなる、しかしながら恐ろしい「革命」の実態に多くの日本人が気づかねばならない。その意味で、これから行われようとしている「人権擁護法案」はむろんのこと、男女共同参画社会法の見直しを含めて、国連発のさまざまな「国内改造工作」を阻止できるか否かが、日本人が国連への跪拝をやめ、コミュンテルンに侵食されたGHQ欽定憲法以来のネオ・マルクス主義の軛から脱し、ついには国家の再生ができるか否かの、大事な一里塚となるのである。 |
| 岡崎 久彦 岡崎研究所所長 諸君 平成15年6月号
国際社会は主権国家の集まりであって、そこは「法の支配」があまり及ばない所だという認識を持つことが必要です。現実に実効性を持たない「国際法」や「国連憲章」を絶対視して、事の是非善悪を評論家的に論じても意味がない。意味があるのは、国際情勢の正確な潮流を掴んで、日本国と日本国民の利益を最大限に生かすような行動を政府が取ることです。 |
| 前野 徹 「第四の国難」 扶桑社 「国家」も「民族」も絶対と言っていい位、無くならない。 所属する国家を通じてしか、個人の「権利」も「義務」も行使できない。 いくら自由化が進展しても保護すべき産業は残るだろう。 |
| 佐伯 啓思 諸君 平成15年7月号 ・そもそも国連が紛争解決の場なのではないという当然のことが改めて明瞭になったからである。国連は諸国家の利益の実現とその交渉の場である。 第二次大戦の連合国主導のもとで成立したこの場において、日本は依然として『敵国条項』を与えられ、ほとんど発言権を持ち得ない。こうして機関に、それこそ国益を委ねるのは決して適切なことではない。もし国連重視というのなら、当然ながら、国連における影響力を行使しうるよう働きかけるべきである。 ・もはや国連中心のような国際協調による紛争解決は成立たない。冷戦後世界は、各国がそれぞれの国益を追求する時代だからである。こうした時代にあって意味をもつのは、同盟関係にもとづくリアル・ポリテックスのみである。そすれば、強国との同盟の絆を深めるのが日本の国益になる。つまり日本はアメリカと同盟を深めるのがよい。この議論は、アメリカのいわゆる新保守派のホッブス的世界観を日本の側に置き直して述べたものだ。 ・現実には、アメリカという巨大な主権国家が作り出す『帝国』と、古典的な主権国家の駆け引きの場としての『国際社会=国家間の社会』の二重構造になっているのである。 |
| ローレンス・カプラン ハドソン研究所上級研究員 日本の論点 2004 ・国連憲章に欠陥があるのではなく、構成国に問題がある。 ・国連は主権国家の集りでしかない。国連加盟は、統治形態に関わり無く認められるために、独裁政治であろうと民主政治であろうとかまわないのである。国連は独裁国家に変革を求めないだけでなく、逆に独裁国家の議題を追求し、彼らのプロパガンダの舞台になっている。 ・ホッブス的な世界とは、平和と安全を担保し、国際規範を守るような権威が全く存在しない。混沌とした世界である。 |
| 桜井よし子 ジャーナリスト 諸君2月号 平成16年 ・日本の歴代国連大使の体験は、国連が決してジャッジたり得る存在ではないことを示している。これまでも指摘されてきましたが、日本は国連を信じすぎるきらいがある。国益がぶつかり合う修羅場という認識でいるほうが、日本にとって国益を守りうる方策が出てくるのではないか。 ≪憲法改正を発議する SAPIO 10/26 平成17年度≫ ・米英仏をはじめとする連合国は1945年4月、国際社会を治める実効ある措置として、連合国条約、つまり現在の国連規約を作り、調印した。 規約によって、国連の中に安全保障理事会が置けれ、侵略戦争がおきたときには国連軍が動き、平和を回復するというメカニズムが構築された。諸国には、万が一、侵略を受けた場合には、安保理の決定や国連軍の支援を待つ間、自衛のために戦う権利、個別的自衛権や集団的自衛権の発動を、国連はその加盟国全てに認めているのであり、それに対して国連は制裁しないという点は、日本国憲法第九条と、日本国内の憲法論争を考えるにあたって、忘れてはならない点だ。 |
| 野田 宣雄 南山大学教授 諸君4月号 平成16年 <反逆する「副次的帝国」> ・独・仏を中心とする「EU小帝国」の形成に対して、周辺の中小国がいかに警戒的かということを示している。アメリカと手を結ぶことで、独・仏を、いわば”挟み撃ち”にしょうという、新たな構図が出てきたわけである。 ・日本は大戦略を立てなければなりません。中国と張り合う形で副次的帝国のレべルになんとしてでも這い上がるのか。あるいはポーランドやチェコのようにアメリカと結んで副次的帝国を牽制する中小国の立場に甘んじるのか。 |
| 宮崎 哲弥 評論家 諸君4月号 平成16年 <中東はアメリカが嫌いか> ・「国連中心の枠組み」などといっても、その中心はやはりアメリカなのです。 <現実派リベラルの主張に耳を傾けよ> ・野田さんは東アジアにおいて「小帝国」の中核をなすのは日本ではなく中国である、という見通しをかねてから明らかにされてきました。さらに、現在、米・中は一見、対立しているように見えるが、長期的にはアメリカは、東アジアをはじめ、東南アジア、南アジアをも管轄する副次的帝国の支配者しての中国の立場を容認するであろうと示唆されている。最近のブッシュ政権の台湾問題に対する姿勢などを見ていると、ここでも野田さんの予見が的中しつつあるのを感じます。 |
| 鈴木 秀生 外務省総合外交政策局双務課主任企画官 正論5月号 平成16年 そもそも国連諸機関が中立を旨としてきたのは、これまでの紛争が国際社会の目から見て対等な者同士の紛争である場合が多く、いずれにもつかない不偏中立の立場こそが国連諸機関の活動に根拠を与える道義的理念だったからである。 しかし今日の紛争の多くは、「国際社会対タリバン」といった非対称的構造となっており、こうした場合中立的であることが倫理上の要請とは必ずしもならない。逆に中立的であることは許されなくなってきているとも言えるかもしれない。 |
| 森岡 卓眞 無職 諸君5月 平成16年 ブッシュ大統領が「国連は古い」と言ったように、常任理事国の「拒否権」や日、独に対する「敵国条項」のような旧態依然たる遺物を残している。また、肥大化、硬直化し、発言力と負担金のアンバランスなど改革不能な組織は、良識や正義は二の次で、加盟国の国益追求の場でしかない。 このような国連には、核拡散防止や、国際紛争の解決能力はなく、イラクの人道支援すら指導力を発揮することができない。その機能不全に陥った国連にいまだに幻想を抱き「国連中心主義」を言う我国の政治家も過去の遺物をいえる。 |
| 舛添要一 参議院議員 正論6月号 平成16年 <国連海洋法条約第246条> ・第一項「沿岸国は、自国の管轄権の行使として、この条約の関連する規定に従って排他的経済水域及び大陸棚における海洋の科学的調査を規制し、許可し及び実施する権利を有する」とありますから、規制できるはずなんです。 ・第三項「沿岸国は、自国の排他的経済水域又は大陸棚において他の国又は権限のある国際機関が、この条約に従って、専ら平和的目的で、かつ、すべての人類の利益のために海洋環境に関する科学的知識を増進させる目的で実施する海洋の科学的調査の計画については、通常の状況においては、同意を与える。このため、沿岸国は、同意が不当に遅滞し又は拒否されないことを確保するための規則及び手続を定める」となっている。つまり、建前として、平和的目的、全人類のための調査は、中国であろうが、どこがやろうが基本的には認めますよということが書いてある。 |
| 田久保忠衛 杏林大学客員教授 諸君12月号 平成16年度 米英のイラク攻撃を問う十カ国の国連安保理事会においても、カメルーンとかコロンビア、パキスタン、アンゴラ、ギニアなど、自分の国にさえ責任を持てない国が攻撃の是非を審議し、自分が主要プレイヤーのような顔をして新聞記者に答える。アメリカ人の知人が、「この一事を見ただけでも米英のイラク攻撃は正しい」と言ったくらいです。ですから日本は、まずは国連幻想を全部捨てた上で常任理事国に入るべきです。 少なくとも、常任理事国になるのであれば、他国にのみ血を流すことを期待して自分達は絶対流さないというのでは筋が通りません。 ---------------------------------------------------------------------------- 「諸君7月号 平成17年度」 常任理事国より「普通の国」になれ ー集団自衛権の行使もできないくせに、「大人」の仲間入り?身のほど知らずもほどほどにー ≪「旧敵国条項」という化石≫ いまの中国が常任理事国になるのをそもそも国連は予定していなかった。朝鮮戦争やチベットやベトナムに軍事介入し、旧ソ連時代の中ソ国境で紛争を惹き起し、インドと矛を交えた。日本をはじめとする周辺諸国に軍事的脅威を与え、反日暴力デモでは「公館の不可侵」を規定したウイーン条約を無視していっさい謝罪もしない。それが拒否権をもった常任理事国で、「日本には常任理事国入りの資格はない」とわめきたてている一事をとっても国連をまともに信用できるか。 常任理の利点として挙げられているのは情報の入手と発言力の確保の二点である。確かに日本にとって死活的に重要な情報がつまみ易くなり、それに基づいて国益を守ろうとする発言の場はより多くなるだろう。しかし、情報が入り易くなり、発言の場を与えられても、それはあくまでも手段であって、有利な立場で日本は一体何をしょうとするのかの議論は皆無ではないか。 蝸牛がおっかなびっくり角を出し始めたと思ったら、いつの間にかまたまた殻の中に引き篭もってしまった、との印象を小泉演説から強く受けた。 日本の無力は米国の国益にマイナスになることを熟知しているブッシュ米政権が4年前の政権発足時から日本に送っているシグナルは「強い日本になってほしい」にほかならない。米政府の友好的なアドバイスの背後には国益の計算が秘められているのは当たり前だろう。こうした国際情勢をどう取組んで、日本の進路を決めたらいいのか。方向は明確だ。危機に直面している日本が惑うことなく進むべきは「普通の民主主義国」への脱皮であり、それこそが「目的」である。可能性も低いし、頼りにもならない常任理入りはあくまでも一つの「手段」と考えるべきではないのか。 「普通の民主主義国」になるには憲法、教育、防衛など広範な分野における改革が必要だし、既に心ある人々が各方面で地道な努力を開始しているが、その議論は措く。国連との関わりで声を大にして主張したいのは憲法第9条との整合性だ。拒否権行使は日本にとって当面現実的でなくなったから言うが、国連にとって最重要な機能である武力行使のできない国に拒否権を持たせてはいけない。自国に不可能な行為を他国に強いてはおかしいし、武力行使の方針に拒否権を行使するのは国連の否定にほかならない。国連憲章で認められている集団的自衛権を日本は憲法で否定したままだから、常任理事国としての資格ははっきり言って日本に無い。だから、拒否権のない常任理事国を提案しているA案は責任を韜晦している日本政府にとっては物怪の幸いなのではないか。 ≪「9条切り離し論」の矛盾≫ 「集団的自衛権をサンフランシスコ講和条約や国連憲章は認めている。それらに日本が署名したことは日本国民が集団的自衛権を承認していることと考える」と語った事実はよく知られている。 ≪腐臭漂う国連機構≫ ≪忍び寄る「国連の死滅」≫ ≪「名誉ある地位」に釣られるな≫ 第二次ブッシュ政権は米欧間の亀裂修復に努力しているようだが、亀裂が構造に根ざす以上は関係改善に限度があるのを米欧の指導者は百も承知だろうと考える。 神余隆博氏(現・外務省大臣官房国際社会協力部長)は「外交フォーラム」2003年11月号に「岐路に立つ国連」とのタイトルの一文を書き、「現在の常任理事国は第二次世界大戦の勝者であるが、冷戦も終わり、テロとの闘いが行われている21世紀前半の国際政治を反映した構成にはなっていない。今後世界は新たなジオ・ポリティクス(地政学)により動いてゆくとの視点を安保理改革にも導入する必要がある」と説いている。地政学と聞いただけで拒否反応を起こす日本学界の現状の中で、少数意見ながら自信をもってこのような意見を公表する外交官が存在するだけでも救われる。 ---------------------------------------------------------------------------- 「文藝春秋 8月号 平成17年度」 国連憲章の第二条七項は内政干渉を禁じています。また、日中平和友好条約でも、お互いに内政干渉を声高に謳いあげました。その精神を遵守して、これ以上、靖国や教科書のことであれこれ言うのはやめていただきたい。 |
| 村田晃嗣 同志社大学助教授 諸君12月号 平成16年度 ・「国連重視外交」は大いにありえるが、「国連中心外交」はやはり、「神話の外交」である。「国連中心主義」とは、煎じ詰めて言えば、アメリカのみならず中国やロシア、イギリス、フランスの拒否権に、日本外交を委ねることなのである。 |
| 深田匠著 「日本人の知らない『二つのアメリカ』の世界戦略」高木書房より 現在の中共に対して日中友好を唱えるような者は、日本民族の裏切り者であると同時に、中国人の民主運動家たちにとっても「中共に従属する卑しき日奴」でしかない。民主化運動のトップリーダーである魏京生氏は米国人記者のインタビューに対して「日本政府は長年、中国共産党による政治を支持してきた。中共政権を支持するような日本にはアジアの代表になる資格など有る筈がない」と答えている。耳に痛い言葉だが、まったくその通りであり返す言葉もない。 イスラエルに続いてインド、パキスタンの核保有でNPT体制は今や完全に崩壊した。元々国連安保理事会は、戦勝国五カ国だけが核をもつという、「核の特権クラブ」でもあったわけである。それが完全に崩れた。そして北朝鮮の核保有だ。もはや国連安保理が何を反対しようが後進国の核開発は止めることができない。国連では1992年の総会において、核技術を輸出しょうとする国に対しては安保理が経済制裁や軍事力行使を決議できると定めたが、その安保理の中で決議の拒否権を持つ中共自身が核技術の輸出を行っているのであるから、中共が中共に対する経済制裁等に賛成する筈がない。つまり安保理が核技術拡散への制裁や軍事力行使を決議することは不可能であり、中共を安保理常任理事国からはずさない限り、国連が後進国の核開発やそれを支援する中共に対してストップをかけることはできないのだ。しかし国連が存在するかぎり、中共が常任事理国ポストを手放すはずがないのもまた現実だ。要するに国連はもはや何の有用性も持たない無用の長物と化しているのである(323頁)。 <ソ連の国益目的のためにつくられたのが国連> 実は共和党はそもそも国連に対しては、その設立時点以来大きな不信感を持っている。国連は民主党政権下で設立されているが、前章で述べたように国連憲章を起草しヤルタ協定草案を作成したアルジャー・ヒスはソ連のスパイであり共産主義者であった。国連が発行していたパンフレット「国連を知ろう」の1〜2項には、「ヤルタでスターリンが、第二次大戦での援助と引換えに平和のための国連設立をルーズベルトに求め、ルーズベルトはアルジャー・ヒスが用意していた案を受け入れた」との記述がある。 つまり国連とは、スターリンがソ連の国益目的のために発案し、ソ連のスパイであったヒスがその枠組みを考案して設立された機関なのである。その成り立ちからにしても反共主義の共和党が国連に反感をもつのは当然であろう(325頁)。(中略) 1924年から計8代の大統領に仕えたJ・E・フーバーFBI長官は『国連の共産スパイ』という著書を発表して、国連がいかにソ連や中共などの共産主義国に利用されるだけの有害無益な存在であるかを克明に述べている。アメリカでも民主党を中心とするリベラル層は、今なお国連を自分達が創り上げた理想の平和維持機構だと賛美する傾向にあるが、共和党を中心とする保守層とりわけ保守知識人の多くは国連なんて「アメリカに敵対する反米機構」くらいにしかかんがえていないのだ(326頁)。 <ブッシュが描く「新しい世界」とは> 現在の国連に「加重投票制」を導入することでメリットを得られるのは世界中で日米二カ国のみであり、他の全ての国々は既得権益が低下するような制度には賛成するはずがない。かくして共和党は、アメリカと日英を中心とする同盟国主導による「第三世代の国連」を創設しょうと企画し、現在の国連には完全に見切りをつけているのだ。そしてそれは同時に地域ナンバーワンの日英の国際的影響力の上昇にもつながり、国連解体に伴って地域ナンバーワンの中共・ロシア・フランスが安保理常任理事国の地位を失うことでその台頭を抑止することもできる。つまり「リアリズム国際政治学」に基づく国際戦略とも完全に合致するのだ。この「第三世代の国連」による世界新秩序構築こそが、ブッシュ政権がめざす「新しい世界」なのである(326頁)。 ≪国連信仰という愚かなる妄想ー日米同時脱退で国連を解体せよー≫ <1993年7月の上院全会一致の決議> 共和党の主張は、「日本が普通の軍事活動ができる国になるまでは、日本の常任理事国入りを支持してはならない。それができないまま日本が常任理事国となると、世界を混乱させ日本自身も苦境に陥る」というもので、この主張は知日派のウイリアム・ロス共和党上院議員らが中心となり1993年7月に上院全会一致で決議された。この決議は「日本が参加出来ないとする国際安保活動なしには、国連安保理は通常の機能を果たせない。日本は現在のままでは常任理事国の責任や義務を果たせない」とアピールしている。つまり共和党は日本に対して、その能力も体制もない日本が背伸びして常任理事国入りを目指す前に、まず憲法改正と海外へ戦闘派遣できる国軍創設が先だろうというメッセージを送ったのである(402頁)。 <1994年のマハティールの言> 「日本の国連安保理常任理事国入りに賛成するが、常任理事国入りするからには日本は軍事的貢献をしなければならない」「日本が過去への反省のため、軍隊の国外派遣もできないというのは残念だ」 <ローズマリー・ライターの提言> 国連研究の権威とされる英国人ジャーナリストのローズマリー・ライターは自著『国連と世界秩序=失われたユートピア』の中で次のように述べている。 「安保理は現実の世界を反映せねばならず、日本は現実の世界では大国だが、同時に軍事力行使に足かせを課された大国なのだ。戦後の憲法の制約や国民の感情が積極平和主義志向を強め、軍事力の集団的行使を困難にしている。日本は自国の軍隊が海外での戦闘に関与できるような国内法も国民感情も変わるまでは、安保理常任理事国入りを考えるべきではないだろう」。要するに妄想平和主義の日本は国際社会の禁治産国であり、正常な国すなわち海外の戦争に派兵できる国になるまでは、世界の安全保障をコントロールする立場に立つべきではないということである(403頁)。 <国連とは> 国連とは第二次世界大戦中の軍事同盟(連合国)がそのもま戦後も加盟国を増やしていっただけのものにすぎない。つまり戦勝国が戦後世界でその統治を継続する目的で存続させているものであり、そもそも国際連合という言葉自体が誤訳であって、ユナイテッド・ネーションズなる名称は戦時中から何も変わっておらず「連合国」のままなのである。国連の事実上の創設者たるコーデル・ハルは創設当時「四人の警察官が世界を監視する」と述べており、そこにフランスが加わったということなのだが、この五カ国だけが安保理の拒否権を持つのは旧国際連盟以上に不平等性の高い独善的システムである。国連が事実上創設された日、つまり連合国が国連憲章に調印したのは、ヒトラーの後継者たる独デーニッツ政権が無条件降伏した後であることから、日本は国連としての連合国と交戦した唯一の国である。これでは安保理常任理事国になるのが至難であるのは当然のことだ(403頁)。 <内閣法制局は集団的自衛権の解釈を変えるべき> つまるところ国連安保理とは集団的軍事行動を実施するための母体であるというのが国際常識なのだが、日本は妄想平和主義に固執する内閣法制局が「集団的自衛権は保有するが行使はできない」という狂った憲法解釈を行っているため、その軍事行動には参加出来ない。参加出来ない国が他国の集団的軍事行動を決定する常任理事国になれる筈がない。また国連憲章第45条には「加盟国は、合同の国際的強制行動のため国内空軍割り当て部隊を直ちに利用に供することができるように保持しなければならない」とある。この条項は実質的には常任理事国のみに対して適用されている。しかも同43条3項には、加盟国は自国の憲法に従って同協定を批准すると規定されているが、交戦権禁止の妄想憲法と国連憲章批准は完全に相反して矛盾する。従って日本はまずこの内閣法制局の欺瞞に満ちた憲法解釈を是正し、次いで憲法を改正して自衛隊を正式な国軍として位置づけ、集団的軍事行動に参加出来るようになった上で、安保理常任理事国入りを目指すのが道理である。アーミテ―ジなど共和党要人が「日本の常任安保理入りには憲法9条改正が不可欠」と発言したのは、日米同盟を重視する共和党の「大人の立場」での日本へのアドバイスなのである(404頁)。 <国連が世界の平和維持活動に役立ったことは一度もない> 国連がその創設以来、国際平和維持の機能を果たしたのは、1950年の朝鮮戦争ただ一回きりである。それ以外は後にも先にも一度もない。なぜ朝鮮戦争のときだけは有効に機能したのかといえば、当時の安保理常任理事国の席は米英仏ソ以外には中共ではなく国民党政権が座っており、さらにソ連が「国連から国民党政権を追放して中国共産党政権と交替させよ」という提出議案が否決されたこと抗議して安保理出席をボイコットしていたからである。つまり北朝鮮と中共の共産軍が南侵し、国連がそれを軍事的に阻止しょうとする安保理決議(1950年6月27日)に対して、拒否権を行使する国がなかったからなのだ。こんアクシデント的な唯一のケースを除き、国連が世界の平和維持に役立ったことは以降ただの一度もない(405頁)。 <強い同盟国を持たなかった故に侵略されたハンガリーとチェコ> ソ連にとって国連なんかは拒否権を使えばどうにもでもなる玩具にすぎなかった。そしてハンガリーやチェコスロバキアがソ連に占領されるに至った最大の理由は、両国が強い同盟国を持たなかったことに尽きる。国連総会は事実上ソ連の支配下にあり、安保理は拒否権行使できるため、同盟国が存在しない以上は国際社会はハンガリーやチェコスロバキアを見捨てるとソ連は読んでいた。そして事実その通りとなった。このように朝鮮戦争以降は米ソの互いの拒否権行使合戦(ソ連150回、米国68回)によって、国連安保理は単に両国が相手を罵倒するだけの政治宣伝の場と化していた。そしてそれはソ連崩壊後も、米中の対立にロシアやフランスの思惑が絡んだ一層複雑な国益闘争の場となっただけで何も変わっていないのだ(405頁)。 <国連とは戦勝国の軍事同盟の拡大版> 朝鮮戦争時に国連はその指揮下に入っていたトルコ軍をわざと最前線に出し、そのせいでトルコ軍の死傷者は群を抜いて4万人以上にも達した。これはトルコが第二次世界大戦で中立国であったことが唯一の理由である。日露戦争により日本に対して好意をもつトルコは、その反ソ感情もあって本心では日独に付きたかったのだが、自国の軍事力に鑑みて中立を表明すると同時に連合国からの参戦要請も蹴った。国連すなわち第二次大戦の連合国は、トルコにその仕返しをしたのだ。「法の支配に基づく国際秩序を作る手段として人類が手にした」だのと真っ赤な嘘もいいところであり、国連とは戦勝国の軍事同盟の拡大版でしかない(408頁)。 国連信仰、国連中心主義とは、ソ連や中共の対日侵攻支援のために、実は国連など何の役にも立たないことを百も承知の上で、日本の安全保障を消滅させる口実に用いられてきたものにすぎない(409頁)。 <国連は中共の御用機関> 国連が人権を守る機関なんかではないということ、そして現在の国連がいかに中共のコントロール下に入っているかという実例は、そのチベットに対する一連の対応が露呈している。国連は中共によるチベット侵攻併合を放置したのみならず、チベット人口の五分の一にあたる130万人近くが殺されても何も介入しようとしなかった。それどころか例えば1993年に国連の人権会議で、ダライ・ラマが中共によるチベット人弾圧の実態を訴えようと演説の時間を求めたところ、中共の根回しにより国連はダライ・ラマの演説を中止した。また英国の会社が国連から編纂の外注を受けた『国連50年史』の原稿に、ダライ・ラマの人権宣言の発言を引用したところ、これまた中共の根回しにより国連はこの部分を削除させている。かって国連はソ連の出先機関と化していた実状にあったが、今や国連は中共の御用機関になり下がっており、国連への影響力はアメリカよりも中共のほうが優っているのだ(410頁)。 <賞は金で買える> 国連のいかがわしさは、その乱発する国連賞や表彰を金で売っている実状にもよく現れている。例えば創価学会は国連に累計数十億円もの寄付を行い、その見返りに池田大作は「国連平和賞」「国連栄誉表彰」「国連事務総長賞」「国連人権賞」などを贈られている。池田大作が国連から賞を贈られるほど世界平和や人権に貢献したなどとは、創価学会員を除いて誰も納得できるものではない筈だ。国連の賞や表彰には「値段がついている」というのは、事情通の間では公知の事実であり、国連なんて金さえ貰えれば文鮮明でも麻原彰晃にでも賞を贈りかねないぐらいなのである(410頁)。 <国連が世界で最も腐敗している機構> 国連のいかがわしさの極めつけとなるのは、その年間予算約13億ドルの使途が全く不透明に決定されているという事実である。国連の予算をどのように配分するかを決めるのは国連行財政問題諮問委員会(ACABQ)だが、このACABQの予算審議のプロセスは非公開とされていて、どの国に対しても伏せられている。さらにACABQの委員長(任期は三年間)は、何とも不可解なことに1975年以降ずっと現在に至るまで28年間に渡りC・エムセリというタンザニア人が独占しているのだ。つまりエムセリは改選のたびに10回も委員長に当選しているわけだが、それほどまでに信頼されている人物かと思いきや、不正疑惑の絶えない「黒い人物」なのである。エムセリはアフリカ諸国へ金をばら撒いてバックアップを取り付けており、アメリカがこのエムセリの異常な長期独裁と国連予算私物化を非難して「予算審議を公開にせよ」と要求すると、何とエムセリは報復の為にACABQからアメリカ人の委員をはずしてしまった。日本が莫大な金額の国民の血税を注ぎ込んで財政を支えている国連とは、実は金権疑惑まみれの一人のアフリカ人が全ての予算配分を独断で決め続けている機関なのである。1994年に国連創設以来初めて会計検査が行われたが、監査責任者C・パシケの報告書には「国連が世界で最も腐敗している機構だという結論に達した。これほどまでに、日常から詐欺行為が横行している公共団体は、他にはあるまい」と記されている。これでは共和党が「新国連」を望むのも当たり前のことではないだろうか(411頁)。 <中共の賄賂攻勢の場となっている国連> 中共は分担金が僅か1.5%であるのをいいことに、国連の幹部に莫大な賄賂をばら撒いており、とりわけアフリカ出身の幹部職員で中共から金を貰っていない人間は一人もいないともいわれる。日本の官僚は高級を取る為だけの天下り先に不要な特殊法人を多く設立してきたが、今や国連はこの日本の特殊法人と何ら変わらないのだ。もし国連が明日に消滅しても、それで困るのはこの54,000人の国連職員だけであり、それ以外には世界中の誰一人として困る人間は存在しない(412頁)。 <敵国条項> 敵国条項(国連憲章53条及び107条)とは、日本やドイツなど先の大戦の敵国であった国に対しては、どの国も安保理にはかることなく好き勝手に攻撃しても良いという規定である。敵国名としては日独伊とその同盟国であったハンガリー・ルーマニア・ブルガリア・フィンランドが挙げられており、国連憲章第53条2項では敵国の定義として「第2次世界大戦中にこの憲章のいずれかの署名国の敵国であった国に適用する」と規定している。そのため哀れにもフインランドなんかは、ソ連のドサクサまぎれの侵略に対して防衛戦を戦っただけなのに「敵国」の中に入れられてしまっているのだ。この敵国条項が存在する限り、国連は今でも日本を敵国と規定する軍事同盟なのである。つまり例えば中共が、「尖閣諸島問題は日本の侵略だ」という口実で、核ミサイルで脅しつつ人民解放軍を日本本土へ侵攻させても国連憲章には違反しておらず、さらに安保理で拒否権を行使されれば日本を救う為の国連軍が編成されることもない。この敵国条項がある以上、もし日米安保がなければ、今頃日本はソ連か中共の領土になっていたことは確実なのである(413頁)。 日本に核ミサイルの照準を向けている中共が安保理の拒否権をもつ国連に、そしてロシアに小さな島4つさえ返還させられない国連に、日本は一体何を期待できるというのか(414頁)。 <国連大学は反政府左翼勢力の拠点> 日本が莫大な金を注ぎ込んでいる国連とその関連機関は完全な「反日」機関と化しつつあるのが実状なのである。一例だけ紹介する。東京の青山通りに面した一等地に建てられた巨大なピラミッド型14階建ての豪華なビルをご存知であろうか。国連の関連機関の一つである国連大学というもので、その建設から運営予算から一切合財を日本が負担しており、現在でも日本は年間約3,800万ドルを毎年一国で負担している。大学とはいっても学生はおらず単なる研究機関的なものだが、実はこの国連大学が反日主義を掲げる反政府左翼勢力に事実上占拠されており、世界へ向けて「日本の戦争犯罪」なるものをアピールする拠点になっているのだ。(中略)つまり日本政府はその狂信的国連信仰が故に、反政府活動に大金を与えつづけているということだ(415頁)。 <日本の取るべき戦略> 日本の描くべき国家戦略とは、米国と共に国連同時脱退をもって国連を破産崩壊させ、日本が最初から安保理常任理事国となる日米英主導の新国連創設をすすめることにある。国連関連予算総額の半分近くを出している日本には、その気になれば国連を瞬時にして崩壊せしめる力が有るのだ。日本は自ら積極的に米国共和党政権に対し「一緒に国連を潰して、第三世代の国連を創設しょう」と提案すべきなのである(415頁)。 国連とは、日本に対して宣戦布告した国が集った対日軍事同盟なのである。 日本が一国だけで全予算総額の半分近くを払わされるのは、対日軍事同盟が日本に対して与えている「制裁」なのだ。国連とは昔も今も変わることなく日本の敵なのである。 国連こそ中共と並ぶ「打倒すべき対象」であることに国民の多くが気付く日が1日でも早く到来することを私は念願する。「百害有って一利なし」という言葉は、まさに日本にとっての国連を指す言葉に他ならない。そして日本のみならず世界にとっても国連がないほうが「よりよい場所」になることは確かなことなのだ(416頁)。 ≪日本再生への道ー憲法・歴史観・政界編成ー≫ 現在も日本が手足を縛られているGHQ製の「戦後体制」(憲法なぞ半独立的状況)は、世界における「国連体制」と軸を同じくするものであるということだ。敗戦日本の台頭と抑止するためのGHQ製「戦後体制」であり、同じ大戦の連合国側が集った戦勝国クラブが「国連体制」である。小室直樹博士いわく「国連は連合国が第二次大戦の勝利の成果に基づく戦後の現状をできるだけ末永く維持するための執行機関」だということだ。日本弱体化を国是とする中共とその手先たる日本左翼勢力は、護憲や反防衛、謝罪外交や自虐史観など日本お「戦後体制」の永続を望んでおり、従って当然「国連体制」を支持して国連中心主義を唱える(525頁)。 現在の世界秩序とは、「先の大戦で勝ったか負けたか」だけによって作られた秩序であり、一方ブッシュ共和党政権の描く世界新秩序のビジョンとは「先の大戦の勝ち負けによる秩序では、、もう今後の世界は成り立たないからその秩序基準を白紙にし、日米英を中心にアメリカ同盟国を軸にした秩序基準に引きなおそう」ということである(525頁) 世界秩序再編は日本を変革へと揺り動かし、世界新秩序と日本再生は一体にして不可分の関係にある。新しい世界秩序へ向けた再編が進まない限り、日本は大きく変われないことを忘れないで頂きたい。世界新秩序が日本を変えるのである。日本の「戦後体制」すなわちGHQのつくった秩序や価値観を批判してきた日本の愛国者にとっては、この世界新秩序を指示することが思想的一貫性であり、保守のくせに反ブッシュやイラク戦争反対を唱える人々を私が批判するのも、彼らが知ってか知らずか日本再生を阻害しているからに他ならない(526頁)。 |
| ブッシュ大統領「ヤルタ否定」−何故だ? 村田晃嗣 同志社大学教授 細谷雄一 慶応大学専任講師 ≪ブッシュはウイルソンを目指す≫ 細谷:ジョージ・ケナンはプロの外交官として「力」に基づく外交を展開し、道徳や法律といった「価値」に基づく手法を素人とみなし徹底的に批判しました。こうした「力」を重視した、古典的リアリズムによる戦略が冷戦期にはずっと支配的でした。 細谷:これからの世界を、ロシアや中国のようにヤルタ以来の「力の論理」によって考えるのか。それともそういった「力の論理」に加えて、自由と民主主義といったアメリカが唱える「価値観」を前提とした形でのグローバリゼーションの拡大と、それに抵抗する勢力との対立で捉えるのか。今後の世界を占う上で、この二つの認識のぶつかり合いを観察していくことが日本にとっても需要です。 ≪リバイアサンか、シスアドか≫ 細谷:高坂正尭先生が『國際政治』(中央公論)などで論じた「力(軍事力)」「冨(経済力)」「価値(情報や文化、規範)」という三要素という概念を使えば、「米軍再編」という「力」と、「アメリカ中心のグローバル・エコノミー」という「富」の側面では、国際社会は機能的にシステム統合されつつあります。一方「価値」の面では、中国や韓国におけるナショナリズムの暴発や中東のイスラム原理主義をみてもわかるように心理的統合が進まないどころか、反発すら強まっています。 細谷:ブッシュ大統領のヤルタ批判は、「力」の論理から「価値」の論理への方向転換の表明という意味で画期的ですが、中国やロシア、イスラムも独自の「価値」を自己主張したときに、「文明の衝突」になるかはともかく、「価値観の摩擦」を孕む危険性もあります。日本と中国が「東アジア共同体」を形成し経済的相互依存を深めれば深めるほど平和が達成されるという楽観論が、先の「日貨排斥」などをスローガンにした反日デモによって粉々に砕かれたのも、「価値観の摩擦」の一つの表れかもしれません。 ≪ドビルパンは松岡洋右の轍を踏む≫ 細谷:「勢力均衡」と「価値観の共有」という二つの原理こそが世界秩序の安定に必要であると力説しました。今の東アジアで台頭している中国を「勢力均衡」の中で位置づけるためにも、日米同盟はもちろんのこと必要ですね。 さらに「価値観の共有」となると、日米間では共有している「自由と民主主義」という価値観を受け入れない中国に対して、日本やアメリカがどう対処するのか、今後とも苦しまねばならない問題があるのです。ロシアといえども、その価値観は一応許容しており、プーチンは選挙によって選ばれた大統領ですが、胡錦濤は違います。 細谷:日本もアジアに、とりわけ韓国やASEAN諸国に対して、アメリカを中心とした国際システムを受け入れる利益を積極的に説く必要があります。それ自体が日米同盟を強化し、日本の国益にも繋がることにもなります。 ≪佐藤優氏が陥った本当の罠とは≫ 細谷:反共主義者チャーチルですら。第二次対戦中は「悪魔とも手を組む」覚悟で、ソ連と共にナチスドイツと闘いました。このように外交が巧みな国は、ある国を心底嫌っていても何食わぬ顔で付き合うという胆力があります。イギリスの優れた首相ピットにしてみれば、感情に振り回されて外交を行うことは「子供じみたこと」です。 細谷:今の日本の論調は、反ロシア感情、反中国感情、反米感情がそれぞれに強いといえますが、19世紀半ばのイギリスでも、地中海東部の覇権を巡るいわゆる「東方問題」の激化に伴い、反ロシア感情と反トルコ感情が同時に高まりました。しかしながらイギリスは、両国が手を組んでイギリス帝国の権益を脅かすという事態を避けるために、双方共に敵に回すことはあえてしませんでした。一方ドイツは、モロッコを巡り反フランス感情が、バルカンを巡り反ロシア感情が高まった時に、結局両方と戦争(第一次世界大戦)することで国を滅ぼします。 |
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