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日本精神・日本の使命(T) |
| ●李登輝氏 1.「人間いかに生きるべきか」という哲学や理念を教える。「公に奉ずる精神」こそが日本及び日本人本来の精神的価値観である。 中共、韓国には儒教社会としての「孝」(親孝行)の観念はあるが、「公」(忠)の観念はない。 2.「伝統や文化(精神的なもの)」と「進歩(物質的・機械的なもの)」との共存関係。 3.「義」を重んじ、「誠をもって率先垂範」、「実践躬行」するところである。日本精神の良さは口先だけじゃなくて実際に行う、真心をもって行うというところにこそある。 -------------------------------------------------------------------------------- ●孫文 儒教は地域を公としない。孝の思想を中心に、血族を神聖化する。つまりは血族主義の儒教に馴致されて、古き越人の末裔たちは同姓をもって同血とし、機闘の目標を他姓にむけるようになった。これでは国家を公とする近代国家が興らない。 |
| ●中西輝政(京都大学教授) ・政治の可能性の回復、社会の価値観が切り替わるとき国家の再生は可能となる。 たとえば、託児所や保育所を増やしたから少子化が解消されるということはない。国の先行きに安心ができる、将来ふたたびこの国は上り坂に向かい、「社会は家族という絆のもとに成り立つ」という認識を得られたとき、初めて人間は安心して子供を産む。未来に期待するようになる。 ・家族という共同体の価値が蘇ることが、実は国家再生のカギ。レーガンの改革もサッチャーの改革も「家族の復権」をめざしたものだった。 ・争いを避けるためだけの平和よりも大事な正義がある。国家は時にその正義のためにあえて外国と対立してでも行動しなければならない。世界では当たり前のことである。 ・たとえ緊張を招こうとも、北朝鮮や中国のように不当な振る舞いを仕掛けてくる国に対しては、きちんと事を構える覚悟が日本には必要である。もはや過剰な「歴史の贖罪感」はもつべきでない。むしろそうした戦後の歴史観の安易な惰性が日本国民一人ひとりの生命、安全を脅かすまでの結果を招いたのだと悟るべきなのである。 -------------------------------------------------------------------------------- 諸君 平成15年 4月号 ・欧米でも多くの論者がいうところですが、現代はグローバル化が進む、とされるからこそ、「国家」が重要になるということです。また、多文化社会が到来しつつある今、日本にも合法的な移民や外国人労働者が増加する一方で、日本人自身も海外に多数出て行ってます。こういう時こそ、日本人が自分たちの歴史認識や文化に対してちゃんとした座標軸をもたなくてはいけなくなっていることは、議論の余地がないところでしょう。 つまり、「あらゆる国のどんな文化も歴史認識も尊重しましょう。でも、日本としての基本の座標軸、アイデンティティとはこういうものです」と対外的にちゃんと提示する必要がある。また多文化の社会になるということは、バラエティを尊重するいうことと共に、その中で主流の文化はこれです、と教育の場でしっかりと教える必要が強くなるということです。 またそもそも、この国自身の国家、国民としての風習、儀礼、伝統はかくかくしかじかであると我々日本人がきちんと確認しておけば、靖国神社にしても、正月の総理以下の閣僚の伊勢神宮にしても、中国から容喙されてたじろぐ必要はなくなるのです。 そういう意味で、今後は、世界のどの国も自己の伝統的な文化を互に尊重すると同時に、過去の歴史上の他国とのさまざまな戦争体験や歴史観の違いは違いとして相対化し、全体的に大きなバランス、成熟した考えをもって交流する環境が徐々に定着していくと思います。それを見据えて上での日本のアイデンティティ回復のために不可欠の教基法改正であるべきです。 ------------------------------------------------------------------------------- 諸君 2月号 平成16年 ・日本という国はいざとなったら目覚しい交戦力を発揮する、迂闊にこの民族に手出しをすれば必ず痛い目にあう、周辺国が等しく抱いたこの警戒感が、戦後の長い間、この国を平和に保つ、ひとつの大きな要因となってきた。あの戦時に日本国民の示した気概が、まさに見えざる大きな「抑止力」の機能を果してきたのである。 ・中国やソ連という当時の仮想敵国も、日本へのあからさまな手出しは躊躇した。それらはすべて、「寝た子を起こすな」という、かってのあの「雄雄しい日本」に向けた恐れに似た感情に由来するものだったのである。だが、それを知るスターリン、ブレジネフ、周恩来、毛沢東、金日成らの時代は遠く去り、もはやその「恐れ」をまったく持たない世代の政治指導者が周辺国に現れている。日本の干戈(カンカ)を交えた経験のない、金正日、胡錦トウ、プーチンらに、日本に対する警戒心、畏怖心が稀薄なのは当然だろう。二十一世紀の日本が直面する危機は、こうした世の転変に根を持つのである。 ・かってオーストラリアを訪れた中国首相、李鵬は「日本などという国は2015年頃には溶けてなくなっているはずだ。一々考慮すべき相手ではない」と発言して、心ある日本人の強い怒りを買った。確かに非礼極まりない放言ではあるが、どこか我々の直面する危機の本質を衝いた”慧眼”を感じられないではない。李鵬の「予言」が現実のものとなるか、否か。そのぎりぎりの場面に我々はいるのである。 正論 平成16年 2月号 |
| 中曽根康弘元総理大臣 ・経済問題であれ、安全保障問題であれ、目前の臨床的な手当て、日々発生してくる仕事の手当てはするけれども、「日本がどこへ向っていくのか」ということ、「どこに国の理想と正義があるのか」ということ、そういう胸に訴えるような訴えがない。それを私たちはこれから作っていかなければならない。 |
| 司馬遼太郎対話選集 司馬遼太郎Vs海音寺潮五郎 文芸春秋 司馬:士農工商という階級で、日本人全体を縛り付けたという大変悪いところはありますが、そうかといって絶対的階級制ではない。学問なり、剣術、医術という、そういう方面の練達者なら、百姓の階級からどんどん出て来て士分階級に移っておりますね。そういう窓は割合ひろくあけてあって、風が通っている。 海音寺:だから日本には革命が起こらないという人もありますね。いつの時代にも、日本は階級が固定していない。大体のきまりはあるけれども、すぐれた人間にはどこかに上がる道が用意されている。 -------------------------------------------------------------------------------- 司馬:幕末の志士の死生観というのは、宗教が介在していませんね。これは極めて清らかなものですね。 海音寺:天皇教というんでしょうね。あるいは愛国教ですね。一つの宗教的信念にまで昇華していますね。 司馬:それから死ぬときなんかは、簡単に死ぬ。あの世で生まれ変わるから死ぬんではなく、自己否定を潔くやりますね。あれは割合に日本人の原型的なものではないですか。幕末には仏教はあまり入ってきませんね。 海音寺:死して護国の鬼となる。つまり護国の神になるということですね。 日本人の、いいことをして死ねば神になるという場合の神の観念は、仏教の諸天善神やキリスト教のセイントなどとはもちろん違うが、人間を離れた霊的存在ではある。誠心誠意をもってよいことをすれば、それになれるという考えがあるんですなあ。 司馬:だから神道という言葉も出来ていない頃から、日本人固有の宗教、というより、多分に、美意識のような、それは宗教に代わるべきもの、そういうものがあるんですね。物忌みをする、穢れをおそれる、清浄を好む、宗教というより、恐れを伴った美意識という方により近いものはあった。しかしそれは、思想というほどの容器に盛り上げたものではない。いわば容器そのもののような思想、日本的シャーマニズムがあって、これは今でも日本人の意識の底に重要な部分を占めていますが、思想ではない。なぜなら、物忌み、穢れぎらいの上に仏教も十分にのっかりましたし、儒教も盛り上げられた。 乱世になって、前時代のモラルが消し飛んでしまうと、日本人はカッコよさ、いさぎよさ、見栄えのよさ、そういうところで個人を支えたり、社会の関連を辛うじて保ったりしている。行動のカッコよさを大事にするようなもので、日本的シャーマニズムだけは消えずにある。 上に乗る思想は時勢時節で変わる。皇道思想が乗ったり、それを捨てるとデモクラシー、あるいはソ連式社会主義、さらには中国式社会主義ー。 -------------------------------------------------------------------------------- 司馬遼太郎対談選集 司馬遼太郎Vs海音寺潮五郎(小説家) 文芸春秋 海音寺:忠義とは日本では、天皇と公家、大名と家臣、武士とその譜代の家来とだけのものだったのが、270年の江戸時代の間に、百姓や町人の社会にも及んで、忠僕・忠ヒなどというのがでていますからね。対象を天皇様に移しさえすればよいのですから、効果があったはずです。 ******************************************************************************* 司馬遼太郎対談選集 司馬遼太郎Vs奈良本辰也 文芸春秋 司馬:思想や道徳で日本人をとらえるよりも、やはり美意識でとらえたほうがわかりやすいということですね。 ******************************************************************************* 司馬遼太郎対話選集 司馬遼太郎Vs萩原 延壽(歴史家、政治評論家) 文芸春秋 萩原:ヨーロッパでも1618年から48年にかけて、西ヨーロッパ全土をまきこんだといっていい30年戦争がありましたね。カトリックとプロテスタントの両派が、血みどろになって争ったわけですが、イギリスもこれと無縁ではなかったわけで、クロムウエル率いるプロテスタント内部の純粋派、ピューリタン(清教徒)による反乱があり、ついに1649年には、国王のチャールズ1世(1600〜49)を断頭台におくって、首をハネてしまう。 イギリスと日本は、両方とも王室があるとか、立憲君主制で似ているとかいっても、そこが決定的にちがうところで、イギリスでは国王を殺していますからね。 司馬:国民の公敵という議会の決定によって、チャールズ1世が群集の前で断頭台にかけられておりますね。大きな斧で。 萩原:そこが非常に違うんです。さっきの家康の話もそうですが、どうも日本人はとことんまで対決しない。いい悪いは別にして、ともかく対決しないというか、ある点まで対決して、そのあとはサッと手をうつことによって、問題を解決していく。 他方、ヨーロッパの流儀はそうじゃない。とことんまでやる。しかし同時に忘れてならないのは、これは思想史の教科書によく書かれていることですが、思想の自由、異なった思想に対する寛容という態度が登場しはじめるのは、この30年戦争のあたり、あるいはその渦中から、ということです。 じっさい、それ以前の異端、つまり、自分の宗教とか宗派に属さないものに対する追求、迫害、拷問などのすさまじさ、むごたらしさは、日本では考えられないほどものすごいもので、そういう時に使った道具などが、いまでもヨーロッパの博物館などに残っています。 つまり、ヨーロッパでは、精神や思想の問題で対決し、王様の首までハネても、やはり精神や思想は生残り、その勝ち負けの決着はつくものではないと、知識としてでなく文字通り、骨身にしみて知ったわけで、そこではじめて、異なった立場もあり得るという認識、つまり寛容という結論に達したわけです。 もっとも、その後も、フランス革命やロシア革命の例が示すように、とことんまで対決するという伝統は残りますが、それにも拘らず、いや、逆にそれだからこそ、といえると思いますが、他の思想に対する本当の寛容な態度が、同時に養われていった、といえる。ところが日本の場合は、まずとことんまでやらない。 司馬:決してやりません。 萩原:やらないことが、逆に本当の寛容を生み出さない、そういう面があるんじゃないですか。 司馬:そうかもしれません。 ------------------------------------------------------------------------------- 司馬:元来神道とはどんなものだったのかよくわかりませんが、要するに、不浄を忌み嫌う心であるわけでしょう。さらには祟りを恐れるということ。 ------------------------------------------------------------------------------- 萩原:原点が内部にある。生活を律するものが自分の中にあるということですね。それを見ているのは神様か、お天道様か、迷信か、祖先か、それはわかりませんけれど、いずれにしても誰かが自分を見ていてくれる、これを裏返していうと、生身の人間という意味では誰も見てくれなくても、するべきことはする、そういう感情が侍、あるいは侍の理想像としては、あったのではないでしょうか。 司馬:たしかに、自分の行動を美しくさせる基準、原理が侍社会にはありました。 -------------------------------------------------------------------------------- 萩原:福沢にとって、封建制度は親の敵であり、四民平等大賛成、そこで侍社会を攻撃しなければならない。だが、侍社会を攻撃し、それが崩壊した後で、日本に何が残るのか。残ってもらいたい希望をこめて、福沢はそれを「独立の精神」と読んだわけです。独立という言葉に、司馬さんのいわれる自由とか権利とか、人間の気高い部分をすべてぶちこんだわけで、あれは福沢の壮大な夢を託した言葉です。 つまり、福沢の使う独立という言葉の意味は実に深いと思うんです。たんに国の独立などという、簡単なしろものではない。しかし、この「独立の精神」をどこから持ってくるかといったら、彼が攻撃せざるを得なかった封建社会下における支配階級、つまり侍が持っていた原理から、といいうことになりはしませんか。ヨーロッパでいうノブレス・オブリージュ(特権には義務が伴う)であり、感覚からではないでしょうか。たとえばイギリスでは、いったん国難が来れば貴族がまっさきに戦場に赴く。ふだんは呑気に遊び暮らしている貴族が、普通の兵隊よりも先に第一線に駆け出して戦死するのが当然であるとされている。 実際はそうじゃない連中も沢山いるようですが、少なくともその気風はまだ残っている。かっての日本の侍にも、自分達は特権階級であり、それに見合った特別の義務があるのだという気風が、たしかに存在した。全部の侍が実際にそうであったというわけではないにしても、そういう理想像がはっきり掲げられていた。ところが、福沢の「独立の精神」には、実はこの気風に頼らざるを得なかったという矛盾があり、悲劇があったわけですね。 司馬:それは面白いなあ。 ------------------------------------------------------------------------------- 萩原:内村鑑三からは、福沢は「拝金宗」の教祖であると、やっつけられる始末でた。・・・・「薩長藩閥政府の害毒は、一回の政治革命で直せるが、福沢の流した「拝金宗」の害毒は、一回の政治革命では到底処理できない」と言っているくらいです。・・・・・・・・侍の持つ一番良質な部分である「やせ我慢」の精神、それではやや古めかしいので、独立の精神とか抵抗の精神と福沢は呼んだわけですが、これを福沢は一番重視した。だから西郷隆盛と弁護士、勝海舟を批判した。しかし、そういう要素が、弟子からは欠落してしまう。文明開花だ、牛肉を食え、株式会社を作れ、金をもうけろという面だけ、弟子がうけついでいく。 ******************************************************************************** 司馬遼太郎対話選集 司馬遼太郎Vsヒュー・コータッツイ(駐日英国大使) 文芸春秋 司馬:どんな進んだ社会でも、未開時代のネイティブだったときの習慣が残っています。日本の社会も呼びかけについては残っている。未開人にとっては名前を呼ばれるのは、心臓を突き刺されるようなショックを受けるようです。 ******************************************************************************** 司馬遼太郎対話選集 司馬遼太郎Vs山崎正和(劇作家、評論家) 文芸春秋 司馬:天皇というものを一つ置いたら、殿様だって自分達だって同じだ、ということなんですね。この思想は日本人一般の思想で、これが混乱してきた日本の近代化の過程で、何とか悪い方向に社会を進ませなかった力になったんじゃないかと思います。 明治になってからは、帝国大学を出れば貧民の子でも出世できる道が開かれていた。陸軍士官学校に入れば大将にだってなれる社会でしたね。これは世界でもめずらしい平等主義というべきで、・・・・・・。近代化の過程における天皇の役割について、この天皇意識という虚を設定して平等意識を成立させたという幕末の気分を考えないと、ちょっと明治がわからないし、社会が進化したあとで、つまり国民における住民性が拡大されるようになったいまのようないい時代になってから、過去を振り返るとき、つい見誤りやすい点だと思いますね。 ******************************************************************************** 司馬遼太郎対話選集 司馬遼太郎Vs榎本守恵(日本史学者) 文芸春秋 榎本:・・・麦ではくらせないのです。米ですと、特に米がとれていない地域ですから、これは高く売れます。そして、もう一つは藁です。俵にしても縄にしても、わらじにしても。 ******************************************************************************** 司馬遼太郎対話選集 司馬遼太郎Vs西澤潤一(電子工学者) 文芸春秋 西澤:みんなが騒いでいるところに入っていって同じことをやるのは、日本人というのは非常に達者だけれど、誰もやっていないところを調べてみるのは、実はこれが学問の本質だろうと思うんですが、日本人は不思議なことにやりません。 ------------------------------------------------------------------------------- 西澤:日本に足りないのは基礎研究の評価、それに開発生産につなぐところが弱い。 ------------------------------------------------------------------------------- 西澤:この頃、著書の中で司馬さんは「公が大事だ」とおっしゃっている。私は、人格が大事だということを言っているんです。・・・・・ 司馬:確かにそうです。明治・大正までの人には、日本的な意味での倫理というのがあった。・・・鎌倉時代でも、「名こそ惜しけれ」という、戦場に出て卑怯なことをしたら恥ずかしいという感覚があって、倫理に代わるべきものとして自分を律していました。・・・・・・・ それまでカトリックの時代は、たとえば当時のスペイン人のように、聖書は協会がもっていて、人々は読んでいない。ところがプロテスタントは自分が聖書を買ってきて、それを読んで、「聖書にかいてあるから、きちっとしましょう」ということになる。それで16世紀、17世紀、18世紀のイギリスが興ったと思うんです。・・・・ 西澤:私は、近代人の特徴というのは、社会というもんを意識していることだと思うんです。今、日本はそれがなくなっている。 ******************************************************************************** 尾佐竹猛:「十年やればどんな馬鹿でも並にはなれる」 藤井甚太郎:「資料は糞でも味噌でも手の届く限り獲れ。品別はやっているうちに自然に分かって来る」 |
| 司馬遼太郎対話選集1 この国のはじまりについて 司馬遼太郎Vs林屋辰三郎 文芸春秋 林屋:実際今でも「名こそ惜しけれ」という気持ちが、私達にとっても、いろんなことを選択するときの、一番の基準ですね。 |
| 司馬遼太郎対話選集1 この国のはじまりについて 司馬遼太郎Vsライシャワー 文芸春秋 司馬:町人、百姓は、武士を非常に尊敬していた。心ならずも頭を下げてるんじゃなくて、子の人たちは抽象的なものに対して殉ずる気持ちのある人たちだというので、尊敬していた感じですね。だけど実際は貧乏だ。そうすると、貧乏というの価値があると思うのかな。これは日本人の特徴ですね。 司馬:関東武士たちの価値基準というのはただ一つといっていいくらい。つまり恥ずかしいことはしない。「名こそ惜しけれ」といいますか、それが非常に強烈な倫理として全日本を支配したわけで、その気分はいまでも関東にあるわけです。 司馬:倭寇というのは、土地所有の精神といいますか、執着はなくて、すぐ帰っていくというのは、あれはやっぱり漁民ですな。何となく農民じゃないみたいな感じですね。 ライシャワー:徳川期の今日の日本に対する遺産として、非常に重要なものは、以下の二つだろうと私は思っています。一つは・・・明治維新以降、非常に急激な変化に日本は見舞われたわけですし、おそら他の国には例を見なかったほどの激しい変化にさらされたにも拘らず、徳川時代に養われた日本人の秩序感覚というものが見事に生かされまして、巨大な変革を、秩序正しくのりきっていくことを可能にした。これはやはり私は大きな遺産であると思うんですね。 今ひとつは、その二百数十年の間には、いろいろな階層、身分と申しますか、あるいは藩組織というものの各段階で、相当程度自治ということが行われていた。自治の感覚というのが、私は非常に素晴らしかったと思うんです。いろんな制約条件はあるにせよ、藩が一つの自治組織であったことは間違いないと思います。 ライシャワー:板垣と大隈の場合は、政府の官を辞して野に下ったときに、大衆運動というような理想を掲げて、それにこれから一つ余生を捧げようと思った。これは当時としては大変なことだったと思うんです。 司馬:ところが実際は濃密な商品経済の社会になっている。つまり前期資本主義といってもいいのかな、勝手な術後とここでつかうとしたら、前期資本主義の時代になってる。その現実を懸命に努力して認めたがらなかった。認めたのが田村意次。半分認めたわけです。本当は全部認めたかったんだけれども、抵抗が大きいから半分くらい認めた。 そうすると、認めることは、武士にとっても、農民にとってもよくないわけです。ところが、認めざるを得ない社会になっているのに、眼をつぶってたんです。幕末まで眼をつぶってた。目をつぶって暮らす消去法が、日本人のメンタリティーの中にあるんです。 司馬:江戸時代の商品経済の爛熟のおかげで倫理性が出てきたというのでしょう。さらにはその底には江戸時代の士道ということがまずあるでしょう。それが明治の背骨ですから。・・・ 商品経済そのものにモラルができていたおかげで、明治になって製鉄所を興すときに汚職が起こらなかった。やっぱり徳川時代のおかげということがいえますね。 -------------------------------------------------------------------------------- 司馬遼太郎 作家 司馬遼太郎対話選集3 文芸春秋 ・思想というのは、本来完璧なかたちでは化学の結晶体を取り出すような作業が必要なものであって、なによりも論理的に完璧なものでなかったらいかんと思うのですよ。つまり、地についていちゃいけない。本来宮中に浮いているものであって、地上に少しでもくっついたら、その思想は結晶がどこかでくずれていると考えていい。 その思想が政治思想である場合、それを現実化したいという欲求が生れる。それを地上のものにしたいという本来無理な欲求に出る時に個人の肉体のなかで狂気が生れるわけです。生れざるを得ない。先ほどもいったように、思想は本来的に、現実化を厭うものですから、その矛盾をやってのけるためには、ナマの人間その人の一大狂気、それが触媒になるわけでしょう。要するに気でもふれなきゃしょうがない。 ただ、そのかわり、まわりの、いや無縁の民衆まで引き込んで、傷つけるか殺すか、ときには国家をも亡ぼしてしまう。これがたいへん困るわけです。われわれ日常庶民の生活にとって、頭のなかに描いた思想というフィクションを現実化しょうとして狂気を発する人は大変困る。迷惑を被るのは歴史上、つねに庶民の側であった。 ・近代日本社会の深刻な問題点が、70年以降の戦略なき日本、義務なき権利、規律なき自由の横行する経済原理一本槍の日本社会の内部に保存されていると見たからである。 |
| 黄 文雄 評論家 正論 平成15年 6月 何故台湾人が親日的かといえば、それは戦前の日本人には尊敬に値する人が多く、台湾で慕われていたからだ。戦後日本人がいくら先達を「軍国主義」「植民地主義」と非難しても、彼等を人格的に超えることはできない。自分が一体何様のつもりでいるかは知らないが、よく足元を見て欲しい。 -------------------------------------------------------------------------------- <日本から東亜各地に拡散した文明開化の波> ・日本の開国維新は、文明の改宗といわれるほどの東洋文明の否定であり、放棄だった。もちろん東亜世界の伝統的な中華天朝朝貢冊封秩序の否定でもあった。 ・日本人の鋭い感覚は、近代化を「文明開化」として捉えた。そしてその時代感覚から「脱亜入欧」を進め、積極的に西欧文明を受容して国家を転生、成長、隆盛させるとともに、怒涛のごとくアジアに影響力を伸長していった。 <日本の資本・技術移転の成功によるアジアの発展> ・東亜の近現代史を語る上で、まず着眼しなければならないのは、匪賊の跋扈とそれ以上に過酷な軍隊と官僚による苛斂誅求があった、という社会史である。それを知らなければアジア的停滞社会の経済史もわからない。 そのような歴史的社会状況を打破したのは、まさに日本人の手によるインフラ建設であった。日本人は台湾で匪賊を討伐、平定し、朝鮮では両班の苛斂誅求を停止させた。満州では軍閥、馬賊を追放し、それによってこれらの地域では安定社会が現出し、殖産興業が行われた。 ・満州事変後に満州国が樹立されると、治安の安定した桃源郷、王道楽土を求めて、毎年百万人以上の流民が万里の長城を越えて満州国へとなだれこんでいる。支那事変勃発後は、日本軍が進むところ、匪賊が姿を消して社会秩序が回復し、インフラが築き上げられ経済が安定へと向っていった。 <牡丹社事件と台湾の「化外の地」論争> ・副島全権大使は、清国側から同治帝への国書奉呈の謁見の際に、「キハイの礼」(ひざまづいて礼をする)を要求されると、日本は清国の属国ではないとして拒否し、「サンユウ」(立礼三回)を行った。これにより日本は、初めて清国と対等な立場で謁見した国家として各国に称賛された。 <日本の精神文化という「遺産」の大きさ> ・日本精神(リップンチェンシン)すなわち大和魂は「ベン命(ピアミア)、「全力を尽して事に当る」「命を賭けて行動する」ことの象徴である。 ・日本精神の中には、勤勉、進取の精神、強い責任感、法を守ること、人を思いやって和を尊ぶ、忍耐すること、などが含まれている。 ・台湾は戦前からすでに「アジアの孤児」という自己認識があったが、現在は中国によってさらに厳しい、孤立無援の環境に置かれている。その台湾人のよりどころにするものが、いくら虐げられても屈しない「大和魂」なのである。 ・日本は大東亜戦争当時、ABCD包囲網に包囲され、八方塞がりに追い詰められた結果、そこから抜け出すために、大日本帝国の国造りを支えてきた時代の精神を究極まで高めなければならなかった。 ・前線兵士も銃後も、国造りの精神を「抵抗」の精神として昇華させたものが「大和魂」だったのである。 |
| ベン・アミー・シロニー ヘブライ大学教授 正論 平成15年6月号 強烈な宗教がなかったため、19世紀の日本人は、イデオロギーや神学上の分裂を来たすことなく西欧文化を受け入れることができた。彼等は、既存の信仰や儀式を捨て去るよう求めるキリスト教こそ拒否したけれど、西欧流の生活、制度、哲学などを受入れた。休日を変更して、西欧の暦に変更することもした。 |
| ドナルド・キーン 日本文学研究家 司馬遼太郎対話選集3 文芸春秋 ・神道によりますと、人間が生きているこの世界は、いちばんいいところです。死んでからは、黄泉という穢らしい汚れの多いところへ全ての人は行く。仏教では、この世の中は娑婆であって、穢れのおおいところである、死んでから清い浄土へ行く。儒教のほうは、この世の中以外に世の中はない。三つともまったく矛盾しあっているんです。日本人はその三つの宗教を同時に信じられるので、たいしたものだと思います。 |
| 山本 七平 評論家 司馬遼太郎対話選集3 文芸春秋 ・日本では中心というのがあってはいけない。空みたいになっていなくちゃいけないんですよ。その中心の空みたいなところに、いろんな優秀な人間が集っている。つまり、全体に枠みたいなのがありまして、枠があるんだから真中が抜けてなくちゃいけない。真中があんまり充実してちゃ、なにもやってはいけないから、枠だけ決めておいてなかは融通無碍にする。 ・決定者というのがどこにいるのかわからない。あくまでも全員の総意でございますと、ただ総意に参加できる枠だけは決めてある。ここまでの範囲は相違決定に参加していい、ここからはいけないんだ、と。なかは誰が決めたか本当にわからないけれども、ごく自然に決めてしまったーそういう形をとってるわけですね。 |
| 黒田 勝弘 産経新聞論説委員 「韓国人の歴史観」 文芸春秋 ・日本は韓国(朝鮮)支配の歴史の中で王妃・ミン妃暗殺事件を引き起こし、さらに五百年続いた朝鮮王朝(李朝)までもなくしてしまった。その王族の一人だった李殿下は日本の敗戦直前、広島にあった第二総軍司令部の教育参謀(陸軍中佐)で8月6日朝、出勤途中、原爆に遭遇し翌日、死亡される。この朝、たまたま出勤に同行できず難をのがれたお付き武官の吉成弘中佐は通夜を済ませ八日朝、出棺を見送った後、殿下が被爆した朝の出勤にお供できなかった責任意識から自決した。 ここまでは史実としてそれなりに知られている。 ところが死亡した李殿下の遺体は八日午後、広島にあった吉島飛行場から陸軍の双発練習機で玄海灘を飛び故国の京城(ソウル)に運ばれ、留守宅の夫人のもとに届けられた。葬儀は陸軍葬として八月十五日、正午の天皇陛下の終戦を告げる放送があった後、午後一時から東大門運動場で阿部信行総督以下、各界要人が参列してとり行われた。 日本は自ら亡国の瀬戸際にありながら、韓国の王族に精一杯の礼を尽くしたのである。八月六日広島原爆、八月八日ソ連参戦、八月九日長崎原爆、八月十五日降伏・・・あの歴史の息詰まるような瞬間に、日本はよくやったと思う。 |
| 渡部 昇一 上智大名誉教授 「何が日本をおかしくしたのか」 講談社 ・日本人はともすると「至誠、天に通ず」、「沈黙は金」という発想から、黙って誹謗中傷に耐えることが美徳だと考えがちである。それは狭い日本列島の中では通じる知恵ではあるが、世界を相手にしたときには、むしろ逆効果になりかねない。 ・今の日本人がなんとなく自信をなくしているのも、つまるところ戦後の出発点に当る独立回復の時点で、日本という国のあり方、つまり「憲法=国体」を自分達の手で決めたという記憶を持っていないからである。否、憲法の重要性が認識できていなかったのだ。 ------------------------------------------------------------------------------------------------------------ 「正論 平成18年2月号」 ・アメリカがイギリスに対して独立戦争をやったとき、独立する必要が無いという人がいっぱいいたわけですよ。独立が終わると、彼等は皆カナダへ逃げなきゃならなかった。それだけ厳しいんです。世の中は。 日本だけが大甘の甘ちゃん、ソ連が解体してから村山のトンちゃんを首相にするなんてトンチキなことをやるわけでしょう。信じられない。土井たか子が衆議院議長になったのは、ソ連が解体してからです。世界中が社会主義がダメだって言ってからなっているんですよ。 |
| 櫻井 よし子 ジャーナリスト 「日本ノ危機」 新潮社 (中坊公平氏) ・暴力は何故強いか。第一に暴力に対座する法が追いつかないからです。 法は手続にものすごい時間がかかります。暴力は即効性があります。また、法による量刑を見ると効果が薄い。暴力は眼前の人物を直ちに殺すことも出切る。しかし、司法の場で犯人一人を死刑にするのは、容易なことではない。 ・担保物権に群がる暴力団や右翼に対して、中坊氏は徹底して法的に処理していく。掲示告訴と刑事告発を連発し、警察の手を借りる一方で民事裁判でも暴力団に徹底抗戦する。 ・世の中の問題は、基本的に正義で割れば割れるものを今の日本は「正義よりも権利とエゴが充満しているために、それができないのだ」。 (摩擦を恐れ、力を恐れ、もの言わぬ国) ・力なるものを否定する戦後の風土の中で、今では健全な「力」の発揮さえ、少なくなっている。 ・そこには非常事態に対して、身体を張って自分の責任を果たすとか、社会の安全が脅かされた場合には、力の行使も厭わないという決意がみえた。 ・「力を疎むことが正義を愛し守ることだ」と錯覚した日本社会は、結局、日本人みずからをも守ることが出来なくなってしまった。典型的な事例が、北朝鮮に拉致された日本人の存在を、二十年間も、政府が放置してきたことだ。 ・摩擦を恐れ、力を恐れ、もの言わぬ日本は、諸外国から見ればいかにも御し易いだろう。なぜ日本は国際社会に毅然たる姿勢を示せないのだろうか。竹島を韓国が実効支配し、日本領海を幾度も中国の海洋調査船が侵犯し、数週間も長逗留して測量を続けるのも、日本が、最終的に「力」に屈すると分かっているからだ。 平和の象徴の鳩は、実は戦い始めると、相手が死ぬまで攻撃を続けるという。獰猛と思われている狼は、相手が降参し、急所である首筋を自分の前に差し出すときは、攻撃を止めるという。 攻撃しょうとする本能を剥き出しの”牙”と今にもとびかかろうとして震える筋肉に表しながら、狼は、紙一重のところで踏みとどまるのだ。「力」を有するものが限りなく殺し合いをすれば種は滅びるとの分別が遺伝子の中に刻み込まれており、それが相手を倒したい本能に勝ってしまうのだ。 片や鳩には「力」がないため、そのような制御装置は備わっていない。だからこそ、攻撃がはじまると、最後までつきすすんでしまうのだ。「力」を追放してきた日本は、自らが力なき存在になりつつある。物理的な力だけでなく、困難や問題に直面した時に戦うだけの心の強さ、意思の堅固さもなくしつつある。立ち上がらなければならない時に、勇気を奮って立ち上がることもなくなりつつある。 まるで大人しい羊のようにほんのちょっとの力を持つ存在によって、如何様にもコントロールされる国民になりつつある。一体私達はそんな人間集団であり続けてよいのか。それはとどのつまり平和をあいする形を取りながら、実は残酷な鳩の国になるということではないのか。 「SAPIO 12/14」 「憲法改正を発議する」 <自民党素案から草案で抜け落ちた日本人の美意識、文明観を復活させよ> ≪かって外国人らに「地球上最大の幸福者」と言わしめた日本人≫ ・明治22(1889)年に来日した英国の詩人エドウィン・アーノルドは、日本の聴衆を前に次のように語った。 「あなた方の文明は隔離されたアジア的生活の落ち着いた雰囲気の中で育ってきた文明なのです。そしてその文明は、競い合う諸国家の衝突と騒動のただ中に住む我々に対して、命を蘇らせるような安らぎと満足を授けてくれる美しい特質を育んできたのです」 「寺院や妖精じみた庭園のすいれんの花咲く池の数々のほとりで、鎌倉や日光の美しい田園風景のただ中で、長く続く荘重な杉並木のもとで、神秘で夢見るような神社の中で、茶屋の真っ白な畳の上で、生き生きとした縁日の中で、さらにまたあなたの国のまどろむ湖のほとりや堂々たる山々のもとで、私はこれまでにないほど、わがヨーロッパの生活の騒々しさと粗野さとから救われた気がしているのです」 この詩人が「命を蘇らせるようなやすらぎと満足を授けてくれる美しい特質」と表現したものは日本社会の至るところに存在していた。それは日本の自然であり、人家の佇まいであり、日本人の微笑みと挙措であり、それらを作り上げた日本人の心だった。 ・幕末の安政4(1857)年に初めて長崎湾を訪れたオランダ海軍の教育隊員ポンペは「乗組員一同は眼前に展開する景観に、こんなにも美しい自然があるのかと見とれてうっとりした」と書き残した。 また、幕末に長崎に開かれた「海軍伝習所」で日本の若き武士たちに海軍とは何か、外交とは何か、さらに国家とは何かを教えたオランダ海軍の教育隊長、フォン・カッテンディーケもこう書き残した。「四囲の情勢が変わりさえすれば、こんな美しい国で一生を終わりたいと何遍思ったことか。(中略)これらの地に住む人々こそ、地球上最大の幸福者であるとさえ思った」 ・美しい自然の構築と維持は、幸福なる心の反映である。そうした点に多くの外国人が触れてきた。安政5(1858)年に日英修好通商条約を締結するために来日した使節団の一員で、使節団の乗ったフリゲート艦の艦長を務めたオズボーンは最初の寄港地長崎の印象について「この町で最も印象的なのは(そしてそれはわれわれ全員による日本での一般的観察であった)男も女もこどもも、みんな幸せで満足そうに見えるということだった」と書き残した。 オズボーンと共に来日したオリファントも書き残している。「個人が共同体の為に犠牲になる日本で、各人がまったく幸福で満足しているように見えることは、驚くべき事実である」と。 オリファントは尚も書いている。 「我々の最初の日本の印象を伝えようとするには、読者の心に極彩色の絵を示さなければ無理だと思われる。シナとの対照がきわめて著しく、文明が高度にある証拠が実に予想外だった」 セイロン、エジプト、ネパール、ロシア、中国などを見聞して旅行記を著わしつつ、日本に来た29歳の英国人、オリファントは日本に高度の文明が存在したことを驚きで表現したのだ。予想外の「文明」に彼は感動し、母親への手紙に次のように書いた。 「日本人は私がこれまで会った中で、もっとも好感の持てる国民で、日本は貧しさや物乞いのまったくない唯一の国です。私はどんな地位であろうともシナへいくのはごめんですが、日本なら喜んで出かけます」 |
| 前野 徹 「第四の国難」 扶桑社 ・たとえ国が滅びて政権を海外に牛耳られても、民族は残る。しかし、現在の日本人の精神構造の破壊を見ると、もはや日本民族といえる人間すら急激に減りつつあるように思う。民族の魂が失われれば、国の再建は叶わず、国家は永遠に消滅する。ただ残るのは、かって日本という国があり、滅びたという歴史の記述だけである。 ・今でも台湾では、日本精神を「リップンチェンシン」と呼び、大切に守り続けている。例えば台湾では今でも「教育勅語」を掲げる学校もある。教育直後を手放しで受入れよというつもりはないが、徳目などその精神については、ぜひ、教育の中には取り入れるべきだと私は思っている。 台湾は現在、国際的には孤立させられている。しかし、この逆境に屈せず、逞しく生きる精神力は統治時代の良き日本の精神そのものと言っていいのかもしれない。 ・ついでに言っておけば、日本の統治と欧米列強が行った植民地統治はまったく異質のものである。フランスやイギリスの統治は比較的良心的だったが、それでも搾取だけが目的だった。オランダに至っては、住民を奴隷同然に扱い、教育も行わず、取れるだけ絞り取った。 日本の場合は同化政策が基本にあり、統治する者だけでなく一般労働者も新天地を求めて海を渡った。また、日本政府は莫大な投資を注ぎ込み、インフラづくりも積極的に勧めた。今でも、台湾や朝鮮半島に日本が残したインフラは現地の人々の生活に役立っている。 ・「アメリカ一辺倒で骨の髄まで改造されつつある日本人の精神構造」、「伝統文化の喪失」を指して、もってせいぜい二十年と述べたのではないか。日本の凋落の予兆を日本人の精神腐敗に見て、発言したと思われる(2015年、日本消滅説の中国・李鵬前首相) |
| 佐伯 啓思 京都大学教授 諸君 平成15年7月号 ・日米の変則的な安全保障体制、対米依存的な関係構造が、戦後日本の「自立の精神」つまり福沢諭吉の言う意味での「自由」を失った最大の要因なのである。 ----------------------------------------------------- ◇ ----------------------------------------------------------- アメリカ文明の落日と新たなる「世界史の哲学」の構築 −百年の時を経て世界は再びニヒリズムの闇に沈む。いまこそ京都学派の遺志を継ぎ、日本精神の再興を− <同盟国というより「属国」だ> <奴隷国家としての繁栄> <事故イージス鑑は日本の姿そのもの> <イスラムは同質化できない「外部」なのか> 「ネオコン」にとって、世界の歴史とは、西欧近代が生み出した自由・民主主義、人権、市場競争などの「普遍的価値」の世界化にほかならないのである。「文明」とはこの普遍的価値を掲げる政治秩序を確立することであり、そのためには多少強引な政治体制の転換(レジーム・チェンジ)も必要とされるという。 ただ、その世界化においては、常に敵対者が現れる。専制君主、独裁者、ファシスト、社会主義者、全体主義者、そしてテロリストという敵対者である。 従って、この「文明」の普遍的価値の実現のためには、その敵対者と対決するだけの軍事力が必要になる。しかもそれだけではなく、脅威に対しては、積極的にそれを除去し、「レジーム・チェンジ」を促すための軍事力を行使すべきだ、というわけである。 こうして「文明」を守るための「予防的先制攻撃」が活用されるべきだというブッシュ・ドクトリンが登場する。(佐伯啓思 京都大学教授 「諸君」平成20年5月号) <近代社会の亀裂があらわになった> アメリカは、最終的に、自由・民主主義の普遍性を掲げて、イラクの自由化、民主化をもってイラク戦争の大義とみなした。しかし、いかに圧政といえど、イラクはまがりなりにも主権国家であり(しかも中東地域に「近代的主権国家」を無理やり作り出したのは西欧であった)、その主権性を一撃のもとに打ち砕いてしまったわけである。通常、主権性の一方的侵害を企てる戦争は「侵略戦争」と呼ばれるわけで(そのように定義したのも西欧であった)、いかに、圧政に対抗して自由・民主主義を唱えても、これは定義からしてアメリカの侵略戦争としかいいようがないのである。 ところが、他方では、自由・民主主義の普遍性を掲げたのもまた西欧近代であり、自由・民主主義の普遍性を世界的規模で実現するという「ネオコン」のプログラムからすれば、独裁者による主権国家の主権性は侵害されてしかるべきだという論理にもなる。すなわち、ここで、西欧近代主義の柱である、自由・民主主義の普遍性という要求と、主権国家という要請が矛盾してしまうわけである。 対テロ戦争は、近代国家の原則である、国民の生命・財産の安全確保という要請と、自由・民主主義という理想的価値の間に大きな亀裂をもたらすこととなった。一方で、アメリカ社会は自由・民主主義という価値を守り、またそれを世界化するために、アメリカ人兵士の生命を犠牲にせざるをえなかったわけであり、他方では、テロの脅威からアメリカ市民の自由を制限せざるをえなかったわけである。この二つの意味で、国民の生命・財産の安全確保という近代国家の原則と、自由・民主主義という理想的価値の間にはある種のトレードオフが生み出されたのであった。 <ネオコンの失敗が意味するもの> ・西欧啓蒙主義が生み出したもっとも強力な理念は、圧政や非合理、迷信や貧困からの人間の解放という思想であった。この意味での「自由」への欲求こそ万人に共通の普遍的価値とみなされたのである。「ネオコン」もその延長上にある。 ・確かな価値の不在こそが「ニヒリズム」にほかならない。 ・宗教的権威にせよ、政治権力にせよ、自由に対する抑圧からの解放と平等化、そして豊かな生活の実現という18,19世紀の期待は、20世紀の初頭には、西欧においてはかってない規模で実現していった。そのとき、自由、平等、民主主義、豊かさの追求という価値は、もはや人々の歴史観や世界観として決定的なものではなくなってくる。 <近代社会の果ての「消極的ニヒリズム」> ニヒリズムとは、ニーチェによれば「最高の諸価値の崩壊」である。「最高の諸価値」とは、端的にいえば、人々の生に強い意味を与え、人々を社会に結びつけ、いわばそのために人々が人生を賭けてもかまわないと思うような価値である。宗教は確かにそのような価値でありえた。自由や解放のための戦いというヘーゲル的な精神もまたそうでありえた。また、それほど熱いものでなくとも、自由、平等、民主、市民的道徳、立法などという近代市民社会の実現などもかってはそうであった。 だが西欧の先進国では、19世紀の末から20世紀の初頭には、近代社会の理念がそれなりに実現されてしまう。と同時に、人々が共同して実現しょうというような理想や社会像はもはや強い力を持ちえなくなる。それどころか、近代社会の中心理念である自由主義は帝国主義へと変成してゆき、国民の生命や財産を守るはずの国民国家は、軍事力の海外展開を伴った植民地の争奪戦へと傾斜してゆく。その帰結というべき第一次大戦の後には、たとえば、シュペングラーの『西欧の没落』に示される大きな挫折感と絶望感が広がってゆくのである。 もともとニーチェのニヒリズムは、既存の価値の積極的な破壊を企て、人々が当然のものとして信じている価値を破壊するものであった。自明な価値が実は根拠をもたず無意味であることを明るみに出すという、偶像破壊、伝統破壊、権威破壊という面を強く持っていた。だが同時にニーチェは、既存の価値破壊のあとに「超人」による新たな価値定立を唱えたのであり、既存の価値破壊は、それに続く新たな価値を作り出すために必要な前提段階であった。 しかし、実際には、新たな価値など容易には作り出されない。そこで、既存の価値は失効するが、しかし新たな価値は何も登場しないという空白状況がやってくる。そのような状況をオルテガは「歴史の危機」といったが、まさに、確かな価値が見失われれば、人々を社会に結びつけ、彼等の生の充実や生の目的や使命感を与えるものはなくなってしまう。前者のニーチェが唱えた既存の価値破壊を「能動的ニヒリズム」というならば、後者の、確かな価値が見失われ、生の充実感が得られない空虚な状態を「消極的ニヒリズム」と呼んでよいだろう。20世紀初頭の西欧社会に突きつけられた課題は、近代社会の果てには「消極的ニヒリズム」が待ち受けている、ということであった。(佐伯啓思 京都大学教授 「諸君」平成20年5月号) <大衆社会がむきだしの力を求める> 人々が確かに共有できる価値が見失われるとどうなるか。そのとき、まさにニーチェが述べたように、人々は剥き出しの力を追及する。価値とは人々の思考や行動を縛るものであり、共通の規範となるものだ。したがって、価値の崩壊とは、人々を縛る共通の規範の崩壊であり、規範に縛られることをやめた人々は、むきだしの自己利益を追求し、そのための力を模索するであろう。これは当然のことである。そしてその結果現れたのが、共通の規範など問題とせずに、自己自身にだけ関心を持つ「大衆」であり、国民国家の単位を超えた、剥き出しの利益追求と力の行使を行う「帝国主義」であった。これが、「現代文明」の本質的な条件なのである。 第二次大戦の動因となったファシズムやナチズムそのものが、20世紀初頭のニヒリズム状況の産物にほかならない。それは西欧近代主義の陥った罠のなかから出てきたものであった。それらは共に、大衆社会と帝国主義を背景とし、政治的なシニシズムを背後にもった「ファナティズム(狂信主義)」から生み出されたものであった。それらは価値崩壊の状況の中にあって性急かつ強引に新たな価値を生み出そうとする試みであた。 冷戦(これは実際には1920年代から始まっていたのだが)の主役である社会主義という実験そのものも、やはり西欧近代主義の極限的な形態であったといってよい。20世紀の、既成の価値崩壊に直面した当時の西欧知識人たちは、「新たな価値創造」に賭けるとすれば、ファシズムかボルシェビズムかという選択に迫られたわけである。社会主義という人間理性の極端なまでの過信と、歴史を導く正義という理念への過剰な期待は、ファシズムとはまた違った形ではあれ、あまりに独断的な価値創出であり、世俗化された擬似宗教というべきものであった。こうみれば、第二次大戦とは、思想的にいえば、西欧近代が陥ったニヒリズムを背景として、それを克服しょうとする社会主義、ファシズム、そしてアメリカニズム(大衆的な技術主義のユートピア)の間の争いであったということもできよう。 この20世紀西欧社会に深く立ち込めるニヒリズム的状況を不透明に覆い隠したものは、ナチズムとスターリニズムの蛮行であった。ナチスによるユダヤ人虐殺とスターリンによるおそるべき粛清、さらに共産主義による驚くべき虐殺は、確かに、自由・民主主義、ヒューマニズム、人権などの近代主義の理想をもう一度、呼び覚ますに十分であった。かくて、第二次大戦はファシズムの蛮行に対する自由・民主主義の戦いである、という構図が描き出された。これは基本的に戦勝国であるアメリカの「歴史観」であり、その結果、「アメリカの価値観」だけが検討に付されることなく聖域に置かれてしまったのである。(佐伯啓思 京都大学教授 「諸君」平成20年5月号) <米・中・露の露骨な「意思」> 「最後の人間」とはニーチェからとられた言葉で、近代社会の最後の段階にあらわれるニヒリズムにどっぷりと浸され、もはや崇高な理想も、高い使命感も、強い気概も失い、ただ生命の維持や生活の安全にのみ関心をもつ人間のことだからである。(中略) フランス革命が唱えた自由、平等、博愛にも、アメリカ独立宣言が唱えた生命、自由、幸福追求にももはや決定的な価値も使命感も感じることができなくなってしまった。その中で、人々は、ほんのわずかの不自由に不満を述べ、わずかの不平等を騒ぎ立て、他者よりももっと豊かになるための競争を唱える。こうして、現代社会はますます、剥き出しの利益追求と権利主張を前景へと持ち出し、「よりよい境遇にいるもの」へのルサンチマンにも似た攻撃によってすさんでゆく。一般的に言えば、冷戦崩壊以降に出現したものはこの種の相当に荒廃した、それこそ「野蛮な」精神状況といってよいのではなかろうか。 冷戦崩壊以降の思想的課題は、20世紀後半の冷戦時代のものとは全く違っている。冷戦状況にあっては、まだしも、全体主義的な圧政と、それからの解放を目指す自由・民主主義、市場経済という構図は有効性を持ちえていた。だが、冷戦崩壊以降はそうではない。ここに再び、近代主義の帰結としてのニヒリズム状況が再帰してくるとするなら、冷戦崩壊以降の世界がどことなく20世紀初頭と似通ってくるのも当然のことであろう。かっての「帝国主義」」は今日の「グローバル市場競争」へ、かっての「大衆社会」は今日の「ポストモダン社会」へ、と類比できよう。まさしく、90年代以降に出現した「グローバル経済」と「ポストモダン的文化状況」は今日のニヒリズムの姿そのものといってよかろう。 かくて、グローバル市場に置いては、ともかくも売れればよく、利益が上がればよい。ポストモダン文化に置いては、ともかくも有名性を確保すればそれでよい。「勝てばよい」のであり、「儲かればよい」のである。それ以外の基準はない。これはまぎれもないニヒリズムそのものと言ってよかろう。 ニーチェが述べたように、ニヒリズムにおいては、人間の本性というべき「力への意思」のみが支配する。かくて、かっての帝国主義時代と同様に、今日のグローバル市場競争の只中では、資源獲得、市場獲得、資本確保のなりふりかまわぬ競争が生じ、「国力」の追求という「力への意思」が剥き出しのまま露呈されつつある。90年代以降、グローバルな競争に置いて「国力」を増大した国は、アメリカ、中国、ロシアであり、いずれもほとんど露骨な「力への意思」を掲げた「強い国家」であった。また、それにひきずられるかのようにイラン、パキスタン、北朝鮮などの小国はもっぱら「核」にたよってその「力への意思」を顕示しようとした。(佐伯啓思 京都大学教授 「諸君」平成20年5月号) <アルカーイダの文明論的意味> 『ニヒリズム』が『価値喪失のあげくに、あらゆる行為の意義を無意味化してしまう』とすれば、それを克服するためには、すべての価値の源泉を絶対的なものへ還元すればいい。そして絶対的な神を持ち出し、神への帰依から行動の意味をすべて導き出せばよい。イスラム原理主義は、このグローバルな世俗化の時代にあって、ある意味では、もっとも激しくニヒリズムの脅威にさらされたともいえるであろう。宗教的心情の強いイスラムに西欧的世俗的文化や政治が浸透することは、彼らからすればニヒリズムの浸透以外の何ものでもない。そうして原理主義的な形での宗教復興が生じる。西欧的な近代化が進展するに従ってイスラム復興運動や原理主義が強化されるという逆説もここに起因する。 ところが、信条の絶対化はそれにとどまらない。「自由」「民主主義」「人権」「市場競争」をあたかも「神」によって宣託をくだされた正義であるかのように装うアメリカの信条もまた、ある意味では世俗的原理主義の様相をおびてくるのである。(中略) こうして、ニヒリズムという現代文明の基本的特質を前提にしてみれば、対テロ戦争は、一方の側のアメリカ的な世俗的原理主義(背後にはキリスト教的原理主義をもつが)と、他方の側のイスラム原理主義の間の対立という様相を示している。両者共に、西欧近代が生み出し、90年代のアメリカのリバータリアニズム状況を背後にもっているわけであり、そのことにこそ注目しておかねばならない。(中略) アルカーイダのテロは、西欧近代が生み出したニヒリズムのグローバルな拡散を背景にした「力への意思」であり、「神」による性急なニヒリズムの克服であった。現代文明のニヒリズムこそがテロを生み出した背景的要因である。とすれば、ニヒリズムとの対決こそが現代文明の大きな課題であると、まず自覚しなければならない。(佐伯啓思 京都大学教授 「諸君」平成20年5月号) <アメリカとは精神的な距離を置くべきだ> ひとつの文明としてのアメリカこそは、西欧近代主義の申し子であるという意味で、もっともニヒリズムを深く体現し、また、対テロ戦争以降、その矛盾をもっとも典型的に露呈しているからである。ほとんど内容空疎な形式としての自由・民主主義の世界化、そして、それを支える巨大な軍事力という「力への意思」、グローバルな市場競争におけるむきだしの利益追求、金融工学という合理的科学による虚栄の富の創出、それにIT技術や遺伝子技術にみられる無限の技術信仰、これらは、もはや、それ自体についての歯止めをかけるための価値をもたない、という意味で典型的なニヒリズムなのである。特に、冷戦崩壊以降のアメリカこそはもっともニヒリズムへと突き進んでいるように思われる。日米関係の緊密化は、戦後日本のアメリカ従属構造を別にしても、精神的な空虚感を抱えている今日の日本を、ますます、アメリカン・ニヒリズムの餌食にしてしまうであろう。 ニヒリズムを克服するものは何か。それについて確かな解答があるわけではない。しかし、現代文明の置かれた状況をそのようなものとして認識することは決定的に重要なことなのである。この認識の有無こそがまずは決定的なことである。(佐伯啓思 京都大学教授 「諸君」平成20年5月号) <京都学派の試みと挫折を再考せよ> 高山岩男の「世界史の哲学」には、帝国主義と化した西欧近代の覇権的歴史への批判があり、また、個人主義や自由の観念が確かな価値の崩壊をもたらすという西欧近代のニヒリズムへの批判があった。 西田哲学や京都学派は、この西欧近代のニヒリズムの産物である「力の対決」(帝国主義)に対して、「道義」によって対抗しょうとしたのであり、世界史は「力の対決」の場ではなく「道義」に基づいた「多様なものの統一」を実現するものでなければならない、というものである。「力」に基づく西欧中心的歴史観を、日本の「道義」によって牽制しょうとしたわけである。(中略) 西欧近代のニヒリズムが、建築されたすべての価値を一挙に破壊してすべてを「無意味」の砂漠へ投げ込むのに対して、京都哲学は、「無」がすべてを支え、すべての意味を生み出す根拠となるとみなしたのであった。 彼らはここに西欧近代のニヒリズムを克服する何かがあると考えた。日本思想の根底には「無」の思想がある。そして、「無」こそが西欧的な主体や建築的な意思を受け止める基底になる、ということである。したがって、日本の「無」は西欧的な思想をより広く深い次元で包括し支えるものとなるはずだ、ということである。 <1930年代の悪夢を繰返さないために> 繰返すが、今日、われわれは、世界的に思想的な基軸を失っている。世界大戦や冷戦をリードした「圧政」に対する「自由・民主主義」の戦いという解釈図式はもはや意味をもたなくなってしまった。この図式の中で意味を与えられてきた、グローバリズム、IT革命、世界の民主化、アメリカと同盟国による世界管理、「開かれた社会」の構築、といったプログラムは基本的に破綻してしまった。そして、それに代わる新たな思想的展望は見えて来ないのである。もっとも危険なのは、その空白をぬって、アメリカ、中国、ロシアなどを軸にした新たな帝国主義的確執が生じることである。(中略) 私は、日本人が本当に「日本の精神」を再発見できれば、日本はニヒリズムと剥き出しの「力」の対決へと突き進む「世界」に対して真に意味ある言葉を発することができるだろうと思う。それは日本人が改めて自らのアイデンティティに思い至るということである。確かなことは、それは、西欧近代主義の極地にある、グローバリズムやIT革命、金融工学、世界の民主化、などとは全く異なったものであろう、ということだ。だが、もしも、自らのアイデンティティに辿り着くことなく、米、中、ロの大国にはさまれ右往左往しながら状況に振り回されているなら、(戦争にならないにしても)あの1930年代の悪夢の中へ引きずり込まれてゆくようにも思われるのである。 黒船来襲に端を発して近代化を始めた明治元年(1868年)から63年目の1931年に満州事変が起き、まさに、米、中、ロの間で日本は方向を見失っていった。そして、第二の開国というべき終戦(1945年)から数えて今年がちょうど63年目なのである。(佐伯啓思 京都大学教授 「諸君」平成20年5月号) |
| 西尾 幹二 電気通信大学名誉教授 諸君 平成15年7月号 ・おおらかで素朴な、すべてを受入れ包み込む宥和的な文明がここには存在し、半島と自分を区別している。 ≪正論4月号 平成17年度≫ 「日本人は自分達より優れたものをあっさり認める。そして持ち前の好奇心でその強味を徹底的に調べて学ぶ」。先進文明を取り入れるには謙虚さが必要であるが、それが中国人にはない。 自国の悪には過剰反応し、他国の悪は目に入らない。これはソフトで、清潔で、つつましい生き方、静的で、優しい振る舞いに無条件に価値を見る日本人の社交感覚に対応している。 道徳的に問責されたとき、理に合わないのでこれを拒絶しょうとすれば論争的エネルギーを要する。それは担当官個人の情熱を必要とし、厄介な重荷であり、しかもあまり美しい行動とはいえないと思うのに違いない。そう考える気質がすべてに先行する。抵抗するくらいなら潔く非を認める方が、身の汚れを清めることに少しでも役立つ。こうして自己負担も免れられる。罪は分量ではない。小さな罪でも罪である。罪の大小を他国と比較すべきでない。少しでも罪があればその汚れは清浄化され、乱れは整頓されなくてはいけない。 そういう意味では、日本人は身の周辺の秩序のある美感をなによりも大切にしているのかもしれない。しかし独りよがりの、恐ろしい性格といってよいかもしれない。 |
| 井脇ノブ子 少年の船協会理事長 国際開洋学園理事長 ・苦労した経験がないから知恵も勇気も生まれてこないんです。 ・自分を育ててくれているあらゆるものへの感謝の心を忘れてはいけないと思います。 |
| 吉田 松蔭 前野徹著 「第四の国難」 扶桑社 ・「かくすれば かくなるものと しりながら やむにやまれぬ 大和魂」 |
| 呉 善花 正論 平成15年8月号 ・熊野の自然環境の中に生活していれば、儒教を第一の倫理とする韓国や中国でいう、自然界の中で人間が最も優れた存在だという考え方は出にくい。キリスト教でいう、万物の中で人間を特別に神から選ばれた存在とする考えも生れにくい。アジア大陸的な儒教も、ヨーロッパ大陸的なキリスト教も、日本に広く根付くことができなかったのは、熊野のような自然と人間が一つにまみれれ生きられる環境がありつづけてきたからだというべきだろうか。 ・尊いと感じるから拝むのであり、そうして拝まれ続けているいくものに神霊が宿る。どちらが先かという考えは、そこではほとんど意味をもっていない。 ≪実際性を優先する日本≫ まず最初に具体的・現実的な人間関係(社会)があり、「性」はそれに「伴って」あるもので、けっして「先立って」あるものではない、というように理解できるものだ。明らかに、理念よりも実際性を優先する考えなのである。 私がこうした考えが日本に近代以前からあること気づかされたのは、何年か前にみたNHKテレビの江戸時代をテーマにしたドラマのなかでの、次のような場面だった。 当時の風俗営業に従事している一人の未亡人に対して、ある儒学者が「複数の男性に接するとはなんと不道徳なことか」と非難した。それに対してその未亡人は、「それは確かに立派な教えだと思いますが、夫を亡くした自分としてはm、今の仕事をしなくては子供たちを食べさせていくことができないんですよ」といった。それで、その儒学者は何も答えることができずに口をつぐんでしまったー。 伊藤仁斎がいっているのもこれと同じことなのだ。倫理・道徳は大切であるが、それは普遍的に誰にもあてはめて説くべきものではない。倫理・道徳を説く理念は立派なものだが、それは第一に優先されるべきものではない、ということなのだ。そこでは、理念的な倫理・道徳以前の、実際の生活のなかで尊重され生きている人倫=人間関係が優先されている。 伊藤仁斎は、道徳を説くには個人的な生活条件を尊重することが必要で、すべて一律に説くことはまちがいだといい、その道徳論を当時の人々は「人情説」と呼んだという。こうした道徳感は、そのまま現代日本人のものでもあるだろう。 風俗営業の女性が堂々とそうした主張をしたり、そこで儒学者が口をつぐんだりすることなど、韓国の番組ならあり得ないことだ。もちろん、李朝時代にはけっして考えられない。 |
| 林 建良氏 ・台湾人が見た日本精神とは、私利よりも公益を優先する道徳感、自分達の国家と伝統を守る気概 ・自国の魂に無関心だから、親中反日が”跋扈”する |
| 『檄』 三島由紀夫氏 作家 「1970(昭和45)年11月15日」 「われわれは戦後の日本が経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、本を糾さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自らの魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。 政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を潰してゆくのを、歯噛みをしながら見ていなければならなかった。 われわれは今や自衛隊にのみ、真の日本、真の日本人、真の武士の魂が残されているのを夢みた。しかも法理論的には、国の根本問題である防衛が、ご都合主義の法的解釈によってごまかされ、軍の名を用いない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頽廃の根本原因をなして来ているのを見た。 もっとも名誉を重んずべき軍が、もっとも悪質の欺瞞の下に放置されて来たのである。自衛隊は敗戦後の国家の不名誉な十字架を負ひつづけてきた。自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与えられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与へられず、その忠誠の対象も明確にされなかった(略) アメリカは真の自主的軍隊が日本の国土を守ることを喜ばないのは自明である。あと二年の内に自主性を回復せねば、左派のいふ如く、自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終わであらう。(略) 生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はゐないのか。」 |
| 藤原 正彦 御茶ノ水女子大学教授 正論 平成16年 3月号 日本人にはもともと、仏教の影響もあるのだろう、俗世を低く見るという傾向がある。これは方丈記、徒然草をはじめとする古典に顕著に表れている。旧制一高の寮歌にも「栄華の巷低く見て」とある。俗世間から超然とし高潔清貧であることは最高の美徳であった。この世のカネやモノやコトにうつつをぬかしたり、くよくよするのは小人として蔑まれた。 日本民族のこの高邁な精神は世界に誇り得るものと思う。このような精神が根本にあったからこそ江戸時代に、カネやモノを持たない武士が支配階級となる、という他国には見られない市民社会を作ることができたのだと思う。当時の世界でもっともすぐれていた、と最近の欧米の学者に注目されるようになった。 ところが近代となり、日本が生き馬の目を抜くような国際社会に投げ出されると、これが国益を大いに損ねる要員となった。 現実より精神を上位におく、という民族的美徳が、強固な精神さえあれば現実を変えうる、何事もなしうる、という精神原理主義に飛躍したのである。そして、信じたくない現実には目を瞑り、信じたくない情報には耳をふさぐ、という態度にまでつながった。 世界は自分や国益のことしか考えない小人ばかりだから、当然つけいられることとなった。 --------------------------------------------------- ◇ ----------------------------------------------------------- 「正論 3月号 平成19年」 ・日本人はどういうものによって働くのか。それは忠誠心や帰属意識、恩義、心情といったものによって奮い立つ民族なのです。決して打算とかご褒美を与えて頑張る民族ではない。そういうことがいまの日本では忘れられています。他国ならこうした制度でもいい。いや世界中がそれでもいいのですが、日本人には合わない。特殊だといわれてもいいのです。 ・いまの日本は国中が腐っているのです。これを蘇らせることは政治や経済にはできません。今後、何十年かかるか、分かりませんが、教育しかないのです。 ・一番の問題は、今の日本人は70歳以下が総崩れになっていることです。そのような状況で、いい人材を集められるわけがありません。「70歳以下」と区切ったのは、戦後教育にどっぷりつかった世代だからです。GHQによって、日本の過去の歴史や伝統、文化が全面的に否定された。その後、コミンテルンの影響下にあった日教組がGHQと同じことを、より強力に進めました。その教育に、どっぷり漬かったために、祖国への誇りや自信を持てないようになり、「日本は侵略ばかりした恥ずかしい国家」と叩き込まれた世代なのです。 ・国を動かすことに必要なことは、(中略)文学、思想、芸術、科学、歴史といった、何も役に立ちそうもない教養をたっぷり身につけていることが絶対に必要なのです。それがなければ国を動かす大局観を持つことはできません。(中略)国家をリードするというような総合的な判断をするためには、人々を圧倒するような教養、はるかに違う教養が必要なのです。そして祖国を深々と愛し、もののあわれを解するような情緒のある、一般の人たちの頭脳とはまったく違う頭脳をもった人たちが例外的にいるのです。 <真のエリートは四千、五千人で十分> ・日本と英米を比べると、国民の平均点では、学力も道徳も日本人の方が上でしょう。だが、例えばイギリスにはパブリックスクールからオックスフォード、ケンブリッジを出たようなエリートが育っています。彼らは、国民の言うことになど耳を貸しません。国の為に日夜、猛烈に働き、戦争になれば、最も危険な地域に率先して出て行く人たちです。そうしたエリートに対して、国民は「彼らに全部任せよう。彼らは決して国を裏切らない」という気持ちをもっている。 ・外交には国益と謀略しかないのです。19世紀以来、ロシアが何をしてきたか、独、仏、英がいかにずる賢くふるまったか、中国がどれだけウソをついてきたか・・・・。ちょっと歴史を勉強すれば分かることです。外交官は、そうしたことをすべて知ったうえで、さらに“その上”をいかねばならないのに、です。 ・もうひとつは「勝ち馬に乗る」という風潮です。郵政改革法案のときも、阿部さんが首相になるときもそうでした。みんなが形勢有利な方へとなびいてしまい、自分の信条を貫く人がほとんどいない。負けると分かっていても戦った、戊辰戦争のときの会津長岡藩の河合継之助のような人物がいなくなった。だから子供たちもいじめる側が大勢なら、みんなそちらについてしまう。 ・今の日本の状況を見ていると、国が殺される動きがどんどん加速されているような気がします。日本をつぶそうとする力が働いているのではないかと疑うほどです。改革をすれば、半分は改善になってもよさそうなものですが、ほとんど全部が改悪になっている。不思議です。そうして素晴らしい国がどんどん悪くなる。国を滅ぼす方向に進んでいるような気がしてならないのです。(藤原正彦 「正論 3月号 平成19年」) --------------------------------------------------- ◇ ----------------------------------------------------------- 「文芸春秋」12月号 河野洋平氏が衆議院議長、五百旗頭真氏が防衛大学校長、山崎正和氏が中教審の委員長。東京裁判史観(戦後レジーム)の三点セット、@侵略戦争、A戦争責任、B自虐史観が日本人の価値判断を完全に狂わせている。特に自虐史観に捕われた人間は要職に就かせるべきでない。国が滅ぶ。以下引用。 「教養立国ニッポン」 −経済市場主義では人心乱れて国滅ぶ。再生の道はひとつしかない− <国柄を壊した構造改革> <経済市場主義がもたらしたもの> <他国民の心を読むのが下手な日本人> 戦後、焼け野原から立上がった我が国は、遮二無二、国土再建へと進んだ。国民の圧倒的基礎学力を背景に、民族的特性とも言える勤勉、誠実、忍耐、責任感、忠誠心などを十分に発揮した。戦時中、理工系学生を徴兵せず温存したから技術立国のための人材は豊富に残っていた。その結果、奇跡の復興をとげ、たった三十年ほどで世界第二の経済大国となった。焼け野原となった都市、山ばかりの狭い国土、乏しい天然資源という三重苦の中での著しい復興は、世界中の国々を驚嘆させた。 日本経済はそれで満足せず、1980年代にはついに世界で一人勝ちという状況にまでなった。世界各国の視線は、驚嘆から感嘆、そして羨望、嫉妬、警戒、敵意、と少しずつ変化して行った。 <教養軸をたてよ> <戦前全否定論の誤り> <教養こそ大局観の基> ・民主主義とはテレビ政治、と日米ともになっているのは、国民の教養不足が主たる原因である。 <明治人の人間的魅力> ・教養を積めば人格者になる、という具合には必ずしもならないが、少なくとも人間的魅力を増すことは確かと思われる。 <無形財産はいつまで保てるか> ・先頃、ヨーロッパのホテルマンから見て世界でもっともすばらしい客は日本人、というアンケート結果が発表された。マナーや道徳をわきまえているということだろう。最近だが私自身、ロンドンとパリの百貨店で、税金手続きの係員と売り子から「日本人ほど信頼できる人々はいない」と言われた。落ちたとは言えまだまだ残っている道徳心が、我が国に対する信頼感となっている。この信頼感は国際経済における日本の底力ともなっているはずである。 <江戸の文化が植民地化を防いだ> ・当時来日した多くの欧米人が述べたように、科学技術はともかく教養や道徳では日本人の方が自分達より上、となっては植民地化する理屈が立たなくなる。国民の教養や道徳の高さというものは国の防衛力ともなるのである。 <日本千五百年の文化に触れよ> ・豊かな経済を得たとしても誇りにはつながらない。日本が世界一の経済繁栄を五百年続けても、世界が日本を尊敬することには決してならない。羨望や嫉妬は生んでも尊敬だけは生まない。世界が尊敬するものは、国民の道徳とか教養、そしてその国の産んできた文化的遺産などである。 ・道徳を保つには、国民一人一人の誇りがぜひとも必要である。誇りをなくした人間には倫理も道徳も礼節もないからである。自らへの誇り、国家への誇りなどがどうしても必要である。 ・教養を失った国民は大局観をなくし、人間的魅力を低下させ、国柄を毀損し、教養を重ねるという高尚な愉しみを味わうことを忘れ、誇りを失ってしまった。我が国では未だ改革に次ぐ改革が続いているが、真に憂うべきは、方向感覚を政官財学ばかりか国民までが失ったということである。 |
| 稲垣 武 著 「このヒジョーシキが日本を滅ぼす」 1.意思決定の遅れとリーダーシップの欠如 2.既得権に阻まれ有効適切な戦略が取れぬ愚 3.パラダイムが変換しても従来型を死守 4.先入観に支配され情勢判断を誤る 5.横並び思想が生む競争否定の害悪 6.都合の悪い情報は忌避し判断を誤る 7.「言霊」に振舞わされて 8.指導層にかけていた科学的思考 日本人の「思考・行動様式」と「日本的組織原理」の改造が求められている。 -------------------------------------------------------- ◆ --------------------------------------------------------- 「正論 平成18年4月号」 キリスト教やイスラム教など一神教の特徴は非寛容であることだ。キリスト教はまだ、市民社会の成熟や民主主義の進展でやや寛容さを取り戻したが、キリスト教より成立が六百年ほど遅いイスラム教は、まだ戦闘的で、若い宗教の荒々しさを失っていない。キリスト教も五百年ほど前は、宗教戦争に明け暮れ、他宗教と血で血を洗う内紛を繰返していた。 他の文化に対して非寛容で、イエズス会の宣教師たちは中米・南米で貴重な彫像を破壊、絵文字を焼き捨てたりした。日本では戦国末期、キリシタン大名の領地で、神社や寺院を破壊し、それが後のキリシタン弾圧の一因ともなった。その点、世界遺産のバーミヤンの大石仏を爆破したタリバンと同じである。 一神教はどれも異文化の破壊を専らにしているが、日本のような多神教は異文化に寛容だ。われわれは「八百万の神々」の国に生まれたことを幸せだと思った方がいい。にも拘らず、首相の靖国参拝を国民に神道を押し付けるものだとする偏狭な一部の牧師や僧侶がいる。マッカーサーが日本をキリスト教国にしょうとして、いまの天皇陛下が皇太子のとき、クエーカー教徒の女性を家庭教師にしたり、キリスト教の弘布にさまざまな特典と便宜を提供したりしたが、キリスト教信者は未だに国民の1%を超えていない。一神教が日本の精神文化とは相容れないことの証左であろう。 それにしても、世界には十字軍以来の怨恨を忘れぬイスラムや、六十年以上も前の「侵略戦争」や「植民地化」の罪を言い立てる中国・韓国がいる。括淡で恨みが持続しない国民性を持つ日本人にはうざったさの極みだ。こうなったらいっそ鎖国でもしますか。 |
| 林 道義 氏 東京女子大学教授 正論4月号 平成16年 ・反日日本人に対抗するためには、良識を持っている人々の理論武装を早急に図り、してはならない譲歩をしないように歯止めをかける必要があろう。 「正論9月号 平成17年度」 なお衰えぬ「崩しの思想」の破壊力 戦前と戦後では日本人の精神風土は180度変わってしまった。一口で言えば「硬派」から「軟派」への変化と言える。日本人が何百年もかけて営々と築き育ててきた男性文化に支えられた日本精神は音を立てて崩れてしまった。 質実剛健、文武両道、武士道、公正、公徳心、誠実、正直等々、これらの美徳は中世の武士社会に端を発し、大東亜戦争の敗戦まで連綿として続いてきた。明治以来、日本人の精神・文化に注目した外国人が口を揃えて賞賛してきたこれらの美徳は、戦後急速に衰えはじめ、その崩壊はますます加速している。今や日本人の精神は総崩れの状態である。 服装の乱れから始まって、性風俗の乱れ、規範意識・道徳心の乱れ、学級崩壊からニートの増大等々、日本人の心の崩れは目を蔽うばかりである。 |
| さかもと 未明 漫画家 正論5月号 平成16年 私が風俗嬢たちの発言に違和感を覚えたのは、彼女たちがすでに「堅気」としての生き方を捨てているせいだと思う。そういう場合には「誇り」という言葉はふさわしくない。作家などという仕事を選んだ私を含め、自己の欲求のために家族を捨てたり悲しませたりした者には、一つくらい許されぬ言葉があってもいいのではないだろうか。 そうでなければ冒頭の友人がいったように、「真面目に一生懸命生きてきている人たち」は報われぬ。「堅気」には誇りだけが最後の寄る辺なのだ。それさえも奪っておいて、節度を忘れた人々の、“自己決定という自由”の結果すべてに平等な権利を保障しょうという社会は、やはり病んでいるといっていいと私は思う。⇒自分の場合、使ってはいけない言葉は何か。 ------------------------------------------------------ ◆ ------------------------------------------------------------ 「別冊正論 05」 「野蛮でもいい、力強き“ますらお”の復活を」 ・けれどもよく考えたらですね、女が仕事を持ったり、ちょっと才能を発揮したくらいで結婚も申し込めなくなる男って一体何?女が仕事を持たず、経済的弱者であるときしか「男」として振舞えないなんて、メチャクチャ腰砕けであると証明しているのではありませんか?関係を持った女性を堂々と愛しているといえず、都合のいい女性と結婚して、自分の守備範囲を超える女性とは欲望の対象としてしか関係できない。より優れた女性に挑んでいこうという根性はなくて?女性との関係に責任をとって結婚することは「男女同権」と拮抗するとでも?女性ひとりと満足に渡りあえない男がどうして、国際社会で他国とわたりあっていけるというのでしょうか??? ・立派な殿方がいたら、安心させてくださったら、勝手に仕事なんぞやめるのです。やめずとも家庭を一番にして、尊敬する男性の子供を産みたいと自然に思います。そういう気持ちに女をさせられない男性が、なにを軍事だ国際社会だのといっているのかと、ときどき鼻白むのはわたしだけなのでありましょうか。 |
| 井上 雅夫 日本人の忘れもの 日本教文社 ・「敷島の大和心を人問はば、朝日にひほふ山桜花」・・・日本魂の美を桜の花の麗しさに比したもの。 ・雛祭りはそのいかにも雅な雰囲気からしても日本でこそ生まれた御祭と言えるものですが、今日のような飾り方になったのは江戸時代の初めごろと言われています。雛人形には日本の女性の淑やかさや優しさが自然と感じられますが、女児の成長と幸せを願った御祭というのは世界的にも珍しいものです。 ・最近は女性に淑やかさを感じたり求めたりすることは何か悪いような風潮になってきましたが、男は男らしく、女は女らしく生きることが日本の伝統的な生き方でした。近頃は男女対決型の西洋風女性観が強くなりましたが、そこくせ西洋の男性には日本女性の淑やかさや優しさに惹かれる人が多いものです。 ・奈良時代に全国に国分寺が創建されると国分尼寺も建てられ、女人禁制の高野山に対しては室生寺が女人高野となり、義太夫には女義太夫が出るなど、次々と女性だけの世界がさまざまな分野で生まれてきました。宝塚歌劇もこの日本独特の女性文化の流れの一つでしょうし、最近は減る傾向にあるとはいえ女子大や女子高と女子だけの学校が多いのも日本の特色です。 美人画という独特の絵画部門があるのも日本画独特のことで、我国は「千数百年来・・・いつも『美人』を描いてきた」。武道においてすら、薙刀という女性だけの武術が生まれました。京都では舞妓さんで有名な祇園や北野の天神さん近くの上七軒は花街として女性中心の独特な文化を育んできたもので、これも又世界的に珍しいものです。 祇園と関係の深い井上流の京舞は女舞としてよく知られている。宮中や将軍の御奥や大奥も基本的には女性の管理に任された女性独自の世界でした。シナなどでは後宮の世話は宦官という「男子」がしていましたが、我国が多くの漢文化輸入の中でこの宦官を入れなかったのも、一つは我国の女性文化の強さを物語っているといえる。 |
| 新田均 皇學館大學教授 正論6月号 平成16年 ・「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るもの也。この始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり」(西郷南州遺訓)。 ・「天理人道に従って互いの交わりを結び、理の為にはアフリカの国奴にも恐れ入り、道のためにはイギリス、アメリカの軍艦をも恐れず、国の恥辱とありては日本国中の人民一人も残らず命を捨てて国の威光を落とさざるこそ、一国の自由独立と申すべきなり」(福沢諭吉)。 -------------------- ◇ -------------------- 正論11月号 平成16年度 ・相互信頼の心情を維持しつつ、内外から押し寄せる悪意はしっかりと認識して巧妙に対処する。お人好しでありながら、悪を見抜ける、退けられる。オオカミと闘いつつ、餌食にもならず、自らがオオカミとりつかれてしまうこともない。そんな高度な精神の融合状態への飛躍が焦眉の急になっている。 |
| 東谷 暁 ジャーナリスト 正論9月号 平成16年 ・「日本人は外形、外装を重んじるから、最初に理想的な目標事項を示せば、たとえ実行不可能が十分予想される場合でも、頑張ってやるというであろう。彼等は、喜んで自主規制とか目標協力をするであろう。・・・・われわれは、外圧を日本にも利益をもたらすと信じておこなうべきで、事実そうなのであるが、日本人にも外圧が予想どおりのものであったと信じさせることが賢明である(80年代版『菊と刀』貿易戦争編)」 |
| 深田 匠著 「日本人の知らない『二つのアメリカ』の世界戦略」高木書房より 明治以降の日本が戦ってきた敵が「白人植民地主義」と「共産主義」の二つであったという歴史が、いまだ果たせぬ日本のもう一つの使命を私達に示してくれる(382頁)。 ≪米中冷戦と日本の使命≫ <人種平等の次に残された日本の課題は何か> 共和党は米下院議会に非米活動調査委員会を設けさせて、ソ連や中共に与したマルクス主義者の政治家や官僚を査問してきたが、これは思想信条の自由が保障された「自由の国」であっても、売国の自由は許されないことを意味する。それは日本でもおなじことではないだろうか。先進国で共産主義を禁止している国は今も多々存在しており、1956年に「共産党は違憲」だと決定した西ドイツは「自由主義国においては、その自由を守るために、自由の敵(共産主義)に無制限の自由を認めない」と定義したが、それはまさしく正論である。今後、米中の冷戦は一層激しく加速していくことは避けられず、日本が国家としてノーブレス・オブリージェを果たす為に、今こそ日本はこの米中パワーゲームの中で勝ち残るための新たな国家戦略を構築しなければならないのだ。実に興亜は中朝政権打倒から始まり、共産主義独裁国のないアジアの新秩序をつくることこそ日本が取組むべき責務である。日本がその使命を忘れて中共に媚続けている内に、自由主義国であった韓国は赤化されたのだ(384頁)。 ≪「誇りの記憶」を取り戻せー世界を変えた侍の国ー≫ マルクス主義史観によって忠義や報国といった概念を全否定する日本の左翼は、この民族的精神たる武士道を蔑めるために「人口的に武士なんてごく一部で大半は農民、町人であり関係ない。戦前戦中の帝国主義教育の産物だ」などと誹謗することが多い。しかし江戸時代から寺小屋の先生は藩校で学んだ武士たちが勤めており、その寺小屋は明治維新によって尋常小学校に発展している。尋常小学校で明治時代の子供を教育したのは武士であり、それによって武士道精神は日本民族全体が共有する理念へと昇華したのだ。そしてそれまで武士階級の心がけであった武士道が維新によって全国民に広がったことで、世界中が驚嘆するスピードで明治日本を世界6大強国の一つにまで推し上げていく原動力となった。自衛隊の基となった警察予備隊編成のために戦後日本に滞在した米軍事顧問幕僚長F・コワルスキー大佐は、「すべての日本人の心には武士道が生きている」と感嘆の言葉を述べているが、コワルスキーの会った日本人たちとは敗戦以前の教育を受けた人々である。つまり精神とは職業の差異によって生まれるものではなく、教育によってのみ培われるものなのだ(388頁)。 日本を中共の属国化せしめようとする左翼自虐史観の汚れた泥を洗い流し、武士道が人類の歴史を変えたるその誇りこそを民族精神に取り戻すこと、それが新しい日本の夜明けを到来せしめ、世界秩序再編と米中冷戦の新世紀における真の民族精神の要となるのだ(395頁)。 <選民意識> 日本の戦後体制が悪と見なして徹底的に封印してきたものの中のひとつに「選民意識」がある。しかし米英などアングロサクソンにはキリスト教十字軍に代表される選民意識があり、ユダヤ民族も強烈な選民意識を持ち、それはイスラムも同様である。中共にも大中華思想という選民意識があり、世界のスーパーパワーとなる国家民族には必ずこの意識が存在している。それもその筈で、自らの民族と国家に強い自信をもてない国民が多数を占めるような国が、生き馬の目を抜く国際社会で台頭できる訳がないのである。日本で選民意識が封殺されるに至った発端は、GHQによる神道政策であり、以後マルキストは日本弱体化のために選民意識を目の仇にし「軍国主義の代名詞」として喧伝し、今や森首相が「日本は天皇陛下を中心とする神の国」と言っただけで狂ったかのような袋叩きに合う始末である。しかし選民意識とは国家と民族に誇りを与え、国家を隆盛繁栄させるための源泉に他ならないのだ。その誇りがないから土下座外交も平気になる(396頁)。 青少年が誇りを失ったその結果は、「その場が楽しければよい」という享楽主義が広がり、麻薬と性病が蔓延し、少年犯罪が激増し、定職につかないフリーターが激増するにも至った。「誇りを失った国家は滅ぶ」と述べたのはランケだが、日本の教育はその誇りを奪い続けることに力点が置かれてきた。「日本は世界最古の王朝たる天皇家を頂き、アジアを導く使命を持った神国、世界に日の出づる国である」という選民意識、この明治維新以来大東亜戦争終結に至るまでの先人が持ちえた選民意識すなわち「誇り」こそが、日本を短期間で大国に押し上げアジア解放を導きえたる所以である(397頁)。 <武士道> 実はこの瀋陽事件とよく似た事件が戦前の日本に対して起こったことがある。それは1913年、メキシコで軍事クーデターが発生し、大統領が殺害され、その夫人と子供たちが日本公使舘へ駆け込み助けを求めた事件である。メキシコ公使であった堀口九萬一氏は、このとき公使舘の表玄関に日の丸の旗を敷いて自らも立ちふさがり、押し寄せる武装革命軍の群れに対して「彼女たちを捕まえるというならば、私を殺し日本国旗を踏んで館内へ入るがよい。日本と戦争する覚悟でやれ」と一喝し、堀口公使の気迫に負けた革命軍は引き下がっていった。さらに堀口公使はクーデターの総司令官に単身面会し、「懐に入った窮鳥は殺さない。それが日本の武士道だ」と日本のことわざを紹介して談判し、大統領妻子の身の安全を総指揮官に保証させるに至っている。まさにこの堀口公使の行動こそが武士道精神であり、後世に継承されるべき「誇りの記憶」ではないだろうか。李登輝氏が「中国人が日本人を篭絡するのは簡単だ。日本人は武士道精神を失い、国家が漂流しているからだ」と述べておられるが、戦前戦中の偉大なる時代を薄汚れた自虐史観で塗りつぶしたことで、堀口公使が武士道精神を示して祖国日本に誇りの歴史を残してくれた足跡は忘却され、ついに瀋陽事件のごとき国辱の極みにまで日本民族の精神は地に堕ち果てたのである(399頁)。 |
| 佐藤健志 評論家 正論5月号 平成17年度 「透明な笑い」とは、「死を運命として受け入れたことにより、生への執着に起因する煩悩が消えて得られる悟りの境地」と定義できよう。 三島由紀夫は1970年、「生命より大切なものを教えてやる」と説いて切腹したが、「生命あっての物種」に徹するだけでは、個人も社会も精神的に充足しえないのである」。 |
| 福田和也 文芸評論家 「岸信介の回想録」 正論9月号 平成17年度 あれは皮肉な爺さんで、こんど日本は戦争に負けて結構だなと言う。何故かと言うと、自分は世界で一番偉い民族は、ドイツ民族と日本民族だと思う。この両民族は東西にあって、他の民族の運命まで引き受けてやらなければならない使命があるからだ、こういう民族は戦争に敗けて叩かれれば叩かれるほど強靭な民族性を発揮する。しかし日本民族は偉いけれど、戦争に負けたことがないから強靭さが足りない。だからこんどの敗戦はいい試練だ、おめでとう、というわけです。 |
| 真中 行造 (活動家) ・今の日本人は、中国・韓国・北朝鮮に対しては日本が悪いと過剰に責任を負うが、その反動か国内では、誰もが他人に罪を着せようと躍起になっている。 |
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